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沈黙-サイレンス-

遠藤周作原作の映画化らしいが、残念ながら原作は読んでいない。

信仰心のない者にとって、まず棄教の苦しみの前に、なぜ宗教にすがるのか?と言う部分が分からない。

当時キリスト教を信じた人たちは、それ以前に仏教など既存の宗教への信心のようなものはなかったのだろうか?と言った初歩的な疑問がまずわき起こる。

現世での苦しみを天国での平安を期待して我慢するとしたら、仏教の考え方と似ているようにも感じられるからだ。

仮に何の信仰心もなかった土着の人たちにキリスト教と言う宗教を信じ込ませたのだとしたら、神父達がその後の信徒達の苦しみを目の当たりにして苦悩するのは分かる。

無垢だった土着の人たちの真っ白なスポンジのような心に特定の色を染めたのが彼らなのは明白だからだ。

しかし信徒の方の苦しみは最後まで良く分からないままだ。 そこが分からないが為、日本人だからと言って、劇中に登場するキチジローやモキチに感情移入は出来ない。 こちらに信仰心がないので、彼らの胸中と言うのが想像の域を超えるものではないからだろう。

もちろんロドリゴ達神父にも共感は出来ず、あえて一番親近感を覚えるとしたらそれなりの知性を感じるイッセー尾形さん演じる井上筑後守くらいのような気がする。

筑後守は、キリシタンからすれば悪役以外の何者でもないだろうが、客観的に見ていると常識人である。

命じている事は残虐行為だが、当時の彼の役職上やむを得ぬ行為と思えなくもない。

日本でのキリスト教がかなり歪められた形で定着していたと言う事は劇中でも語られているし理解できるのだが、そこまでに至った経緯、歴史がこの映画では描かれていないので、何だか得体の知れない宗教になってしまっているようにも見え、これではキリスト教の信者が見ても奇妙に見えるのではないかとも思う。

つまりこの映画は、既に何かの宗教を信じている者には考えさせる部分があるはずだが、宗教心のない者には最初から最後まで他人事以上の感情が起きない映画のような気がする。

そんな中、感情移入とは別に、唯一理解できるような気がするのがキチジローである。

彼の意志の弱さは一番現実的に見えるからだろう。

信心が全くない訳ではないのだが、宗教に殉ずるまでの気持はない彼の姿は、そのまま今の日本人の平均的な宗教との距離の取り方であるようにも思える。

それは熱心な信徒としては卑怯、裏切り者に見えるが、人間としては一番まともと言うか素直であるように見える。

日本人が墓参りをしたり初詣に出かけたりするのは、宗教心ではなく行事化しているからとは良く言われるが、昔からそれが、日本人と信心との付かず離れずと言った関係性なのではないかと言う気もしないでもない。

そういう風に考えて来ると、この映画は信仰心がない者にも信心と言うものをふと立ち止まって考えさせるきっかけにはなるのではないだろうか。
▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼
2016年、アメリカ映画、遠藤周作原作、ジェイ・コックス脚本、マーティン・スコセッシ脚本+監督作品。

暗い画面の中、虫の音 タイトル

無惨にさらされている獄門首 日本の隠れキリシタンの処刑が行われている惨状を草影から見つめるクリストヴァン・フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)はなす術もなく苦悩していた。

ゼウスはどうして助けに来ないのか? イエス・キリストは本当にあるのか? 1633年 隠れ切支丹たちを転ばせるため、役人達は、底にジョウロのような穴を開けた柄杓に煮えたぎる温泉を汲み、穴から流れ出る熱湯を宗徒たちに浴びせかける拷問をしていた。

ポルトガルのイエズス会の教会では、ヴァリニャーノ院長(キーラン・ハインズ)が若き2人の神父、セバスチャン・ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とフランシス・ガルペ(アダム・ドライヴァー)に、日本でフェレイラ神父は棄教し、日本人として暮らしているらしいと貿易商からの手紙を伝えていた。

