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人生とんぼ返り('46)

エノケン主演の人情話で、今井正監督作品である。

ユーモア表現も若干ないではないが、基本「シリアスなお涙もの」である。

チャップリンの「キッド」(1921)のエノケン版かな?とも感じたが、どちらかと言うと日本独特の浪花節風の展開になっている。

化け猫もの以外の入江たか子さんが見られるのも貴重である。

しかも入江さん、この作品では清楚な役柄とはすっぱな役の二役を演じている。

若い頃の中村是好や、まだ顔がふっくらしている時代の武智豊子の姿も珍しい。

一番意外だったのは、新東宝出身と思い込んでいた江見俊太郎さんが出ていること。

デビュー当時は東宝にいたと言うことなのだろう。

威勢の良いヤクザ時代、親分に言われるまま暗殺しようとした相手に逆に助けられ、しかも、その後、その未亡人と知り合い、自分の罪深さに気づいた男が、その未亡人の死をきっかけに改心し、未亡人の遺児を自分が育てようとする…と言う因縁話なのだが、若い頃、威勢が良かったヤクザたちのその後の転落振りも描かれており、教訓話的な要素もある。

設定の全体的な古めかしさは否定できないが、今見ても退屈するようなことはない。

血の気の多いヤクザ時代と、その後、真面目一徹になった薬屋時代を、エノケンが巧く演じ分けている。

何となく展開が読める内容だが、後味は悪くない。

それなりの佳作だと思う。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

1946年、東宝、本木莊二郎脚本、今井正監督作品。

塗り壁風の下地に○に縦文字の東宝マーク、その下に右から「東宝株式会社」の文字の会社クレジット

開いた扇子とタイトル

結婚式場を出る新郎欣二(江見俊太郎)と新婦きく子(河野糸子)を見送る親戚と出席者たち。

車に乗り込んだ二人が出発すると、出席者たちはめいめい会場へ戻るが、そんな中、いつまでも車を見送る白髪の男はきく子の父徳永卯之吉(榎本健一)だった。

それに気づいた欣二の父欣太郎(柳田貞一)が何か声をかけようとするが、一緒にいた妻(英百合子)がそれを止め、一緒に会場内へと戻る。

新婚旅行の浜辺で戯れる欣二ときく子。

砂浜に腰を降ろした欣二は、どこだろう?お義父さんの言っていた岩のある所って?と辺りを見渡しながら言うと、お父さん、大変思い出があるんですってときく子も一緒に探す。

少し歩いてみようか?と欣二が立ち上がり、きく子と一緒に歩き始める。

その頃、その岩の所に杖をついて立ち、海を見つめていたのは卯之吉だった。

卯之吉は、岩場に腰を降ろすと海を見ながら回想に耽り始める。

(回想)女の悲鳴があがり、玄関先の鉢植えが並んだ台に倒れ込んだのは、天神組のヤクザ源兵衛(中村是好)だった。

突き飛ばしたのは、親分重吉の子分で、源兵衛を睨みつけていた若き日の卯之吉。

威勢良く啖呵を切り、源兵衛を追い返した卯之吉は、ちょうど帰って来た源兵衛(鬼頭善一郎)に、親分!お帰りなさいと挨拶をするが、その源兵衛、おめえの威勢の良い所を見込んで頼みてぇことがあると卯之吉に言う。

寺の裏を通りかかったオイチニの薬売り樋口(清水将夫)は、おい!と背後から呼ぶ止められたので振り返ると、着流し姿の卯之吉が、その場にわらじを脱ぎ捨て、飛びかかって来る。

樋口の持っていた手風琴は側の木に引っかかり、しばらくもみ合っていた2人は、いつしかその場にしゃがみ込んでいた。

貴様!何の恨みがあって…?とリュックに刺さっていたドスを抜きながら樋口が聞くと、土手っ腹じゃなかったのか!と刺した卯之吉は自分がしくじったことを悟る。

重吉の子分だな?と樋口は見当をつけるが、しくじっちまったからにはもう親分の元へは帰れねえ!やるなら殺せ!てめえ、どういう野郎だ?!と左腕を押さえながら卯之吉は叫ぶ。

