白夜館

 

 

 

幻想館

 

超高層のあけぼの

途中、休憩が入る超大作で、霞ヶ関ビルが完成するまでの過程が描かれている。

今となっては、霞ヶ関ビルを超高層ビルと感じる人は少ないのではないかと思える程、それ以上の高層ビルが当たり前になった現在だが、その嚆矢とも言える霞ヶ関ビルが完成するまでの、未知への挑戦に挑んだ人たちの決断と勇気は今見ても感慨深いものがある。

基本、俳優を使った多少映画的に脚色した再現ドラマと言った作品で、ドキュメンタリーではないのだが、企業名なども実名で登場している記録映画的な色合いが濃く、工事にネガティブなイメージを抱かせるような要素などはない。

むしろ、現場の給料が良いことなどをさりげなく伴淳ら登場人物に言わせているので、建設会社のPR映画なのだと感じる。

撮影所システムが崩壊しかけていた60年代末の作品だけに、かつて他の映画会社で活躍していたようなベテランたちが一同に介し一見超大作のような趣もあるが、人気の頂点を過ぎたような人や新人中心で公開当時本当に客が呼べそうな大スターがいないのが若干物足りないような気もする。

この後、大作映画の常連のようになる丹波哲郎さんなども出演しているのだが、明らかにゲスト出演のような短時間の顔見せ程度で終わっている。

前半は設計担当の佐伯演じる木村功さんが話を引っ張り、後半は伴淳や田村正和さんらが現場仕事に色を添える形になっている。

帰って来たウルトラマンのMAT隊員やキカイダー01こと池田駿介さんや根上淳さん、小林昭二さんと云った特撮ファンにもお馴染みのメンバーの登場もうれしい。

見明凡太朗さんや菅井一郎さん、根上淳さんと云った旧大映のイメージが濃い役者さんが東映映画に出ているのも感慨深い。

木村功さんや伴淳、田村正和さんのエピソードはややわざとらしいようにも思えるが、べらんめえ口調で生意気そうな青年役だったり、雷に怯えパニック状態になる田村正和さんと云うのも見物ではある。

ちなみに、正和さんの恋人道子の父親役はキネ旬データでは「中村是好」となっているが「中村是好」ではない。
▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼
1969年、日本技術映画社+岩佐氏寿、菊島隆三原作、岩佐氏寿+工藤栄一脚色、関川秀雄監督作品。

文部省推薦 この映画は三井不動産、武藤浮氏ら二学博士、鹿島建設などの協力で作られたと言う説明文

東大

昭和38年8月

古川善二教授退官式

学生を前にした古川教授(中村伸郎)は、大震災のとき、私はここの学生でしたと最終講義を話していた。

東京を作り直さなければならんが、横に伸びることは出来ない。

これからは高層ビルの実現を目指さなければならないが、問題が山積しており、地上31m以上の建築物が許されていなかったり、建築会社に能力があるか、高層ビルに耐えうる鉄骨が作れるか? しかしいつかは建てなければいけません。