それを聞いたロドリゴ神父もガルペ神父もあり得ないし、信じられないと即答する。

すでに日本ではキリシタンが数千人殺されているとヴァリニャーノ院長が教えても、我々を求める民衆がいます。

ただの噂では?とロドリゴは疑わしそうに聞く。

事実なら…、イエズス会にとって、欧州カトリックにとって何を意味します?と問われたロドリゴとガルベは、探しに行きますと申し出る。

手紙には恐ろしい事しか書かれていません。日本は呪われています。本当にそう思うのなら、これは神が与えた大いなる試練かも知れん…とヴァリニャーノ院長は2人の神父の申し出を許可する。

1640年 ロドリゴとガルペは日本に向かうべくマカオに来ていた。

そこで漂流していた所を助けられた長崎の日本人漁師と言うキチジロー(窪塚洋介)を紹介された2人だったが、キリシタンかと尋ねると、自分はキリシタンではない、長崎に戻ったら殺されると怯え切っていたキチジローは酔っているようだった。

しかし、金を出すから日本へ行こうと誘われると、俺は国に帰りたい、金のためじゃないとキチジローは答える。

そんなキチジローの様子を怪しんだガルペは、あの男が信徒のはずがないとロドリゴに耳打ちする。

しかし、ロドリゴは、イエスは言われた全ての創造物に福音を伝えろと…と言い聞かせる。

キチジローを信じるしか多くのキリシタンが待つ日本へ潜入する術はなかったのだ。

結局、小舟で九州長崎の近海に近づいたロドリゴとガルペは、先に海に飛び込み泳いで岸にたどり着いたキチジローに導かれるまま、海岸べりの洞窟の中に入り込むが、止めるのも聞かずキチジローが出て行ってしまい途方に暮れる。

やがて、周囲が暗くなった頃、松明が近づいて来たのでロドリゴとガルペは緊張するが、松明を持っていた老人は、パードレ?と聞いて来て、一緒にキチジローもいたので、キリシタンと知る。

ここはトモギ村と教えた老人イチゾウ(笈田ヨシ)は周囲を警戒しており、キリシタンと知られたら殺されますと言う。

一緒に付いて来たイチゾウの妻らしき老婆(美知枝)が、質素な食べ物をロドリゴとガルペに手渡す。

他の地域の状況をロドリゴが聞くと、他の村の事は分からない。

行きませんから…、危険です。誰を信じて良いのか分からん…とイチゾウは硬い表情で答える。

イチゾウは、長崎には井上様と言う奉行がいると教えると、我々が日本にいる事を信徒達に知らせないと…、フェレイラ神父言う人物がいたはずだとロドリゴは聞くが、イチゾウは知らないと言い、食べないのですか?あなた方は我々の糧なのですと、もらった食べ物を口にしていないロドリゴたちにすがりつくようなまなざしで迫って来る。

一緒にいた宗徒の1人モキチ(塚本晋也)は、ロドリゴの首から下がっていた十字架を射るように見つめて来たので、ロドリゴは首から外した十字架をモキチに渡す。

翌朝、ロドリゴとガルペは、イチゾウたちに連れられ、山の上の炭焼き小屋に案内される。

そこは無人で、床下に隠れ部屋が作られていた。

昼間は固く戸を閉めており、夜、小屋の扉を開けるには、中に入るものに特殊なノックの仕方で仲間である事を知らせる事をイチゾウは教える。

夜、その地下室に集まった信徒達の1人の女は、告悔をロドリゴに求め、千代さんの事を悪う言うてしもうたんですと懺悔をする。

赤ん坊に洗礼を与えたりするようになったロドリゴ達だったが、日本の信徒達にはキリスト教がゆがめられた形で広まっており、パライソにはみんながいるのですね?などと聞いて来たので、ついガルペは、神は今天国にいると否定してしまう。