相手も知らずに殺そうとしたのか?と樋口は呆れるが、つべこべ言わずに殺せ!と卯之吉はまだやけになって叫んでいた。

腕、折れたのか?病院に連れて行ってやろうと樋口が申し出たので、余計なことするな!と卯之吉は抵抗する。

しかし、卯之吉は樋口に助けられ、入院した後、退院して重吉の家に挨拶に行くが、しくじっておきながら、今さら退院したなんて来やがって!と重吉とその子分に玄関先に突き飛ばされてしまう。

重吉から閉め出された卯之吉は、かつての源兵衛のように、自分も黙って立ち去るしかなかった。

その後、飲み屋で泥酔し、心配して声をかけて来た女給に管を巻きながら帰宅した卯之吉は、長屋の自室に入ると、ヤカンの水を飲もうとするが水が入ってない。

それで、裏庭の井戸まで行き、柄杓で汲んであった水を飲み干すと、そのまま部屋に戻って大の字に寝転がるが、そこに障子を開けて姿を現した女性は、どなた?と呼びかけながらも、驚いたように卯之吉の寝姿を見つける。

女性が連れて来た大家(武智豊子)は、卯之吉が隣の部屋に間違えて入り込み、寝てしまったことに気づく。

この人、この間喧嘩して腕を折ってしまったんだよと大家が事情を話すと、その部屋の女性ゆき(入江たか子)は、このままそっとしときましょうと言うので、じゃあ、今夜は汚い所だけど、私の家で…とゆきを自分の家に連れて行く。

翌朝目覚めた卯之吉は、痛む頭を叩きながら、裏の井戸で水を汲み始めるが、そこにいたのがゆきだった。

卯之吉が見慣れぬゆきを怪訝そうに見ると、私、お留守の間に引っ越してきましたとゆきが挨拶する。

そこにやって来た大家が、おかみさんに昨夜のことで挨拶したかい?と卯之吉に声をかける。

卯之吉は最初訳が分からなかったが、昨夜、隣の部屋に間違えて転がり込んでしまったことに気づき、罰の悪そうな顔で会釈をし、すごすごと自分の部屋の方へ向かう。

そんな卯之吉に付いて来た大家は、おかみさん1人だし、今が一番大事な時なんだから…と耳打ちすると、卯之さん頼んだよ!と頼むと、ゆきには、男手が欲しい時はじゃんじゃん使ってよと呼びかける。

自分の部屋に入った卯之吉は、そこに布巾をかけたお膳が置いてあるのに気づき、付近をめくってみると、朝食がちゃんとこしらえてあった。

井戸の方を見ると、ゆきが髪を梳いていたので、思わず恐縮そうに会釈して戸を閉める卯之吉

その後、食べ終えたサラを隣に戻しに行った卯之吉は、部屋の中に飾ってある仏壇と位牌に気づき、失礼ですが、旦那さんは?と聞く。

ゆきは、亡くなりました。お酒が好きで…、それで身を持ち崩しまして…、酒はいけませんわ…よ寂しそうに答えるので、酒好きな卯之吉はバツが悪くなる。

後日、ゆきが縫い上げた産着を部屋に来た卯之吉に披露する。

ちっちゃいもんですね~。私たちもこんなちっちゃな着物着て育ったんですかね~?と卯之吉は不思議そうに眺める。

そして、赤ん坊の名前をつけるときは相談してくださいねと申し込んだ卯之吉は、強い名前の方が良いですよね?例えば…、桃太郎…、浦島太郎…などと言い始めるが、それを聞いていたゆきは、私、何だか、女の子のような気がするんですと教える。