私は既に高齢であります。

学生諸君に夢を託さねばならぬのでしょうか? 歴史が解決してくれることでありましょう…と講義を終えた古川教授に、万雷の拍手が起きる。

その聴衆の中には、学生だけではなく見知らぬ大人も交じっていた。

教授部屋に戻って来た古川教授は椅子に座り、窓の外を眺めながら、40年経った…と感慨にふける。

(回想)大正12年9月1日 私はまだ学生だった…

全く夢にも予想せぬ出来事だった…

下宿の「彌生館」に戻って来た青年古川(山本豊三)に、玄関先にいたおばさん(菅井きん)が、もうすぐお昼の支度しますからねと声をかけて来る。

二階の部屋に上がり、時計の針が11時57分を指したとき、いきなり下宿が大きく揺れ始める。

何とか外へ飛び出した古川は、逃げ惑う民衆をかいくぐり、テントの下で医療活動をしていた医者の兄(平幹二朗)と出会う。

兄さん!良かったな、無事で!と安堵の声をかけた古川に、良かった、良かったじゃない!5万、10万の人が死んだり怪我をしているんだ!と叱りつける。

その傍らでは、幼い子を亡くした母親が号泣していたので、それを目の当たりにした古川は愕然とする。

その後、大震災でもびくともしなかった五重塔の前に来た古川は、恐ろしい程のショックを受ける。

死者、不明者14万、行方不明10万とも言われる関東大震災が人間の精神に与えた影響は計り知れなかった。

そう云う中五重塔は建っていた。

私はその秘密を解明したくなった。

柱や梁が複雑に組み合わさり、自信の力をあちこちに分散させ、上に行く程、揺れの力は弱まって行く。

耐震構造研究の剛構造理論に対立する柔構造理論を考案したが、当時は学会に認められなかった。

(回想明け)ドアがノックされ、女性職員が鹿島建設の会長と副会長がお見えになりましたと伝言する。

そして、鹿島建設会長(佐野周二)と鹿島建設副会長(三宅邦子)が部屋に入って来て、おつかれさまでした、肩の荷が下りたでしょうと古川教授をねぎらう。

そして古川教授の前に座った鹿島建設会長は、古川先生、私の会社へ来てくれませんか?どうしても私の会社に来ていただきたいのですと用件を切り出す。

それを聞いた古川教授は、学者は研究しか出来ないので…と戸惑うが、先生にやっていただきたいのは、三井不動産から超高層ビルを造りたいと言う話が出ているので、先生の構造理論を実現していただきたいのですと会長は説明する。

それでも古川教授は、先ほどの最終講義でも話しましたが、これからも実験を繰り返さなければいけない部分が多く、電子計算機一つで約20億回の計算しなければいけない…、それを実現しようとすると何億と言う費用がかかりましょう。また鉄骨の問題も一つ一つ解決せねばならないでしょうと難色を示す。

すると会長は、覚悟しています。全てを解決すれば私の所に来ていただけますか?いつかは超高層時代が来ないと進歩しません。残りの人生を超高層ビルに賭けています。お力添えを願えませんでしょうか?と会長は食い下がる。

現場で、最近事故が多いと部下に注意していた江尻所長(池部良)に、本社から電話ですとの知らせが届く。

鹿島建設本社会議室 そこにやって来た古川教授に、先生、お久しぶりです!と言葉をかけたのは元教え子で今は鹿島に勤めている木下工事部長(丹波哲郎)だった。

今は、インドネシアでヌサンタラ会館を担当しております。

学生時代を思い出しますな〜などとひとしきりしゃべると、すぐに又インドネシアに行かねばなりませんのでと断り、慌ただしく去って行く。

会議室に出席した社員たちの顔に、かつての教え子だった佐伯構造設計課長(木村功)、大原課員(池田駿介)の顔を見つけた古川教授は懐かしいねと目を細める。

亀田常務(見明凡太朗)が、このたび古川教授が副社長に就任した旨発表する。

まだ発表前なので、霞ヶ関ビル、仮にKビルと呼ぶことにするが、これは耐震構造でアプローチしなければならないと発言する。 そして亀田常務は、顔なじみの佐伯や大原とともに江尻を古川教授に紹介する。

基礎資料ですがと亀田が資料を取り出すと、今までのビル建設は役に立たないでしょうと古川教授は言う。

全く新しい未知なことばかりになることをご承知願いたい、宜しいですか?と教授は出席者全員に伝達する。

その後、古川教授は佐伯と共にヘリコプターに乗り、建設予定地上空の視察に向かう。

西の空き地の家族会館は壊されますと佐伯が説明する。

予定値は5000坪であった。 三井不動産では、芝常務(根上淳)が、山下設計の方に建設データの資料をお任せしたいので、古川先生、宜しくお願いしますと挨拶していた。

山下設計の構造設計部では、何階建てのビルを建てるのか、未来の東京にふさわしいビル、台風にもびくともしないようなビルにするにはどうすれば良いか、粘り強く計算を立てて行った。

その結果、36階にするのが一番有効と言う結論に達しましたと古川教授は三井不動産側に具申する。

総工費180億に及ぶ大事業だった。 180億は大きいですよと柴常務が感想を述べる。

鮫島常務(永井秀明)は、私は踏み切るべきだと思うと言い出したので、高い所で揺れたら怖いよ、もう少し低いビルでも良いんじゃないですか?と柴常務が疑問を述べる。

同席していた佐伯は、理想的な」ビルを作ろうとすると予算が合わないと言い、私たちは、要求された数字を出しただけですと古川教授も説明する。

そうした意見を聞いていた川島三井不動産社長(初代松本白鸚)は、36階に踏み切りましょう!36階で行きましょう!と決断する。

総工費は150億と言うラインで決まる。

こうして、各部門で一斉に作業が始まった。

佐伯は、超高層を実現するには柔構造でなければならなりません、しなやかに地震の力をいなしていくしかありませんと関係者たちに説明していた。

しかも、鉄骨だけで支えるようにしないと、従来の剛構造では15〜6階までなら通用するが、その代わり下をしっかり作らないといけないので3階までは柱だけになる…と、剛構造では無理なことも解説する。

