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日本敗れず

「日本のいちばん長い日」とほぼ同じ内容で、1954年に作られていた元ネタ作品ではないかと思われる。

「日本のいちばん長い日」は一応半藤一利原作の映画化と言う事になっているが、ここまで内容や見せ場が同じだと、実はこの作品を焼き直すにあたり、よりリアルにするための資料として大宅壮一氏の原作を参考にしたのではないかと推測したくなる。

ただ作品としては、岡本喜八版が終始ハイテンションな演出で鬼気迫る一日を描いていたのに対し、本作は芸術祭参加作品だけにそれなりの予算を投じた冒頭の空襲シーンなど見応えがない訳ではないが、肝心の軍部と政府の話になると急速にテンションが落ちてしまう凡作になっているのが惜しまれる。

演出が舞台劇風で平板なのに加え、役者の演技もただ棒読み口調でセリフを言っているだけのように見え、緊迫感に欠ける単調な印象になっている。

岡本喜八版がやや芝居がかったメリハリのはっきりした演出だったのに対し、本作では役者の表情も無表情過ぎるような気がする。

閣議などはまだポーカーフェイスでいても不自然ではないかもしれないが、陸軍省内部での青年将校同士の会話も全員顔が凍り付いたように固いのが気になるのだ。

将校役を演じているのは全員まだ未熟な新人ばかりだと言う事を差し引いても不自然に感じる。

三船が演じた阿南陸相役に当たる川浪大将の自決シーンなどは正に「日本のいちばん長い日」そのままなのだが、自決シーンなども背中越しの描写で実にあっさりした演出になっている。

この作品を見る限り、早川雪洲の芝居も酷く稚拙に見え、印象も弱いのが残念。

おそらく演出に問題があるように見える。

全体的にテンションが低い中、若干感情的なキャラクターに描かれているのが宇津井健さん演じる航空士官学校の大尉と言うのも興味深い。

クーデターに参加する青年将校なので悪役と言う事もないが、善人役とも言いにくく、思慮に欠けるダメな人物に見えるのが宇津井さんにしては珍しい。

この作品は宇津井さんのほぼデビュー当時の作品である事を考えると、熱血漢と言う後年の宇津井さんのイメージはこの頃から始まったのかもしれないなどとも想像する。

他に見所と言えば、本作と「日本のいちばん長い日」(1967)の両方に出ている役者がいる事である。

南郷外相を演じている山村聡は「日本のいちばん長い日」で米内海相を演じているし、東部軍中田大将を演じている藤田進は「日本のいちばん長い日」で反乱軍に騙される芳賀大佐を演じており、最後に見せ場がある本作とのギャップが面白い。

「日本のいちばん長い日」と違っているのは昭和天皇役の役者は登場せず、菊の御紋の付いた椅子で暗示してあったり、玉音放送もナレーターが読んでいたり、閣議でのくだくだしい文書作成の議論などが割愛されている点などである。

役名も違っており「日本のいちばん長い日」と同じ役名は登場しないが、劇中の行動や身分から大体同じ人物を推測する事はできる。

本作と、後年の2本の「日本のいちばん長い日」を見比べてみるのも、作られた時代背景の変化もあり一興だと思う。
▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼
1954年、新東宝、館岡謙之助脚本、阿部豊監督作品。

昭和29年芸術祭参加作品

東京、銀座の風景

主戦からわずか10年で日本は廃墟から見事に復興した。

日本は有史以来味わった事がない敗北を喫した。

今こそ、無血の終戦を迎えた事を強く噛みしめる必要があるのではないだろうか?(と言ったようなナレーション)