じゃあ…、乙姫様…じゃダメだろうな~…、花の名が良いですよね?おゆきさんは何の花が好きです?と卯之吉は聞く。

すると、ボケの花…とゆきが答えたので、ぼけ子じゃまずいか…と卯之吉は考え込む。

他にも色々ありますわ。椿の花、梅、水仙、サザンカ、すみれ、タンポポ、なたねの花、蓮華草、彼岸花、藤の花、山吹、あやめ、ツツジ、コスモス、菊の花…とゆきが花の名を続けると、それをじっと聞いて考え込んでいた卯之吉が、きく子…、おきくちゃん!と嬉しそうに思いつく。

ある晩、ゆきが縁側に提灯をつる走路しているのに気づいた卯之吉は、自分がやりますよと言って、提灯を受け取るが、いざ吊るそうとして背が足りないことに気づき、右手一本で踏み台を置いて何とか飾り終える。

骨折した左腕はもう役に立たなくなっていたのだった。

その時、ふと室内を覗き込んだ卯之吉は、ゆきが見覚えのある制服を畳んでいるのに気づく。

それは、オイチニの薬売り樋口が来ていた軍服だった。

さらに目を転じると、壁にはこちらも見覚えのある手風琴が下がっていたので、あの手風琴は?と聞くと、亡くなりました主人の…とゆきが答えるではないか。

驚いた卯之吉は、あなたの旦那さんはどうしてお亡くなりになったのですか?と聞く。

夏の始めの頃、隆昌寺の裏の崖から落ちまして…、その晩は何でもなく帰って来たのですが、それ以来寝込みまして…、打ち所が悪かったのか…とゆきが言うので、やっぱり…それが元で?くどいようですが。弾みで落ちたんで?と卯之吉が聞くと、そう申しておりましたとゆきは言う。

それを聞いた卯之吉は急に落ち込んだようになり部屋へと戻る。

盆のある晩、迎え火を焚いて、数珠を手に祈るゆきの姿を玄関先で見た卯之吉は、いたたまれなくなり、出かけるのを止めて部屋に戻る。

その後、いつもの飲み屋で酒を飲みかけようとした卯之吉だったが、気分は晴れず、女給から、どうしたの?卯之吉さん、沈み込んじゃって…と声をかけられると同時に無言で店を後にする。
部屋でごろ寝した卯之吉だったが、その時、卯之さん!と呼びかける大家の声が聞こえる。

何ごとかと裏の障子を開けると、お産始まったんだよ!早く来ておくれよ!と大家が大声を出しているので、仕方なさそうにゆきの部屋の前に向かうと、男の来る所じゃないよ!と中に入れてもらえず、仕方がないので裏庭で座っていると、たらい!お湯!と大家の声が響いて来る。

片手で釜に沸いていたお湯を大家に渡すと、もっと沸かして!と言うので、井戸の水を釜の中に柄杓で移す。

無事、ゆきの出産は終わったものの、産後の具合が悪く、その夜はずっと大家と卯之吉がゆきの側に付き添っていた。

夜中の11時50分頃、おゆきさん!しっかりしておくれ!と大家の呼びかけに答えるように薄く目を開けたゆきは、隣に寝かせられていた赤ん坊を見ると、どうぞ、きく子をよろしくお願いします…とか細い声で言うので、何を言うんだね?しっかりしておくれ!と大家は励ます。

しかし、この下に…、わずかばかりのお金ですが…とゆきが布団の下の事を言い出すと、耐えきれなくなった卯之吉はそっと自分の部屋へと戻る。

その直後、部屋で沈み込んでいた卯之吉は、卯之吉さん!と叫ぶ大家の哀し気な呼び掛け声を聞く。

その後、見覚えがある産着を来た赤ん坊を背負って旅をするオイチニの薬売りの姿があった。

それは偉そうな付け髭を付けた卯之吉だった。

樋口の軍服と手風琴も携え、セイセイヤカンの効能は〜♪と見よう見まねで唄を歌い旅を続ける卯之吉が背負っていたのは、もちろん亡くなったゆきが生んだきく子だった。

子供が集まって来た中、オイチニの歌を歌っていた卯之吉だったが、背中のきく子が泣き出すと、急にその場を離れ、ネンネンころりよおころりよ〜♪と子守唄に切り替える始末。