さらに鉄骨は従来の十字形やT字型では無理と佐伯は指摘する。

それを聞いていた古川教授が、H型公ではいけないかね?と提案すると、もっと粘りのある大型の精度の高い物でなければ…と佐伯は答える。

今、製鉄所でもその種のことは研究しているはずだ。納期に間に合わず、アメリカから輸入したりすることになると…と意見が出る中、H形鋼による計算が始まり、84本必要なことが分かる。

佐伯は自宅でも夜遅くまで計算尺を片手に計算していたが、そこに息子の博(長張卓実)を連れた妻の直子(佐久間良子)が算数見て下さる?と頼みに来る。

佐伯は代数を使って簡単に説明しようとするが、XやYとか代数を使っちゃダメなのよと直子が注意すると、そうか…と納得し、計算式だけを教え、説明はお母さんにしてもらいなさいと博に言う。

一方大原課員は、過去の大地震のデータを元に、どのような地震がどの階に影響を及ぼすか、おびただしい数字との戦いをしていた。

ある日、古川教授の家を訪問した佐伯と大原は、振動解析が出来ましたと報告する。

これなら関東大震災の3倍来ても大丈夫ですと佐伯は言うので、喜んだ古川教授は茶を運んで来た芳子(丹阿弥谷津子)に酒で乾杯だと命じるが、佐伯が車で来てますので…と断ると、つまらんものに乗って来たな…と残念がった古川教授は、じゃあ茶で乾杯といこうと上機嫌になる。

そして古川教授は佐伯に、製鉄所に行ってみてくれんかねと頼む。

富士製鉄の竹本大型工場長(渡辺文雄)は、訪ねて来た佐伯から話を聞くと、問題は採算でしょう。

今、アメリカでも研究を始めていますが…と答える。

一方、本社では、江尻所長が、ねじれはどうでしょう?と古川教授に尋ねていた。 古川教授は、フラッターだね…と考え込む。

そこに見積もり部から、H鋼はダメだそうです、精度を求められるので、歩留まり低下が考えられると言う報告が上がって来る。

H鋼がダメだとなるとはじめから計算やり直しだぞ!と古川教授は青ざめるが、青柳専務や亀田常務には私から言います。

結果として150億で押さえなければいけないなら、今考えられる最高の材料を使って何としてもH鋼でやりましょう!と江尻は言う。

江尻はその後、自宅に現場関係者を集め懇親会を開く。

江尻の妻佐知子(新珠三千代)は松本所長代理(鈴木瑞穂)に、松本さん、主人がお世話になりそうですが宜しくお願いしますと愛想を振りまく。

江尻は、松本ら現場担当者に設計部の佐伯、大原を紹介すると、佐々木第一工務課長(寺島達夫)、宮本第二工務課長(南廣)、鉄骨担当の三田第三工務課長(岡野耕作)らも佐伯たちに紹介する。 そんな来客たちに遠慮なく飲ませようと、佐知子は酒屋からトラック3台、ビール運んできましたなどと冗談を言う。

そして、現場担当者たちからの要望で、江尻は得意の「箱根の山」を披露することにする。

年越して昭和39年 家族でスキー状に遊びに来ていた佐伯は、仕事が行き詰まっていることで頭がいっぱいでスキーの途中転んでしまう。 心配して駆けつけた直子と博に、ちょっと用事を思いついた、先に宿に戻ってらっしゃいと佐伯は指示する。

そんな佐伯の行動を見た直子は、博とともに宿に戻りながら、どうしたのかしら?と案じる。

実は、佐伯は、工場で桁をあらかじめ柱に溶接で付けておく新しい鉄骨のジョイント方法を思いついたのだった。

一種のプレパブ工法だった。 それを本社で聞いた江尻は、現場の人間も少なくてすむし、費用も安くすむ。外国の文献にもないと感心し、そうなるとデッキプレートだと自分も提案する。

しかし、建設省で実験してみた結果、デッキプレートは諦めた方が良いのではないかと言う慎重論が出る。

それでも江尻は、作業が後から後から追いかけて来るんだから、デッキプレートで何としてもやりたいんだと自説を押す。

その頃、旭ガラス工場では強風でも割れない厚板ガラスの実験、日立製作所の水戸工場では高速エレベーターのテスト、石川島播磨では高層ビルが台風で倒れないかの風洞実験が繰り返されていた。

そうした中、全く画期的な江尻考案のデッキプレートは、工員安全のためだけではなく、床の工事が早く出来ます。

全体的にはなはだ良い見通しになりましたから、後は建築審議会に通るかどうかですと古川教授が鹿島建設会長と川島三井不動産社長に説明する。

川島三井不動産社長は、安心しましたと喜んだ後、日本の超高層の先駆者として、鹿島さんには実験と開発費を全部まけていただきたいと申し出て来たので、鹿島建設会長は苦虫をかみつぶすような表情で、承知しましたと答えるしかなかった。