昭和20年

連合軍は、サイパン、レイテ島に次ぎ沖縄に侵攻、日本上陸しようとしていた。

東京は大空襲に見舞われた。

5月23日

逃げ惑う群衆 火災から逃れようと橋から川に飛び込む民衆 翌日、川には無数の死体が浮かんだ。

その死体を引き上げ、むしろをかけて行く最中、お父さん!と駆け寄る家族。

家財や家族を失った物達は縁故を求めて引き上げて行く。

大八車に家財を乗せた男が、萩本さん!長い事をお世話になりましたと近所の人間に挨拶をし、おじさん、渋川に行くことになったんだと顔なじみの子供に声をかけ去って行く。

そんな中、こんなに空襲が続いているのに赤ん坊が産めるかしら?私たち生きて行けるのかしら?と若夫婦の新妻が不安そうに話す。

そこに、カンパン配給しているよと近所の子供が教えに来る。

こうして息つく暇もなく… 25日 夜半 また空襲が始まり焼夷弾が次々に落ちて来る。

陸軍本部では、外の様子を報告に来た畑少佐(細川俊夫)と竹田中佐(沼田曜一)の話を聞いていた新井大佐(安部徹)は、大臣閣下がお呼びでありますと伝令を受けたので、両名を連れ川浪大将(早川雪洲)の部屋に向かう。

畑少佐と竹田中佐は、被害は甚大であるが一般市民の意気盛んでありますと報告する。

本土決戦を前にして3日間に100万の罹災者を生んだ。

ルソン島派遣部隊も全滅。

男も女も竹槍の練習に駆り出された。

国民達は空襲にも空腹にも慣れ、どうやら生き延びていたのだった。

そんな中、英米ソのポツダム宣言が発せられる。

7月2日 三国は共同で最終降伏を日本に聞いて来たのである。 総理(斎藤達雄)は閣議を招集し、この最終降伏条件に対し各人の忌憚のない意見を求める。

武装解除は連合国側が行う…、戦争犯罪人は連合国側の名において処分するなどと言った条件が読み上げられた後、川浪大将は、日本陸軍に降伏などあり得ない!と突っぱねる。

同じ頃、陸軍省内でもこの無条件降伏の勧告に対し青年将校達が意見を言い合っていた。 本土決戦で地の利を得る事もある。

松代の大本営も完成が間近い。 敵と戦って死んだ方が軍人の本懐じゃないか!などと言った意見が、新井大佐、畑少佐、竹田中佐、松崎少佐(丹波哲郎)らから出る。

閣議から戻って来た川浪大将に会いに行った新井大佐、畑少佐、竹田中佐、松崎少佐は、降伏文書を拒否して反撃して欲しいと進言するが、わしにも深い考えがあると川浪大将は答える。

再び閣議が開かれる。 ポツダム宣言に対し、各自、忌憚のない意見をと総理が口火を切る。

南郷外相らは受諾止むなしの意見を述べるが、川浪大将は軍の士気にも関わると意見を述べる。

米田海相(柳永二郎)は総理の意見と同感であると述べるが、川浪大将は強硬な態度を変えなかった。 そうこうしているうちに、8月6日広島、8月9日長崎に原爆が投下される。

トルーマン大統領は日本中に落とすと発言した。

昭和20年8月9日

ソ連満ソ国境突破、朝鮮北部に侵攻!交戦中なり!のニュースが流れる。

又閣議が開かれ、総理は、ポツダム宣言を受けるか否かが話し合われるが、やはり陸軍の川浪大将が、戦争犯罪人の処罰などは我が方で行うなどと条件の変更を言い出し、本土決戦に持ち込んで戦局の好転を待つなどと主張する。

これに対し、米田海相や農相などから、軍需工場も全滅であり、冷害で農作物も不作なので、これ以上の戦闘は難しく宣言受諾の他ないとの意見が出る。

一億玉砕の気持で戦ってこそチャンスがあると思うと川浪大将は主張すると、ブーゲンビル、サイパン、レイテ、沖縄もしかり…と米田海相が敗戦濃厚な状況を指摘すると、海軍は負けておるかもしれないが陸軍は違う!負けているとは思わん!5分と5分の戦いをしていると思うと川浪大将は反論する。

そうした中、総理は、天皇陛下におかれましては平和への道を拓きたいと仰せられたと報告する。 陸軍省では、松崎少佐や新井大佐、竹田中佐、畑少佐らが、ポツダム宣言を受諾したのか?陛下は我々を見殺しにするのか?民族が滅亡しても歴史に残る!などと議論し合っていた。

そこに、黒田中佐(鈴木伸也)、中原大尉(宇津井健)らがやって来て話に加わる。 やがて連合国の返事はサンフランシスコ放送で伝えて来た。

閣議では、まだ川浪大将が、ポツダム宣言を受けると言う事は責任回避ではありませんか!などと強硬意見を述べていた。

大御心は和平ですぞと総理に言われても、それでは陛下の影に逃げるようなものではありませんか!と川浪大将は反論する。

閣議の後、総理に会いに来た軍令総部長らは再交渉すべきですと総理に進言する。

ポツダム受諾の返事を延ばしてもらえませんか?もう200万!日本の男の半分を殺す気で戦えば!などと迫るが、外で逃げ回るのは国民ですと、その場にいた南郷外相が諌める。