その後、道ばたに降ろした赤ん坊のおしめを取り替えた卯之吉だったが、ちょうど横を通りかかった馬車を挽いた農民(小杉義男)を呼び止めると、赤ん坊を背負わせてくれませんかと頼む。

片腕しか自由にならない卯之吉1人ではおんぶもさせられなかったからだ。

手伝ってくれた農民は、どっちへ行くんだね?と聞くと、乗って行けと卯之吉に荷車に乗るよう勧める。

その言葉に甘え、荷車に乗せてもらうことにした卯之吉だったが、その後もずっと赤ん坊が泣いているので、良く泣く子だな…、どっか悪いのでは?と声をかけて来る。

そんなはずはないんですが…と返事した卯之吉は、おっぱいを飲ませてくださいと頼むと、ポケットに入れた哺乳瓶から伸びた細いチューブの先の吸い口を農民に渡そうとする。

飲ませ易いように一旦降ろしたら?と農民は言い、自分はその場に腰を降ろしてキセルのタバコを吸い始める。

卯之吉は、商売用の口ひげを取ると、ミルクの吸い口を赤ん坊にふくませる。

その間、しかし、何だな〜…、お前さんには重荷だね…、男手一つじゃ…、しかもそんな不自由な身体ではな〜と農民が気の毒そうに言うので、卯之吉は、汗を拭こうとズボンのポケットから手ぬぐいを出すが、その時落ちた紙包みに目をやる。

慌てて拾い上げたそれは、ゆきが遺した金が包んである紙だった。

その後も荷車に乗せてもらった卯之吉だったが、しばし考えたあげく、いきなりその金を包んだ紙を荷車の上で寝ていた赤ん坊の背中の下に差し込むと、自分はそっと荷車を降りその場を逃げ出す。