かくして、構造設計図が完成した。

建築審査会のため、実験用のH鋼が必要になったので、佐伯は竹本大型工場長に直談判に出向く。

実験鋼は出来ていますと答えた竹本だったが、実験室に行ってみると、既に全部裁断してしまったと言う。

それを知った佐伯は、何とかして下さい!1本だけで良いんですと頼み込むが、竹本は、1本だけでも全体のロールスケジュールが狂ってしまうんです。

1月半ば過ぎなら何とか…と答えるが、1月13日の公開試験に間に合わせるには年内に頂かないと…、私、作っていただくまで帰れません!と佐伯は迫る。

ちょっと事務所の方でお待ちくださいと言って相談に向かった竹本は、しばらくして事務所に戻って来ると、根負けしました。大したもんだ、あんたは…、大型工場のスケジュールをひっくり返したんだから…と伝えたので、やってくれますか!ち佐伯は喜ぶ。

大型工場で試験用H鋼が完成し、日通のトラックで東京まで輸送されることになる。

鹿島の実験所では正月返上で古川教授たちが集まって、H鋼の到着を今や遅しと待ち構えていた。

なかなか到着しないのに苛立った佐伯が確認の電話を入れると、竹本は、先ほどここを出ましたと答える。

その頃トラックは、鈴鹿峠に差し掛かっていたが、雪のため前面封鎖にぶつかっていた。

ラジオの天気予報を聞いていた佐伯が再度電話確認すると、回り道をしたようですと竹本は教える。

佐伯は、自ら車で迎えにいくことにする。 実験所に残っていた作業員たちは、除夜の鐘まで聞かせる気だぜと呆れていた。

その時、ようやくH型鋼を積んだトラックが到着する。

一方、トラックを迎えにいっていた佐伯は、過労が重なっていたこともあり、うとうとしかけて赤信号を見落とした次の瞬間、通りを横切っていた別のトラックに正面衝突してしまう。

実験所にいた古川教授はかかってきた電話に出て、佐伯が事故で重傷?!と聞き驚く。

鹿島技術研究所 1月13日 入院していた佐伯の熱が下がったと診察した医者が、付き添っていた直子に伝える。

そこに駆け込んで来た部下が、課長!公開実験は無事成功しました!H型鋼で決まりました!と報告する。

その知らせを聞いた直子は、あなた、良かったですね…、長引くかもしれないけど元通りになるってと励ます。

いよいよ工事が開始される。 現場担当の江尻は松本に、2年間事故を出したくないと申し入れる。

松本は、通常、4坪に1人と言いますねと、工事に事故は付き物だと悟り、自分が色々指示を出すには貫禄が足りない、別の方法でやりますと答える。

鳶の人が高所で飛ばされるでしょうね…と案じると、東京タワーのデータを元に主な計算も数千あります、100万近いデータを管理しなければいけないと現場は緊張するが、200日でやらなければいけない!台風が来る!台風シーズンが来る前にどうしても鉄骨を組み上げていねければならん!と激を飛ばす。

製鉄所では、世界の基準を抜く厚肉H型鋼の生産が始まった。

広畑製鉄から、第一号H型公が東京に向かって船出する。

それを港から竹本大型工場長ら工員たちが手を振って見送る。

第一部 終 第二部 奈川渡ダム工事現場 オペレーターの島田さん、東京から面会ですと構内にアナウンスが流れる。

社員食堂で待っていた土橋道子(藤井まゆみ)に、賄いの小母さん(北林谷栄)は、下村さん、人の3倍だもの、あんな目が高いわ。いつ頃から出来たの?などと、勝手に恋人設定で話しかけていたが、その時、昼休みのサイレンが鳴り出したので、大変だ!と慌てて厨房の方に向かう。

その直後から、工事人たちがどっと食堂に入って来て、珍しい道子の姿にちょっかいを出して来たので、道子は恥ずかしくなり外に出ると、みっちゃん!いつ来たんだ?と呼びかけながら島村オペレーター(田村正和)が近づいて来る。

お店、2日間休み取ったの!とうれしそうに答える道子に、お父さん病気だって?俺その内東京に行くからな。今度東京のど真ん中にデカいビル建つんだ。来月始めに行くことになると思う。先月、試験すんだんだと島村は教える。