すると総理は、総理も軍人です。兵隊の気持は分かるつもりですと言い聞かせる。

日本は滅亡しないと確信があるのだ。誰も日本を滅亡しようとしているのではないのだ。 8000万の命を救うために屈辱もやむを得んと思うのだと総理は言い、あなた方は軍のメンツが立てば国民はどうなっても良いと言うのか?と不快感を示した南郷外相は部屋を出て行く。

その後、南郷外相の自宅庭先で爆弾が炸裂すると言う事件があるが、南郷外相は無事だった。

秘書と車に乗り込んだ南郷外相は、例え我々が死んでも、平和のバトンはすぐ受け継がれるよと秘書に言う。

陸軍省では、厚木の航空隊はうずうずしていると言う意見を聞いた畑少佐らが、反乱の準備に取りかかるため、各人の役割を割り振っていた。

そんな中、連絡係として本部に残ることになった竹田中佐は、川浪大将の義弟と言う事もあり、彼が川浪大将説得に当たるべきではないかと言う意見が出る。

すると竹田中佐は、自分は姻戚関係を利用したくないのだと説明する。

新井大佐らが川浪大将に面会に行き、クーデターを起こすにあたり、閣下の了承を得に参りましたと申し出ると、和平はの弱腰には腹が立つと川浪大将も答える。

畑少佐が、東部軍本部を利用し、近衛軍を動かすと計画を述べ、閣下の承諾があれば全軍揃って起つ事は火を見るより明らかなのでありますと新井大佐は申し出る。

それを聞いていた川浪大将は、君たちはそんなの私を信頼してくれるのかと感謝しながらも、では私の言う事は何でも聞いてくれるな?と念を押す。

今夜24時に決行したいのですと畑少佐が申し出ると、明日の御前会議が終わるまで待て!陸軍省で新井大佐1人だけに話すと川浪大将が言うので、将校達は了承し、その場は一旦帰ることにする。

将校達が帰った後、部屋に残った川浪大将は森秘書官(笈川武夫)に、君はクーデターが成功すると思うかね?と聞くと、降伏の話は既に民間にも広がっています。軍が本土決戦をするつもりでも国民が付いて来るかどうかですと秘書は答える。

川浪大将はじっと考え込む。

24時を15分程過ぎた時、新井大佐が待っていますが…と秘書が告げると、会おうと言って立ち上がった川浪大将は廊下に出て、そこに待機していた新井大佐に、クーデターに訴えるのは御前会議まで待て!国民の協力がない場合は成功はおぼつかない。みんなに良く伝えてくれ。良く自重するようにと伝える。

翌日、東部軍の林近衛師団長(高田稔)らが沢入を訪ね、若い連中が動いているようだが、林がいる限りご安心ください、近衛軍の任務は陛下をお守りする事ですと伝える。

陸軍省の若い連中が騒いでいるようですが、長田、神明をかけて死守するつもりですと約束し、時局重大なおり、宜しくお頼み申しますと総理は言う。

畑少佐は、午前10時に御前会議が繰り上がったと知ると、閣下、もはや一刻の躊躇も出来ません!今すぐご承認を!と川浪大将に迫る。

しかし川浪大将は、待て!御前会議まで待て!と制し、御前会議が終わったら連絡すると言い聞かせる。

第二回御前会議 総理が、米国よりの通達に対し、最高戦争会議の席でも意見の一致を見ませんと発言。

南郷外相は受諾の他なく…と言うが、川浪大将は、国体の護持が不安であります。

軍にはまだ余力がありますと申し出るが、米田海相は、国が滅びて国体の護持はありません、より実情に即して考えなければならず、無条件降伏しかないと反論する。

それに対し川浪大将は、陸軍のメンツで申し上げているのではない!と言い返す。

陸軍省では畑少佐が会議が終わったかどうか、首相官邸に連絡してみろと苛立っていた。 御聖断が下りました。外務大臣の意見に賛成され、降伏を受諾するをやむなしと仰せられましたと総理が伝える。 国民にこれ以上苦難を与える事は忍びない。