集会の後、自分の苛立をロドリゴに詫びたガルペは、みんな、恐怖に怯えている…と宗徒達の状況を案ずる。 ロドリゴは長崎へ行かねば…と言い出すが、それは危険すぎる。

キチジローに行かせよう、彼は単なる酔っぱらいだ、信徒じゃないとガルペは提案する。

地下室での隠遁生活に飽きたロドリゴは、ある日、外へ出よう、少し危険を冒そうとガルペに声をかけ、外に出て岩場で鷹などを見て息を抜く。

しかしその時、ガルペは、自分たちの方を見ている2人の農民の姿を見つけ、ロドリゴと共に慌てて小屋の中に逃げ込む。

その夜、戸を叩く音が聞こえたので誰か来た事が分かるが、ガルペは合図がないと警戒する。

外に来た何者かは、怖がらないで!傷つけたりしません。キリシタンです。あなた方が必要ですと呼びかけて来る。

それを聞いたロドリゴが立ち上がろうとしたので、いけない!セバスチャン!とガルペは止めようとする。

それでも上の炭焼き小屋に上がり、戸を開けたロドリゴは、立ち去りかけた2人の漁民を見かける。 漁民は戸口に立ったロドリゴに気付くと戻って来て、おらたちの村にも来て下さい!五島ですと頼んで来る。

誰に聞いた?と問いかけると、キリシタンのキチジローだと言う。

その夜、その話をイチゾウに話すと、キチジローは8年前、井上様の前で自分だけ踏み絵を踏んで棄教したが、他の家族は誰も踏み絵を踏まなかったので全員殺されたのだと言う。

他の信徒達も、五島の人間は信じられねえ、1人は残ってくださいと哀願して来たので、ガルペはトモギ村に残り、ロドリゴだけが翌日五島へ向かう事にする。

二隻の小舟で五島に渡る途中、霧の中で後ろから付いて来た小舟を見失う。

警戒したロドリゴの小舟に裸の男達が海から手をかけて来たのでロドリゴは身構ええるが、大丈夫やけん!と声をかけて来た裸の男達が十字を切って来たので、キリシタンだと気づく。

その男達に導かれ、島に上陸したロドリゴは、大勢の隠れ切支丹の漁民達と一緒にいたキチジローに出迎えられる。

早速その村で神父としての仕事を始めたロドリゴだったが、噂を聞きつけ、山を越え近隣の村々からも大勢の信徒達が集まって来る。

そんな中、フェレイラ神父の事を知っていると言う老人(江藤漢斉)に巡り会うが、赤ん坊の家や病人の家を造ったが今は長崎にいるらしい。

しかし、行くのは危ないと言うだけだった。 村人達は形のあるものを信仰したがったので、ロドリゴはロザリオの珠まで分け与える事にする。

しかし、キチジローだけは何故かそれを受け取ろうとはしなかった。

自分は神を否定したから…、井上様から棄教しろと言われた。

家族は踏まなかったが、俺は踏んだ…とキチジローは告白する。

家族の者達は藁にくるまれ、生きたまま焼き殺され、以後、ずっとそのときの炎が夢に出て来るようになったと言う。

それでも、ガルペ神父とロドリゴ神父を見た時、救いが来たと感じ、それ以降、夢の中で炎を見る事は亡くなったのだと言う。

告悔を聞いて欲しいのか?とロドリゴが聞くと、お許しください!俺は罪を犯しました!とキチジローは泣きながら懺悔をする。

五島で5日過ごした後、ロドリゴは自分が役に立つ事を確信する。 その後、モテギ村に奉行がやって来る。

イチゾウが縄を打たれ、村の中を歩かされる。 馬に乗った役人が、お前らの中にこやつと同じキリシタンが潜んでいると言う知らせがあった。

我々が捉えたいのは、均整のキリシタンとそれを匿っているもので、それを教えれば褒美をやると言う。

白髪の井上筑後守(イッセー尾形)は、そう怖がるでない。3日与えよう。それまでこやつは話してやると猶予期間を告げる。

3日後にはイチゾウ以外に3人の人質を長崎に引っ立てる。その内の1人はお前だ!と役人が指したのはモキチだった。

その夜、炭焼き小屋の地下室での集会で、信徒達は誰が人質になるか話し合いをする。

すると、パードレ達に出て行ってもらった方が良い、パードレが来たからこんな事になったなったのだと言い出すものがあ割られる。

しかしイチゾウは、パードレ達は我々が守る。ここにいてくれとロドリゴ達に告げると、わしとモキチと共にゼウス様に報ずるものはおらんか?と信徒達に聞く。

しかし、それに素直に答えるものはおらず、一緒に集会に参加していたキチジローはよそもんだからどうか?役人に訴えたのはこいつかも知れんなどと言い出す。

キチジローは驚き怯えるが、後生ですけん、うちらのために行ってもらえんですか?と老婆から頼まれると断る術はなかった。

翌日、旅立つ事になったモキチが、もし我々が踏み絵を踏むように言われたらどうすれば良いのですか?と聞いて来たので、ロドリゴは迷わず、踏むのだと支持するが、それを聞いたガルペは驚き、ダメだ!と否定する。