それを聞いた道子は、東京で一緒にいられたらどんなに良いだろう…、あえて良かったと喜び、あんたのマフラー編んだのと言いながら土産を手渡す。

島村はそれを首に巻き、サンキューと礼を言う。

東京鉄鋼埠頭

船便で到着したH形鋼をトラックで横浜の加工工場に運び込まれ、誤差数ミリ以下で切断されておく。

ボルト締めの穴も1度に8個開けられた。 ハニカムビームと呼ばれる部品にも穴が開けられ梁となった。

川崎重工 野田工場 梁は柱に溶接で取り付けられた。 準備万端整った。 9月 200日を目標に工事が始まった。

鉄骨類は、交通渋滞を避け、夜の明けぬうちから霞ヶ関に運び込まれた。

工事現場では磯部建設社長(菅井一郎)が鳶職たちを前に、高所では足を上げて歩いてはダメで、必ずすり足で移動するように徹底していた。

今まで147mの鉄骨を組んだ鳶はおらんのや!超高層のスターや!しっかりやれ!と磯辺は激励し、銘々に命綱を渡すと、後の説明は小森(小林昭二)に任せる。 小森は、4人一組のグループ分けをし始める。

鳶たちの仕事振りを見ていた江尻は、さすが一流の鳶を集めたな…、磯辺さんの所…と感心していた。

下にいる小森が、ヘッドマイクで指示を出し、クレーンのオペレーターとして参加していた島村が鉄骨を吊り上げる。

右旋回か?次はハニカムビームか?どうだ!静々と上がっているだろう?お姫様みてえにな…などと独り言を言いながら、高所のクレーンの運転席に座った島村は作業を進める。

鳶が、命綱を付けずに作業をしているのに気付いた江尻は、おい!命綱付けろ!ルールじゃないかと叱りつける。 小森に注意すると、奴ら、命綱付けると仕事にならないって…と言い訳しながらも、鳶たちには、みんな、命綱付けろ!雷が落ちるぞ!と江尻がいなくなると声を上げる。

それを聞いた鳶たちは、全くうるせえ親父だな…とぼやき、鉄骨の裏側に、オヤジ、雷、火事、地震などと白墨で落書きする。

その後も、風出て来たぞ!ゴーヘッド!と小森はクレーンの島村に指示を出していた。

昼飯どき、弁当を食べ始めた他の鳶たちに、やかんを運んで来た掃除係の星野(伴淳三郎)が、昼から酷い風になりそうですね、あんたたちはおらの10倍も給料取ってなさると世辞を言い、お互い生活かかってんからなと笑いながら自分も弁当を食べ始める。

鳶たちは、おっさんうめえこと言うやないかと感心する。

その頃、入院していた佐伯に付き添っていた直子も、窓から建設が始まった霞ヶ関の方を窓から眺める。

ベッドの佐伯は、後3倍近い高さになる。

みんな一生懸命なのさと説明する。

そんな佐伯に、同じく入院していた少女(星野みどり)が、又教えてとノートを持って来たので、ここでも算数の先生なんですねと直子は微笑む。

そんな中、クレーンの荷物を建物の中で誘導していた柿本(北川恵一)が、デッキプレートの隙間から落下する事故が発生する。

事務所の電話でそれを聞いた江尻は、石井君、救急車!と部下に命じ、現場に向かう。

小森が、一階下のデッキプレートに落ちたんで…と江尻に説明する。

竹本が救急車で運ばれた後、地上に集合させられた全鳶の前で、江尻所長が注意事項の確認を始める。

高さをもう一度考えてみよう。 まだ3分の1しか行ってないが、我々は日本で一番高いビルを建てているんだ。 諸君が建っている場所から釘一つ落したとしても人の命を奪ってしまう。

人の命を奪って超高層ビルを建ててうれしいか? 1人の犠牲者も出してはいかん! そうした江尻の言葉を、鳶の後ろの方に混じっていた星野もじっと聞いていた。

ある日、工事が終わり、寄宿舎へ帰るマイクロバスの中で、ここはダムのクレーンとは違うんだ!と仲間からクレーンの扱いにケチをつけられた島村は機嫌を悪くして途中で降りてしまう。

大衆食堂「万福」に出向いた島村は、そこでウエイトレスとして働いていた大橋道子を呼び出すが、踊りに行こうと誘っても、今は出られない、今日は勘弁して!お給料に関わるの、怒らないでねと道子は断る。

島村はそのまま歩いて作業員宿舎まで帰る。

夜、江尻は佐知子から、18日、水谷さんから結婚式の案内が来てますよと言われ、こりゃ、行ってやらないといかんだろうねと答える。

夜、作業員宿舎に戻って来た島村は、1人、ストーブの前のベッドの上で酒を飲みながら、国の息子から届いたはがきを読んでいた星野から、島村さん、こっち来て、一杯やっか?と誘われる。 まだ寝ないのか?と島村が聞くと、星野はコップに熱燗を注いで渡してくれる。