しかし、赤ん坊の行く末は気になるので、そっとその後も荷車の後をこっそり尾行する卯之吉

自宅に帰り着いた農民は、おい薬屋さん、着いたよ。ここまでだ…と声をかけながら、家から飛び出して来た子供たちや身重の女房と再会する。

その時、荷車の方から赤ん坊の泣き声が聞こえて来たので、女房は自分の大きなお腹を観て驚く。

やがて、赤ん坊だけしかいないことに気づいた農民が、その赤ん坊を抱いて、女房と何事かを相談しあうが、その様子も、近くの物陰から卯之吉は覗いていた。

女房の方は、お前さん、今なら早い方が良いよ。いつまでも抱いていると情が移るよと言うので、てめえ、棄てて来いと言うのか!と農民は憤慨する。

うちだって今日か明日出るって言うのに、こんな大枚の金もあるんだし、内みたいな貧乏なうちに拾われるよりも…、だから早く!と女房は迷う農民を急かす。

仕方なく、農民は、赤ん坊と金を包んだ紙を人気のない門前に置いて行くので、それを陰ながら見ていた卯之吉はハラハラする。

やがて、どこかのおばさんが通りかかり赤ん坊と金を発見する。

しかし、そのおばさんは辺りをうかがうと、金田だけ取って逃げて行ってしまう。

唖然とした卯之吉は、赤ん坊の所に来ると、よしよし、お父ちゃんがバカだった。堪忍しておくれと謝りながら、赤ん坊を抱き上げるのだった。

数年が経ち、「奉納浦島大明神」とのぼり旗の立った祭りの境内で、卯之吉はいつものように薬売りの歌を歌っていた。

その側に付き添っているきく子(清水由佳子)は、もう5歳くらいになっていた。

きく子は、見物人の中に、自分と同じくらいの女の子が大きな花の髪飾りを付けているのを見て羨ましかったのか、近くに咲いていた花をちぎって髪に付けようとし始める。

そんな中、境内で花簪を売っていた老いた香具師が、店ごと地回りに蹴り飛ばされる騒ぎが起きる。

爺いのくせに太え奴だ!と地回り3人は倒れた老人を睨みつける。

どうやら、所場代を払わないで商いをしていたらしい。

その騒ぎに気づいた卯之吉は、倒れた老人を見て驚くと、その場に近づき、相手は年寄なんだ、手加減しなさいよ…と地回りにやんわり願い出る。

しかし地回りたちは、余計な口出しをして来た卯之吉を殴り飛ばす。

お父ちゃん!騒ぎに気づいたきく子が呼びかける。

倒れた老いた香具師は、かつて卯之吉の親分だった重吉の変わり果てた姿だった。

世の中、広いようで狭いものですね〜、こんな所で親分と会おうとは…と、感慨深気に神社から出て来た卯之吉に、それを言ってくれるな…と我が身を恥じた重吉は、早々に立ち去ろうとするが、フと気づいて、売れ残った花簪の一つをきく子に渡して行く。

近くの川で一休みすることにした卯之吉は、良かったな〜ときく子に話しかけながら、ゆきの形見の櫛で髪を梳いてやるのだった。

その後、線路の上を歩いていた2人は、向い側から列車がやって来たので、脇に退いて列車をやり過ごすが、その時、列車から放り投げられたカバンに気づく。

それを拾った卯之吉はスリだな…と見当をつけるが、父ちゃん、それな〜にときく子から聞かれたので、これは泥棒が、お金を盗んで、カバンだけを棄てたんですよと優しく教えながら、カバンの中を改める。

すると、書類のようなものと20円が入っていた。

それでも卯之吉は、これは人のお金、ないない!ときく子に言い聞かせる。

その後、雨が降って来た中、卯之吉ときく子は安宿に泊まる。

きく子は入口の所に立って、外の雨を眺めている。

そこに、新田の方を廻って来たと言う行商のおたきと言うおばさん(柳文代)が、ダンゴとおこわを一口一文で売りに来る。

早速客たちが買いに集まるが、それをじっと見つめるきく子に気づいた卯之吉は、あれは毒なの。あんなものを食べると死んじゃうのと言い聞かせる。

隣部屋(と言っても、部屋の仕切りはない)で飲んでいた客が、1人でいる卯之吉に酒を勧めるが、全くダメなんで…と卯之吉は丁寧に断る。

それでも、きく子はまだダンゴを欲しがり、父ちゃん!と呼びかけたので、きく子!ダメ!と卯之吉は叱り、持っていた猿の指人形を操りながら、きく子の気をそらそうとする。

巧いもんですねと感心したおたきは、きく子にダンゴを一つ渡そうとするが、卯之吉はいけません!と断る。

しかし、そこにやって来た宿の女将(田中筆子)が、良かったわねとそのダンゴをおたきから受け取ると、きく子に手渡してやる。

おたきが帰ると、帳場の女将の元へ来た卯之吉は、ゆきの形見の櫛を差し出し、これ、隣でいくらくらいくれるでしょう?と尋ねる。

おかみさんの?と女将が聞くので、一瞬口ごもった卯之吉だったが、へえ…と答える。

身体の不自由なあんたや子供を遺して、おかみさんもさぞ辛かったろうね〜…と同乗した女将は、良いものだから1円か2円は貸してくれるよと答えると、きく子を呼び寄せ、その櫛できく子の紙の梳いてやる。

女の泊まり客が弾く三味線が宿中に流れる。

卯之吉は、何事かを考え込む。

その後も旅を続けた卯之吉たちは、「袴田本舗」と言う店にやって来る。

カバンの落とし主の店だった。

しかし、応対に出て来たのは、落とし主の弟欣次郎(如月寛多)で、これをどこでいつ拾ったんですですか?と卯之吉が返したカバンを見ながら問いつめて来る。

兄はこれに書類と現金540円を入れていたはずなんだが…と怪しむ素振りを見せるので、大事な書類だと思って行商の途中に寄ったのに…と卯之吉は、親切を仇で返された気持ちになり不機嫌になる。