モキチは自分で作ったと言う十字架を取り出し、持っていてくださいとロドリゴに手渡すと、イエスの名の下に、私に力を与えてください。

私は神を愛していますと伝える。

そんなモキチとロドリゴは泣いて別れる。

村で名乗り出たイチゾウ、モキチ、キチジロー、もう1人の信徒達は、役人から踏み絵を踏めと命じられると、素直に全員踏む。 御上に楯突こうなどと思った事もなく、おいたちは仏教ですけんとモキチは言う。

すると役人は十字架を取り出し、つばを吐け!歳暮とやらを淫売と呼べと命じる。

さすがにこの要求はイチゾウもモキチも、もう1人の信者も出来ず、キチジローだけが躊躇なく十字架につばを吐きかけ、失せろ!と言われる。

ひょこひょことその場から逃げ去るキチジローだったが、ロドリゴには彼の苦しみが分かった。

イチゾウ、モキチ、もう1人の信徒は全員、海辺の十字架に張り付けにされ、酒を飲ませられる。

やがて潮が満ちて来て、モキチ達の顔を波が洗うようになる。

この拷問に耐えかねたイチゾウが、パライソ!と叫び、まず息絶える。

横の十字架で死んだイチゾウを見たモキチは、爺様をお導きくださいと神に祈る。

もう1人の信徒も死に、最後まで耐えたモキチが死ぬまでに4日を擁した。

モキチの遺体は海辺で焼かれたが、濡れていたせいか、なかなかモキチの身体に火が燃え移らず、煙だけが大量に上がる。

モキチの遺灰は海に棄てられた。 これほどの苦しみを前にしても神は沈黙したままだった。

ロドリゴはその意味を計り兼ねた。

ガルペも苦しんでいた。

自分たちのために人が苦しんでいるからだった。 2人はトモギ村を去る事にする。

ガルペとは別の場所に行くことにし、ロドリゴは五島へ向かう事にする。

旅立つ時ロドリゴはガルペに、生き続けろ!と励ましの声をかける。

ロドリゴは口の中に酢の味を感じる。

小舟で五島へ渡る途中、船頭が自分と会話を使用としない事に気付いたロドリゴは、災いを自分のためだと思っている事に気付く。

島に到達したロドリゴだったが、そこにはもはや誰もおらず、ネコだけが残っていた。

村をいくら歩き回っても誰の姿を発見できず、焚き火の跡が残っている事に気付き、雨が降り出した中、岬の小屋に向かったロドリゴだったが、そこも空き家だった。

絶望し、ふらふらと外に出て歩き始めたロドリゴは足を踏み外し、崖から転げ落ちるが、そこで出会ったのはキチジローだった。

付けられていると思った…と言うキチジローも怯えているようだった。

何故戻って来た?とロドリゴが聞くと、ここは危険だ、密告すれば褒美がもらえるとキチジローは答え、干物の魚を食べてくれと差し出す。

モキチは強かった…、俺は弱かった…、俺もあんたと同じでいる場所がない…とキチジローは恥じるように言う。

干物の塩辛さで喉が渇いたとロドリゴが言うと、水を持ってきますと言い残しキチジローは走り去る。

その後、歩き続けようと下ロドリゴだったがめまいを起こし倒れ込んでしまう。

そんなロドリゴを、手で水を汲んで来たキチジローが見つけて驚き駆け寄る。

キチジローは近くに川があると教える。 何とか、近くの河原にたどり着き、水を飲んだロドリゴだったが、水面に映った自分の顔を見ているうちに何故か笑い出す。

狂ったように笑っているうちに、その水面に背後に近づいて来た役人が写ったのに気付く。

捕えよ!と役人は配下の者に命じる。

気がつくと、パードレ!お許しください!と呼びかけるキチジローがおり、役人はそのキチジローの方へ小銭をばらまく。