国民さえ残れば、又復興と言う光明もある。 国民のために致す事があれば進んでしたい。 忍びがたきを忍び、堪え難きを堪え、一致協力して将来の回復に期待しようと仰せられたのでありますと総理は陛下の言葉を伝える。

休憩時間が挟まれ、一旦陸軍省に戻って来た川浪大将は考え込む。 そこに軍務会議一同がお目にかかりたいとやって参りましたと秘書が言うので、会う事にする。

稲垣中佐(舟橋元)が、閣下、クーデター作戦を最小限の要求に留める事にしましたと修正案を披露とするが、待て!もう何事も遅い。陸軍省は見送る。大御心に背く事になると川浪大将は答える。

それを聞いた畑少佐は、閣下、今すぐ辞職なさるべきです。そうすれば内閣は成立しなくなり、又新しい情勢になりますと進言するが、わしが辞職した所で和平は固いぞと川浪大将は諭す。

その時、会議の時間ですと秘書が告げたので川浪大将は部屋を後にする。

後に残った畑少佐は、くそ!我々は裏切られた!もう誰にも頼らず我々だけでやろう!と仲間達に伝えるが、我々の作戦に陸相の承諾は絶対に必要なんだ!陸相が動かなければ終わりだ!と竹田中佐や稲垣中佐が意見を述べ合う。

閣議では、御詔勅の録音が今夜宮中にて行われる。時間を審議したいと総理が進言する。 外地にも聞かせないと行けないので、明日の正午としては?と米田海相が提案し、南郷外相も賛同する。

陸軍省では松崎少佐が、新井も当てにならんぞと言っていたが、そこに厚木航空隊が決起したそうだとの知らせが届く。

そこへ竹田中佐から電話が入り、川浪大将の訓示があるとの知らせが入るが、大臣の訓示は期間でも分かってる!と松崎少佐は吐き捨てる。

訓示を終えた川浪大将は、不服のあるものは、この川浪を斬ってから行動せよ!解散!と言うが、軍務会議からは新井大佐、稲垣中佐、竹田中佐の3人だけだったと知ると、来ていたのは3人だけか…と呟く。

竹田中佐は、閣下、残念であります!と無念がるが、お前達は思いとどまれ、良いな?今、わしが言った事を他の者にも伝えてくれと川浪大将は指示する。

その後、総理に会いに行った川浪大将は、総理、私は陸軍を代表し強硬な意見を申し上げたので、真に至らなかった事とお詫びしますと話しかける。 それに対し総理は、みんな国のためです、お気になさらぬよう。

日本の前途には悲観していませんと労る。 川浪大将も、8000万同胞が生きている限り、日本は復興するものと信じていますと言うと、私も同感ですと総理は答える。

到来ものですが、私はタバコを吸いませんので…と川浪大将は持って来た包みを総理に手渡す。

ありがたく頂戴しますと総理は受け取り、川浪大将が部屋を出て行った後、包装紙を外し、中の煙草箱をじっと見つめる。

陸軍省軍務局畑少佐、面会に参りました!と言い、畑少佐ら数名の将校達は東部軍中田大将(藤田進)の前に進み出る。

3000年の国体を護持するため…と畑少尉が意見具申を始めようとすると、貴様らの言う事は聞かなくとも分かっとる!帰れ!と中田大将は一喝する。

陛下の御詔勅が明日放送される事になるんだぞ、録音は今夜行われるはずだと松崎少佐が畑少尉に言うと、こうなったら林近衛師団長に聞いてもらう。

出来なければ斬るのもやむを得ん!と畑少尉は言う。 その頃、宮中では日本放送協会の職員らが玉音の録音の準備を完了していた。

林近衛師団長(高田稔)に対面した畑少尉らは、閣下、録音盤を奪取したいのです。

まだ終戦の御詔勅は発せられておりません!閣下が承認くだされば500万の精鋭が立ち上がる事必至です!と進言するが、近衛軍は陛下の軍だ!と林近衛師団長は拒否する。 国家を救う命令になります

閣下、どうかもう一度考えてください!どうして我々の芋値を分かっていただけないのでありますか!と畑少尉は必死に訴えようとするが、そこにやって来たのは航空士官学校の中原中尉であった。