おっさん、山形だったっけ?と聞くと、最上川の近くさと星野は答えるが、そんな川知らねえと島村は無愛想に言う。

そんな島村の様子をみた星野が、あんた、面白くないことがあったと顔に書いてあると言うと、俺は言われた通りにやったんだと島村が愚痴るので、笑ってすませるんだ、小さいことくよくよするんじゃねえ。

東京であんたより高え」所からみている人はいねえ。

天下のオペレッターだからなと言いながら、星野は焼き上がったシシャモを渡そうとして火傷をしたので、島村は笑ってしまう。

翌日、ビルの上のデッキプレートの掃き掃除をしていた星野は、ボルトが一本落ちていることに気付き、つまみ上げて、外に放り投げてしまう。

次の瞬間、自分がとんでもないことをやってしまったと気づき、階段を駆け下り下に行くと、トラックの屋根に穴が開いており、誰だ!こんなもん落したのは!と運転手が上を見上げて怒鳴っている所だった。

星野はそれを見て凍り付き、何も言い出せなかった。

宿舎に帰るバスが出払った後も残っていた星野は、ビルの様子を見ていた江尻に気付き、所長さんだ!と言いながら近づくと、申し訳ねえだ…、デッキプレートの上で掃除しておりまして…、ボルトを捨ててしまって…と言い訳を始めるが、何を言ってるんだ?と最初は事情が分からなかった江尻も、さっきの事故の話をしていると気づくと、お前か!さっきやったのは!と怒鳴りつける。

首になるでしょうか?と星野が身を縮めると、ああ首だ、首だ!と言い放った江尻だったが、すぐに笑顔になり、二度とやっては行けないぞ。早く帰って休みなさいと優しい言葉をかける。

そしてお得意の「箱根の山」を1人歌い始めたので、星野も同じように「箱根の山」を口ずさみながら上に戻り、鉄骨の落書きに気付くと、「オヤジ」の部分をそっと消すのだった。

18日の夜、水谷の結婚式からの帰り、車で佐伯の自宅前を通りかかった江尻夫婦は、ちょっと寄ってみることにする。

博ちゃん、どうしたの?大変なショックだったでしょう?と佐知子が出迎えた直子に聞くと、それが、建築士になりたいなんて言いだしたんですよ、耐火構造をやるんですってと直子はうれしそうに答える。

茶を出されていた江尻だったが、ラジオから風速13mと言う強風情報が聞こえて来ると気になり、ちょっと現場に行って来ると佐知子に言い残し、自分は早々に佐伯家を後にする。

工事現場に付いた江尻は、入り口付近にいた警備員から保安帽とジャンパーと懐中電灯を借り、ビルの上の様子を見に上がって行く。

上の階では強風が吹き抜け、その場に置いてあった脚立やベニア板が倒れたりまくれ上がっていた。

先に様子を見回っていた三田第三工務課長(岡野耕作)らとともに、とりあえず散らかっているものを片付け始める。

病院の窓からは、佐伯が霞ヶ関の様子を心配そうに見つめていた。

同室の少女がやって来て、おじさん、何見てるの?と聞くので、霞ヶ関ビルだよと答えると、良く見えないねと少女は言う。 第二作業員宿舎 小森が暮の給料を鳶たちに渡していた。

給料を受け取った若い鳶(小林稔侍)には、お前、嫁もらえよと小森は声をかける。

そんな小森に、班長さんと飲み屋の女将が集金に来ていたので、小森はつけを払う。

柿本、元の身体に戻って良かったなと落下して復帰した柿本に声をかけた小森は、給料とは別に、おふくろに土産でも買ってけと言いながら自分の金を渡す。

国へ帰る荷造りをしていた星野の側にやって来た島村は、おっさん、これ、賢い坊やにお土産だ言って大きな紙包みを渡すと、又来年!と挨拶する。

その後、「万福」の自転車に道子と一緒に乗っていた島村は、お正月休み、何か予定あるの?うちにいつ来るの?一緒に行こう!両親に紹介したいの…と道子から誘われたので、だって、俺…、どんな顔してたら良いんだよと島村は照れる。