キチジローが密告したのだった。 神に許しを!神はこんな者も許しますか?と小銭を拾い集めながらキチジローは呼びかけて来る。

手縄をされたロドリゴは、5人のキリシタンらしき村人が捕まっていた所へ連れて来られる。

ロドリゴの隣に座っていた女はモニカ(小松菜奈)と言う洗礼名を名乗る。 隣にはジュアン(加瀬亮)と言う青年もいた。

ラハゼーバ司祭が来られましたとモニカは教える。

モニカは、イイシトとかパライソと言った聞き慣れない言葉を使い、パライソには苦役はないのですね?などと聞いて来たので、ロドリゴはその通りだと言い聞かす。

そこにやって来た井上筑後守は、皆の衆、このような面倒をかけんでくれと、熱い最中山奥に駆り出される苦労をぼやいてみせると、こちらの考えに少しだけ歩み寄ってくれぬだろうか?その方達の苦しみは身から出た錆じゃと穏やかに話しかけて来る。

断りのある返答を致せと言い終えたので、一同は立ち上がり連行されて行くが、一緒に付いて行こうとしたロドリゴだけはお前は残れ!と命じられる。

筑後守は、キリシタン達が苦しんでいるからロドリゴに転ぶように命じる。

しかしロドリゴは、罰するなら私だけを罰してくれと頼む。

それでも筑後守は、真の司祭ならキリシタンを助けるのだと迫る。

ロドリゴは簡易な牢に入れられるが、そこにやって来たのはポルトガル語をしゃべれる通辞(浅野忠信)だった。

通辞は、我々には我々の宗教がある、仏陀と言う人間だと牢の中で話して来るが、ロドリゴは、仏陀は死ぬと反論すると、パードレ、簡単な事だ、転ぶ…、宗教を棄て、棄教するのだ。

これまでも何人も転んで来た。カッソラ、フェレイラもだ。

彼は今、日本名を持ち、妻もいる。長崎で大変尊敬されていると通辞はこんこんと言って聞かす。 牢を出た通辞は、見張り役に、傲慢な奴だ。

しかし奴もいずれ転ぶってことだとロドリゴの事を嘲るように伝える。 やがて、ロドリゴは馬に乗せられ長崎市内にやって来る。

突然、民衆から石を投げられて驚くロドリゴだったが、野次馬の中にキチジローの姿を見つけたので、何故付いて来る?付いて来るな!と叱りつける。 奉行所の牢に入れられたロドリゴは、先に入っていたキリシタン信徒達と会う。

その牢番の中にもキリシタンがおり、告悔をされたりする。

牢の中では十徳と言う着物を着るように番人から命じられる。

やがて通辞を交え、筑後守の尋問が始まる。 筑後守は、キリスト教は日本では無益で無価値で危険な教えであると言い聞かせる。

ロドリゴは、私の心は変わらない、あなたの方も変わらない…、私は奉行の所へ行きたいと申し出るが、それを聞いていた筑後守は苦笑し、私は筑後守、私が井上だと言い聞かせる。

牢の中の信徒達は謎めいた歌を歌いだす。

そして、雨の中でも穴を掘る作業を強いられる。

そんなある日、ロドリゴの牢に近づこうとしたキチジローは、裏切ったんじゃない!脅かされたんだ!と訴えるが、ロドリゴは相手にしなかった。

しかし、その後、牢に戻って来た信徒達に握り飯を持って来てやったロドリゲスは、キチジローも牢の隅にしゃがみ込んでいる事に気付く。

そんなキチジローの事をモニカは、井上様が我らを転ばすために入れたのかも…と疑う。

ロドリゴもキチジローを無視しようとするが、キチジローは告懺悔を聞いてくれと訴えて来たので、やむなく近づき、キチジローから漂って来た悪臭に顔を背けながらも、何故ここに来た?許しのためか?と問いかける。