その時、恐喝と言うのはこの男かね?と言う声が背後でする。

弟が警察に連絡したのだった。

私は何も悪いことはしていないのに…と戸惑う卯之吉だったが、警官は容赦なく、きく子の目の前で連れて行こうとする。

しかし、卯之吉ときく子は共に警察署に連れて行かれ、向かい合った男女別別の牢へと入れられてしまう。

お父ちゃん!ときく子が呼びかけるので、向いの牢に入っていた卯之吉は、ここにいるよと顔を出して見せるが、女牢に入れられていたきく子は、一緒に入れられていた女にあやされていた。

その時、うるさいね〜、ビービー泣く子は大嫌いさ!…と悪態をついた奥にいる女に目をやった卯之吉は驚愕する。

その女は、死んだゆきにそっくりだったからだ。

翌朝、牢を出された卯之吉は、署長から、恐喝の事実はなかったことが分かったと言い渡される。

そして、帰りかけた卯之吉に、これは謝礼として先方がくれたものだと言い、10円を渡そうとしたので、何ですかこれ?こんなものいりませんよ!と卯之吉は拒否しようとする。

しかし、署長が、そんなに意固地になってはいかん!受け取りたまえ!と言うので、仕方なく受け取って、聞くこと二人で警察署を後にする。

「カフェ トンボ」と言う店の前を通りかかった時、オイチニの先生!今出て来たのかい?子供連れであんな所に入れられちゃまずいじゃないかとからかうように二階の窓から声をかけて来たのは、昨日見かけたゆきそっくりの女給すみ(入江たか子-二役)だった。

その店に寄り、きく子に洋食を食べさせた卯之吉は、お父ちゃんはお腹いっぱいとごまかす。

そんな卯之吉に、お酒どう?とすみが声をかけて来たので、有り金はこれだけですと、今警察でもらって来た10円札を渡す卯之吉。

他の席では客たちが容器に歌い騒ぐ中、きく子は客席で寝ていた。

おゆきさん…と卯之吉が呼びかけると、おゆきさんなんてこの店にはいないよと酒の相手をしていた女給が言う。

そして、酔ったような卯之吉の左腕をつねるが、卯之吉が全く反応しないので、痛くないの?と女給が不思議がると、この腕には蚊もまごつくんだと卯之吉は答え、またもや、おゆきさん!と呼びかける。

呼ばれたすみは、やかましいね!と他の席で怒鳴りつけるが、女給が、すみちゃん相手をしてやってよと頼むので、仕方なく、卯之吉の前に座ってやる。

私ゃおゆきさんはないよ!とすみはぶっきらぼうに答えるが、その顔を卯之吉があんまり見つめるので、何だってそう人の顔をじろじろ見るのさ!女の顔が珍しいのかい?と叱りつける。

黙ってくれ!おゆきさんと呼ばせてくれ!と頼んだ卯之吉は、何故あんた…、死んだんだ?と問いかける。

止せやい!縁起でもない!とすみは怒るが、あんたが死んでから、俺は酒をぴたりと止めた。きく子と二人で正直に暮らして来た。世の中酷ぇ…、逆さまだ…と卯之吉が嘆き出したので、何メソメソしてるのさ!お酒だよ!とすみが勧める。

何年かぶりに飲んだ。これが飲まずにいられるかいってんだ!おゆきさん!あんたに会えたんだもの…と卯之吉は呟く。

そして、店に飾ってあった造花の桜を見上げ、歩いているうちに、花は本当に良いものだと思うようになった…と卯之吉が言うので、恋は優し〜野辺の花よ〜♪とすみはおどけて歌い出す。

彼岸花、アヤメの花、ユリ、菊の花…、あんたの好きな花は地味な花ばかりだ…と卯之吉がぼやくと、こんな桜、作り花じゃないか!とすみはバカにし、ちょうど入って来た常連客に立上がると悪態をついたので、突き飛ばされる。