良い所よ、太平洋の海の側なの…と道子はうれしそうに話す。

一方、雪の山形に帰り着いた星野は、春也(飯塚仁樹)と太吉(川辺富明)の2人の息子が途中まで迎えに来たので、荷物を持たせてうれしそうに実家に帰る。

自宅で落ち着いた星野は、息子たちには付録付きのマンガ雑誌、妻のゆき(利根はる恵)には銀座で買って来た洋服など土産を渡す。

そして、息子たちに島村からもらった大きな紙包みを渡すと、中にはミニチュアカーが入っていた。

日本一高いんだぞ!今の所は80mくらいだけど、最後には147mになるビル建ててるんだと自慢げに星野は話し出す。

1000人くらいの人が建ててるんだと言うと、危なくねえだか?足滑らすんじゃねえかと思って…とゆきが心配する。

危なくねえようになってるだと星野は言い聞かし、第一これが他と違うんだと言いながら親指と人差し指で輪を作ってみせる。

そして、上機嫌の星野は春也tは、奥の部屋で相撲をとり始めるのだった。

その頃、島村は道子と連れ立って彼女の実家にやって来る。

父親はうれしそうに島村に酒を注いでやりながら、ブルドーザーやクレーン、自動車の免許も持ってるのかねと感心すると、お給料も凄く良いのよと道子は教える。

の後、ゆきが付けた家計簿を確認していた星野は、近所のちゅうさんがトラックにはねられて死んだと言うことも聞き、その香典代など家計のやりくりが大変なことに改めて気付く。

諸物価の値上げの折から、もう1年、出稼ぎに出ないといかん…と星野は考える。

数日後、雪が積もった駅から出発する列車に乗り込んだ星野は、息子たちと見送りに来たゆきに、母ちゃん、頼んだぞ。

母ちゃん、あんまり無理するなよ!と声をかける。

走り出した列車を、息子たちが、父ちゃん!行ってらっしゃい!と見送る。

このビルを造るそれぞれの人生を抱え、昭和40年に入り、霞ヶ関ビルは地上80mを超えていた。

そのビルの上の階に来ていた江尻は、先生、明けましておめでとうございますと古川教授に挨拶をする。

もう一踏ん張りの所へ来た。佐伯君も病院から見ているだろうが、私も超高層ビルの上から東京を見るとは思わなかったよと、古川教授は感慨深げに言う。

何年か後には、このくらいのビルが東京を被うことになるんでしょうな…と江尻も答える。

病院では、少女が建設途中の霞ヶ関ビルの階を数えようとしたので、23階だよ、おじさん、数えなくても分かるんだと佐伯が笑顔で教える。 そして、25階、100mを突破した。

地下にも、1階分組み立てなければならなかった。

遠くには東京タワーも見える。

ある日、インドネシアから一時帰国していた木下工事部長が、又古川教授に挨拶しに来る。

インドネシアの方は?と古川教授が聞くと、今インフレなもんで、初めてもすぐ中止になりましたと笑って答えた木下は、中に入る方は満室になっているんですか?と逆に案じ、先生、お身体に気をつけて!と言い残しすぐに去っていったので、ジェット機みたいな男だな…と古川教授は苦笑する。

三井不動産の本社では、なかなか霞ヶ関の入居者が埋まらない状況の中、27階と28階に入る予定だった大同電気が断って来たと言う知らせを川島社長が聞き、これは大きいと嘆く。

オリンピック後の景気後退の影響があるのでは?と言う意見が出る中、川島社長は、東西石油に行ってみようと言い出す。

水野専務(花柳喜章)は芝常務に、70%しか塞がらなかったら赤がいくらになるか計算してくれないかと頼む。

東西石油の岡林社長(柳永二郎)に会った川島社長は、最近ビルが次々に中止になっているとか?と聞かれたので、マンションが多いらしい。おかげさまでうちの方は…とごまかす。

その後、古川教授と会った川島社長は、もし36階を30階にしてもらいたいと申し出たらどうなります?と切り出す。 すると古川教授は、一番私が恐れていたことをおっしゃった…と答える。

経済的理由で中止になるのではないか? ベトナム戦争の拡大で我が国も巻き込まれ、鉄骨が作れなくなるのではないか? どちらか一方が怒らないように念じていました…、その一番恐れていたことをおっしゃった…と古川教授が肩を落として言うので、つまらないことを申しました。絶対36階を中止することはしません。