一昔前までは、俺は予期キリシタンだった…とキチジローが言うので、まだ神を信じるのか?とロドリゴは聞く。

俺はこんな弱い人間だ。あんな事をした事を…、罪を取り去ってください。強くなる努力をします!とキチジローは訴えかけて来る。

ロドリゴは、この男には悪と呼べる程の価値もない…と思っていた。

その後も筑後守の尋問は続き、踏み絵はかるくで良い、形だけやれば即刻自由の身じゃとロドリゴに転ぶよう説得しようとする。

ある日、奉行所の庭先で、五木島のクボール長吉、春、藤兵衛、又一の4人に踏み絵を踏むよう連れ出される。

しかし4人とも踏まなかったのでまた牢に戻るよう命じられるが、長吉だけはその場に残るよう言われる。

その様子を自分の牢の中から見守っていたロドリゴは、祈りを聞いてくれて感謝しますと神に祈っていた。

ところが、その直後、長吉の背後から近づいて来た役人があっという間に長吉の首を斬り落としてしまう。

牢の中で見ていたモニカが悲鳴を上げる。

首は転がり、遺体は自分たちが掘っていた穴に引きずられて行き、そのまま埋められる。

これがキリシタンの行く道じゃと役人が冷たく言い渡す。

さらに、ふんどし一つの裸にされたキチジローが庭先に連れて来られるが、またあっさり踏み絵を踏んだので、失せろ!と追い払われてしまう。

ある日、筑後守は、ロドリゴを屋敷に招き、茶を煎れてくれる。

平戸に用があって不在だったと話始めた筑後守は、大名の話があると切り出す。

側室が4人いたのだが互いにいがみ合いが続くので、大名は4人とも追出して平和が訪れたと言う。

大名は日本と同じだ。

ポルトガル、イギリス、オランダ…、大名を賢いと思わぬか?と筑後守が問うので、教会では一婦制があります。

生彩を1人選んだらいかがでしょう?とロドリゴが提案すると、ポルトガルか?と筑後守は愉快そうに笑う。

そして、石女には真の妻にはなれない。

醜女の深情けと言うが、醜女が生彩になる事はない…と筑後守は言い、その場を立ち去る。

ある日、女宗徒達が牢から出され、ロドリゴも外に出されるが、今日は他所へ行くと牢番から言われる。

ロドリゴは着替える隙に、かくして持っていた十字架をズボンの中に押し込む。

3方を囲った陣幕の中に座椅子が用意されている浜辺に連れて来られたロドリゴは、隣に座った通辞から、今日は井上様は来ない。

今日は会わせたい人がいる。同じポルトガル人だと言われる。

そこへ近づいて来たのは、モニカら信徒数人と警護の役人達だったが、その中に混じっていたのはガルペ深奥だった。

彼と話したい!私がいる事は知っているのか?とロドリゴは聞くが、通辞は、奉行所の事は言えんと言いながらも、あんたが棄教して生きていると教えてある。

真のキリスト教なら棄教すべきだと思うと通辞は答える。

陣幕の中から様子を見ていると、モニカら数人の信徒が引き出され、身体に藁を巻かれ、小舟に乗せられる。

浜辺に残されたガルペは、私を身代わりにしろ!と叫ぶが、小舟は少し沖へでて停泊すると、藁を巻かれ身動きが出来なくなったモニカらを次々に海に投棄しだす。

耐えきれなくなったガルペは、自ら海に飛び込み泳いでモニカを助けようとするが、小舟に乗っていた役人は、棒でモニカの身体を沈めようとし、それを救おうとしたガルペも溺死してしまう。