怒ったすみは、何かを掴むと投げつけたので、飾り窓が割れる。

それを観た他の女給は、又始まった…、すみちゃん、止めなよと呆れながら声をかけて来る。

卯之吉も立上がると、その客に、おゆきちゃんにどうしようってんだ!と言いながら絡んで行ったので、同じように突き飛ばされる。

その時、客席で寝ていたきく子が目覚め、お父ちゃん!と声をかける。

そんな「カフェ トンボ」に酒を飲ませてくれとやって来た老人がいた。

かつて、卯之吉が突き飛ばしたことがある天神組のヤクザ源兵衛の成れの果てだった。

アル中になったような源兵衛は、店の主人から入口で追い返される。

とぼとぼと路地裏に帰って行く源兵衛のみじめな姿を遠目で眺めながら、きく子と起き上がった卯之吉も出て行く。

その後、卯之吉はきく子を連れ、海辺の岩の所に来る。

卯之吉は黙って岩場に座り込むと、寄せて来る波を見つめていた。

空には満月がかかっていたが、雲に隠れる。

卯之吉の脳裏には、お盆の時、迎え火に手を合わせていたゆきの姿、ゆきの臨終前の姿、泣く赤ん坊時代のきく子、神社に咲いていた花を髪に付けようとしていたきく子、宿の女将がゆきの形見の櫛できく子の髪を梳いている姿、牢の中で発見したすみの姿…

そんな卯之吉の背後にじっと立っているきく子。

そんなきく子を振り返ってみた卯之吉は、きく子、お母ちゃんの所へ行こうか?と声をかける。

きく子にもお母ちゃんはいるんだよ。優しいきれいなお母ちゃん…、おいで、きく子…、お父ちゃんと一緒においで…と手招く卯之吉。

きく子のお母ちゃん、どこにいるの?よきく子が聞いて来たので、ずっと遠く…と言いかけた卯之吉は、すぐそこにいるんだと言い直すと、きく子、本当に行くかい?と問いかけながら海を見つめる。

その時、きく子のことをよろしくお願いしますと言う今際の際のゆきの言葉が卯之吉の脳裏を掠める。

きく子!きく子は良い子だな!と言いながら、思わず抱きしめる卯之吉だった。

きく子!

次の日から、又、卯之吉はオイチニの薬売りを始める。

側の川に足を漬けて座っていたきく子の頭をなでて通り過ぎたのは、恐喝で警察を呼んだあの欣次郎だった。

薬を売り終えた卯之吉に近づいて来た欣次郎は、もう1度家までご足労願えませんか?そうでないと私が家を叩き出されてしまいますと前とは打って変わった低姿勢で頼んで来る。

しかし、卯之吉は近くにいたこの腕を掴んで急いで去ろうとするが、気がつくとそれは見知らぬどこかの男の子だった。

後ろを振り返ると、きく子を抱き上げた欣次郎が卯之吉に手を振りながら出発する所だったので、慌てて後を追おうとすると、ちょうど人力車が前を塞いだので、やむなくその人力車に乗り後を追うことにする。

「文政四年創業 袴田本舗」と看板のかかったあの店に来ると、欣次郎の兄の欣太郎とその妻がご馳走を用意して待ち構えており、きく子と卯之吉に振る舞う。

妻が酒を勧めようとすると、てんでダメでして!と固持する卯之吉は、何せ子供連れなんですから…と説明する。

妻は、きく子にご馳走を勧め、美味しい?と笑顔で聞く。

その後には、別室できく子のほころびた着物の裾の繕いまでしてくれる。

そこに、妻の子供の欣二が本を持って来てやったので、読んでお上げと妻は勧める。

欣太郎は真面目一方の卯之吉に感心したようで、弟も悪気があった訳ではなく…、あいにく私が旅行中で家にはおりませんので…と、申し訳そうに、警察沙汰にしたことを詫びる。