話が通らないと気づいた中原中尉は護衛兵を軍刀で斬り、畑少尉は林近衛師団長を撃つ。

腹を撃たれた林近衛師団長は、軽率に行動し、国家を誤るな…と言い残しその場に倒れる。

畑少尉は部屋の電話から偽の師団緊急指令を発し、宮城内と放送局を死守するべし!と伝達する。 ただちに近衛師団のトラック部隊が出発すると、宮城前に集結する。

日本放送協会に侵入した近衛兵達は、代表者は誰だ?と聞き、録音はすんだか?と聞くが、宮中でやっているが、終わったかどうかは分からないと知ると、全員ここに監禁しろ!と放送局員達の身柄を拘束する。

一方、宮城前にやって来た畑少尉と松崎少佐、中原大尉らは、見張りをしていた古川近衛参謀(中原謙二)らに名乗ると、録音盤を探す、勝俣中佐は今後畑少尉の配下に入れ!と命じる。

宮中では、録音が終わった録音盤を田部から預かった侍従が、内大臣の金庫に仕舞っておきますと伝える。

車で帰宅しかけた田部達を停め、君たちは放送局の者か?と確認した中原大尉は、宮中へ戻らせる。

御詔勅の録音盤は?と畑少尉が聞くと、宮内省の方に渡しましたと田部が答えたので、放送局に持ち帰らず何故ここに?と聞く。

大切なものだからですと田部が答えると、その場に集めた侍従達の前に田部を連れて来て、どの男に渡した?と聞く。

田部は、その中に先ほど録音盤を預けた侍従がいるのに気付きながらも、あえて誰かを探すような芝居をした上で、録音に立ち会った人はこの中には1人もいません。

交代したのでは?と答える。 交代したとしても事務の引き継ぎはやっているだろう!嘘をつくと承知せんぞ!と中原大尉が威嚇するが、知らん者は知りませんと田部は答える。

畑少尉が、所在を知っているものは言って下さいと声を掛けるが誰も名乗り出ないので、内大臣に会おう、部屋はどこだ?案内しろと侍従に迫る。

侍従が、私には他に用事がありますのでお断りします!と毅然と答えると、全部の者を監禁しろ!と畑少尉は命じ、中原大尉が貴重な者だから注意しろ!と配下の者達に伝え録音盤を探し始める。

その頃、川浪大将は自宅の廊下に揮毫した掛け軸と戦死した息子の遺影と軍服を廊下に並べて眺めていた。

そこに、ご在宅か?とやって来たのは義弟の竹田中尉だった。

今頃何しに来た?と川浪大将が迷惑そうに聞くと、閣下にお目にかかりたくて参りましたと竹田が言うので、そうか…、良く来てくれたと川浪大将は態度を和らげ、竹田、わしは今夜、自決すると教える。

それを聞いた竹田中尉は慌てず、覚悟はごもっともです。邪魔はしませんと言うので、川浪大将は一緒に飲もうか?と勧め、用意されていた徳利の酒を注いでやる。

惟晟(これあき)が死んでからずっと酒は止めておったのだが、久しぶりに飲むと旨いなと川浪大将は笑顔で言う。

それを聞いた竹田中尉が、ご子息を亡くしたのは武漢作戦でしたね…と話しかけると、今度は惟晟(これあき)に会えると川浪大将は満足そうに答え、コップに注いだ酒を旨そうに飲み干す。 そんなに飲まれて宜しいのですか?と竹田が案ずると、酒を飲んだ方が出血が多くなり死に易いはずだなどと川浪大将は言う。

その時、稲垣中佐がお見えになりましたとの家人が知らせに来たので、会わん、帰せ!と川浪大将は断ろうとするが、最後ですから一目だけでも…と口を挟んだ竹田に免じ、そうだな…、良し!と答える。

部屋に入って来た稲垣中佐は、川浪が自決すると聞くと、私も後からお供しますと申し出るが、馬鹿者!わしは全陸軍の責任を背負って自決するのだ。お前らは日本の再建に力を尽くさなければいかんぞと川浪が言うので、稲垣中佐、陸軍省に帰ります!と挨拶をすぐに部屋を出て行く。 その後、竹田、この遺書はお前に預けておく。