腹を決めたかったのですと答えた川島社長は、先生!全力を挙げて36階作りましょう!と言い切る。

やがて雪が降って来る季節となる。

大雪警報がラジオから流れる中、宿舎では、日当に響いて来るな…、マイクロバスも出ないんじゃないかなどと鳶たちがぐずぐずする中、小森に事務所から電話がかかって来る。

事務所では、トラックで来りゃ良いじゃないか!と叱り電話を切ると、勝手に休みにしてやがると文句を言う。

「超高層の雪景色」などと記事に書かれた新聞を見ていた松本所長代理は、今日くらい休んだ方が良いと思うと言う。

しかし雪は三日間も降り続く。 病院に見舞に来ていた古川教授に、こんなに降ったんじゃ工期遅れるでしょうねと佐伯は心配そうに語りかける。

東京は将来どうなるか?機械文明の中から人間を解放するしかない。

それはもう博君の出番だと古川教授が呟くと、今は機会に人間が潰されていますものねと直子も同意する。

松本所長代理は、解けるのに1週間かかる。作業時間を延ばすしか他に方法が在りませんと事務所で提案していた。

その時、所長、雪が小やみになりましたよ!と窓から外を見ていた松本は江尻に教える。

何とか雪除けの方法ないかな?と宮本第二工務課長も考え込むが、いくら騒いでも雪が止まなければ全行程組み替えだ!と江尻所長は言う。

帰宅した江尻に、何か軽いものでも召し上がりますか?と佐知子が聞きに来るが、いや、いらん…と江尻は断る。 ある日、宿舎にいた小森が窓から外を見て、雪が解け始めたぞ!とうれしそうに叫ぶ。

仕事だ!と鳶たちはざわめき出す中、星野も、お天道様見れるんか?と言いながら出かける準備を始める。

工事は再び猛然と始まった ビルは猛然と天に向かって伸び上がっていった。

30階、高さ120mに達した。 鹿島の本社では、遅れを取り戻せそうですと亀田常務が社長に報告に来る。

2月の雪の影響ね…、無理をしたんじゃないだろうな…と社長と副社長は案じる。

そこに秘書がやって来て、三井不動産の川島社長が現場に御出でになるとと連絡に来る。

それを聞いた社長は、私も行こうと言い出す。

川島社長と鹿島の社長は揃って建設現場に視察に来る。

東京湾があんなに小さく見えると鹿島の社長が驚くと、40年前三井本社を作った時はアメリカから鉄骨を輸入したものだが、今は国産でしょうと川島社長も感慨深げに言う。

その時、雷鳴が聞こえて来たので、おや?雷かな?と川島社長が呟くので、春雷でしょうと鹿島の社長も応じる。

危ないので降りた方が良い、松本さん、案内してと指示した江尻は、メガホンを借りると、作業員!中止して下へ降りろ!と鳶たちに命じる。

やがて雨が降って来る中、酷い、ひどいと慌てながら、川島社長たちは中央階段を降りて行く。

鹿島の社長は、ビルの真ん中は大丈夫ですと言うので、江尻も、みんな!ビルの中央に集まれ!と指示する。

その時、たまたま建設現場の警備室にやって来ていた道子は、おじさん、クレーンの中大丈夫でしょうか?と聞いていた。

避雷針が付いていると思うが…と、警備員も上の方を見上げながら曖昧な返事をする。

小森はヘッドマイクを通じて、島村さん!」じっとしてろよ!とクレーンに連絡をしていたが、1人運転席に残されていた島村は、雷に怯え、小森さん!降ろして下さい!と狼狽していた。

そんな中、上は大丈夫?パワークレーンのオペレーターは?と鹿島の社長が聞くと、パワークレーンには避雷針が付いてますよと松本が答える。

小森のマイクに近づいた江尻が、頑張れよ!と励ますが、何とかして下さいよ!とパニック状態になった島村は、運転席から降りようと仕掛けていた。

その時、私!島さん!私!とマイクを通して呼びかけて来た声を聞いた島村は、みっちゃん?と驚く。

絶対降りちゃいかんぞ!頑張るんだ!島村!と江尻もマイクで呼びかける。

後日、とうとう完成した霞ヶ関ビルの完成式が執り行われる。 磯部建設社長が中心となり木遣りを歌う。

31階、147mになった霞ヶ関ビルは上棟式を迎えた。 川島社長が鉄骨にシャンペンの瓶をぶつけて割ると、その鉄鋼を島村オペレーターが静々と持ち上げる。

下から小森がマイクを使って指示を出す中、ある高さまで来た鉄骨に付けてあったくす玉が割れる。

舞い散る紙吹雪を見上げる江尻。 川島社長や鹿島の社長、古川教授も拍手しながら見上げていた。 やがて東京に超高層ビルが林のように建つだろう。

霞ヶ関ビル…、 太陽が最初の光りを投げかけるとき、誰よりも早く語りかけるのはこのビルである。

太陽がマンモスとしと別れを告げるとき、最後に話すのもこのビルである。

それは今、巨人のようにそびえ立っている。

島村と道子が完成した霞ヶ関の下にやって来る。

退院した佐伯と直子を写真に収める博。

昭和43年4月18日に完成した。

予定通りであった…


 


 

 

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