卯之吉の方も、これで私もさっぱりしました!と喜び、そろそろお暇を…と立上がりかけるが、欣太郎はそんな卯之吉に、お願いがあるのですが…と言い出す。

これをご縁に末永いおつきあいを願えませんか?と言うのであった。

つまり、生活の援助をしたいと言う申し出だったのだが、それを聞いた卯之吉は、しかし、私には私の考えがありますので…、自分の力で何とか…と断る。

それでも欣太郎は諦めきれないようで、娘さんだけでも家に預けてもらえませんか?と提案する。

そろそろ学校へもいかせなければ行けないでしょうし…と欣太郎は言ってくれるが、卯之吉が、やっぱり私が育てますと断ると、あんたも頑固やな!こうなったらわいも負けしまへんで!と欣太郎も意固地になる。

とうとう口喧嘩になった後、卯之吉が、きく子!帰るよ!と声をかけるが、きく子は何故か動こうとしなかった。

欣太郎の妻も、今夜はもう遅いですから、お泊まりになって!と引き止めるが、卯之吉はきく子の手を引いて玄関へと向かったので、妻は急いで菓子を包んだ紙包みをきく子に手渡してやると、元気でね!と優しくきく子に声をかける。

その後、街を歩いていた卯之吉ときく子の横を通り過ぎた10才くらいの女の子が、何かをきく子の着物に押し付けると、素知らぬ顔で近くの飲み屋の店先に立ち止まる。

そこに後を付けて来た男二人が取り囲み、この野郎!と迫る。

その後も何も知らず歩いていた卯之吉は、さっきの女の子が又近づいて来て、さっき預けたものをもらうわよと言いながら、きく子の着物の襟元から、さっき自分が押し込んだ金を抜き取ると、ありがと!あばよ!と捨て台詞を遺しそのまま走って逃げて行ったので、その後ろ姿を見ていた卯之吉の顔が曇る。

きく子も、このまま連れ歩いていると、ああ言う少女スリに身を堕とすかもしれないと気づいたのだった。

翌日、川の堤防の所で休んでいた卯之吉は、歌を歌いながら川の向うを通り過ぎて行く小学生に気づく。

その側では、昨日、欣太郎の妻からもらった花の絵本を熱心に読んでいたきく子がいたが、花の名前を挙げていたかつてのゆきの言葉が脳裏を掠めた卯之吉は、それを振り払うかのように、きく子の手を引くと、その場を立ち去ろうとする。

その時、きく子の持っていた花の絵本が川に落ち流されてしまったので、きく子は哀しそうに泣き出す。

その姿を見ていた卯之吉は、きく子は何か?絵本をくれたあのおばちゃんが好きか?と優しく問いかける。

その間も、川下にどんどん流されて行く絵本…

「袴田本舗」で店番をしていた欣二は、戻って来た卯之吉ときく子に気づくと、お父ちゃん!と奥に向かって大声で呼ぶ。

その後、1人になった卯之吉は、道ばたに咲いていた花を一輪摘むと、それを軍服の胸の所に刺して歩き始める。

お父〜ちゃん!と呼ぶ声が聞こえたような気がして振り返る卯之吉

その頃、欣太郎の妻から新しい着物を着せてもらい、大きな花飾りも頭に付けてもらったきく子は、お父ちゃんはすぐに帰るのよと妻に教えられながらも、店先に出て来て、お父〜ちゃん!と呼ぶ。

(回想明け)お父〜さん!と呼びかけて来たのは、新婚旅行中のきく子だった。

岩場にいた卯之吉の姿を見つけた欣二は、変だな?お義父さん、どうしたんだろう?と首を傾げ、ここがお父さんの思い出の場所なんだわ!行ってみましょう!ときく子も言いながら、卯之吉に近づいて来る。

人違いかもと思ったんですが…と驚きながら欣二ときく子がやって来ると、娘の新婚旅行に押し掛けて来る親もないもんだ。すぐ退散するよと答えた卯之吉は、良くここまで来てくれた!ありがとう!と2人に感謝し、わしは、お前たちの幸せそうな姿をここで…、この岩場で見たかったんじゃよ…と言うと、きく子らと共にじっと海の方を見つめるのだった。


 

 

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