廊下の出入り口だけ閉めておけと命じると、廊下に立って今一度息子の軍服と遺影を見た川浪大将は、竹田、もししくじってじたばたするようなら後は頼んだぞと言い残し庭先に向かい正座する。

竹田中尉が廊下の隅で見守る中、川浪大将は腹を斬る。 近づいた竹田が、閣下、解釈致しましょうか?と声を掛けるが、無用!とだけ言った川浪大将は、自ら小刀を自分の頸動脈に当て斬って果てる。

それを見届けた」竹田中尉はその場で合唱する。

中田大将に会いに来た小谷近衛参謀長(菊地双三郎)は、将校達が林師団長を刺殺しました!と報告すると、そんなことを言うためにわざわざここへ来たのか!と中田大将は叱りつけ、電話を切断されましたと聞くと、高木東部軍参謀長(小坂真一)に残ってくれ!わしが行くと言い出す。

録音盤が彼らの手に渡ったらどうなる!と表情を引き締め、軍服を着始める。

そこに、ただいま、陸軍大臣が自決されたと報告が参りました!との知らせが届くと、そうか…とだけ答えた中田大将は静かに頭を垂れる。

その頃、中原大尉たちは、録音盤を見つけられず焦っていた。

宮城前にやって来た中田大将は、その場に集結していた近衛軍に、速やかに解散しろ!師団長が殺害されたぞ!と、この司令が嘘だった事を明かすと、石本参謀!貴様も畑達の一味だな!と睨みつけ、監禁を命じる。

畑少尉と中原大尉は焦っており、侍従の顔を殴って言え!と迫っていた。

すると侍従が、私は知っていてもあなた方には絶対言えません!国を想う気持は負けないつもりです!と言うので、何!と逆上した中原大尉は、その場で銃を取り出すと侍従を射殺する。

御門前にやって来た中田大将が見張りに、連隊長はおらんのか?と聞くと、畑少尉ら数名が来ておりますと言うので、どこにおるのか?と聞くと、宮中に降ります!と言う。

言え!言わんと撃つぞ!夜が明けるじゃないか!言わんと1人残らず撃ち殺すぞ!と中原大尉は侍従や職員達を前に威嚇する。

そこに、軍司令官が来ました!との知らせが届き、中田大将がみんな集めろ!と号令をかける。

集合した将校達を前にした中田大将は、貴様らは自分のやっている事が正しいと思っておろうのだろう?と問いかける。

畑少尉が、思っております!と答えると、厳正な国軍としての陸軍に最後の汚点を残すような軽挙妄動は百害あって一理なし! 国民をどん底に落とす事になる! 陸軍大臣は自決されたぞと中田大将が教えると、閣下は我々を裏切ったのであります!と無念そうに中原大尉が言うので、裏切ったように見せたのは、我が身一つに全責任を受けて自決したんだ!と中田は諭す。

わしにも貴様らの気持ちが分からないではない。

陛下が大和民族の将来を熟慮され決断されたんだぞ! わしも考えたが、結局、陛下の申される事が一番正しい事が分かった。

我らが至らなかった事が分かった。 命令一下死んでくれた部下やその家族には、我々が腹を斬ったくらいではすまない。

貴様らは往生際が悪い。 潔く責任を取るように… それが真の日本国民だ。

今後の行動を誤ってはならんぞ…と中田大将が言い聞かせている中、将校1人が整列から離れたと思った次の瞬間、銃声が聞こえる。

その後、将校達は松林の中に向かい、次々と銃声が響く。 臨時ニュースを申し上げます。

本日正午、重大放送がございますとのアナウンスがラジオから流れる。

玉音放送が流れる中、宮城前でひれ伏して聞く国民達。 傷痍軍人達も病院内で聞く。

靖国神社に来た主婦達も聞く。

亡き息子の墓に手を合わせながら聞く母と娘。

とあるあばら屋に、子供達がサンバらしき老婆を走って連れて来る。

以前、赤ん坊が生まれて来るか迷っていた若夫婦に赤ん坊が生まれていた。

あの時生まれた子供達もすくすくと成長した。

子供達よ、手に手を取り、明るく生きよ!(と小学校の校庭で遊ぶ子供達の姿を背景にナレーション)
 


 

 

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