それを見ていた通辞は、無惨な最期だ…、ガルペは潔かったが、お前は何も学ばない…、司祭の名に値しない…と嘲るように呟く。

中秋の名月の季節

再び奉行所の牢に入っていたロドリゴは、何も答えぬ神へ心の中で問いかけていた。

しかし神は何も答えてくれなかった。 そんなロドリゴの牢の前に来た通辞に番人が、お入りになりますか?と聞くが、その内にな…と通辞は答える。

ある朝、牢を出されたロドリゴは、潜行の匂いが漂い、読経が聞こえる仏教の寺に通辞と共に連れて来られる。

誰に会うのか推測しているのか?と通辞は意味有りげにロドリゴに話しかける。

井上様の支持だ、先方の望みでもあると通辞が説明するのを聞いていたロドリゴが見たのは、年配の僧侶とともに廊下を近づいて来る日本風の着物を着たフェレイラ神父だった。

フェレイラは、かつて日本で受けた拷問のときの事がフラッシュバックする。

目の前にやって来たフェレイラ神父を見たロドリゴは、神父!と口にするなり泣き出す。

諦めていました…、あまりに長かった…と感情が高ぶったロドリゴは、何か言ってください!と頼む。 しかしフェレイラは、何をこのような時に言えば良いのだ…と困惑する。

私を哀れむのなら、何か言ってください!とロドリゴが頼むと、1年程、この寺で学んでいるとフェレイラが答えたので、私は牢にいますとロドリゴが訴えると、知っているとフェレイラは言う。

あなたは我が師…とロドリゴが慕うと、今も同じ私だ。私はそんなに変わったか?とフェレイラは静かに答える。

すると通辞が脇から、沢野殿は医学と天文学の知識などを本にし、国の役になっておられると口を添える。

沢野忠庵とはフェレイラの今の日本名らしかった。

もう一冊書物がありそれは「献信録」と言って欺瞞の開示を書いたもので、お奉行様も良く出来ていると仰せだと通辞は言う。

フェレイラはロドリゴに、首の後ろを斬られたと自分の耳の後ろの傷を指しながら教える。

そして地面に掘った穴の中に首を入れる形で宙づりをされる。 頭に血が上って死ぬのを防ぐためだ…とその拷問のやり方を教える。

その後、踏み絵を踏むように強制され、フェレイラは踏んでしまったのだと言う。 お前は最後の司祭だ。逆さ吊りされるかね?と通辞が横からロドリゴに語りかけ、この国は沼地だ、根付かない…とフェレイラは言う。

日本人のために選んだ福音が大日だった。 神の太陽だ…と、空の太陽を見上げて言う。

イエスは3日で蘇ったが、神の太陽は毎日昇る…、人間を超える神なのだ…、間違った神かも知れないが、彼らは無のために死なない…、みなお前のためなんだ…、山河は変われども人は変わらないと言う意味の日本の言葉がある。

我々は、人の本性を日本で見つけたんだとフェレイラは言う。

それを聞いたロドリゴは、情けない…、恥さらしだ!もう神父とも呼べない!と絶望する。

私を宙づりにしろ!とロドリゴは吐き捨てる。

翌日、牢に入っていたロドリゴは、お奉行様がお呼びだと言われ出されると、又馬に乗せられ、引き回しされる。

その後、牢に戻ったロドリゴの前に、又キチジローがやって来て、お許しを!と詫びる。

フェレイラを呼んだロドリゴは、隣で番人が居眠りをしており、いびきをかいていると指摘すると、あれは信徒だよ、5人いるとフェレイラは教える。 ロドリゴは、その牢の壁に書かれた文字を見つける。

私がここにいた時書いたのだ。

私も意を決した…とフェレイラは教える。 ロドリゴが祈ろうとすると、更なる苦しみを与えるとフェレイラが言うので、消えてくれ!とロドリゴは頼む。

私も神に祈ったが役に立たなかった…とフェレイラは教える。

さあ祈れ、目を開けて祈れ!と言われたロドリゴが牢から出され見たものは、5人の信徒達が宙づりの刑を受けて呻いている姿だった。

お前は祈るが神は沈黙している。

転ぶんだ! キリストがここにいれば棄教するだろう…、主が愛する民のために!とフェレイラはロドリゴに語りかける。

形だけだ…と通辞がささやきかけ、踏み絵を踏むように勧める。

それで良い…、踏みなさいと神の声が聞こえたようにロドリゴは思った。

お前の痛みは知っている。

私は人の命を救うために十字架を背負ったのだ… ロドリゴはいつしか踏み絵を踏んでいた。

その瞬間、今まで見えていた神の姿は消え去ったように思えた。

通辞は、信徒達を拷問から解放してやる。

その後、町の宿の二階に住むようになったロドリゴは、下の道にいる子供達から転び!と罵倒される。

1641年 転んだロドリゴはフェレイラとともに、オランダの貿易商品の中から、キリスト教に関わるものとそうでないものの選別係をするようになっていた。

そんな中、主は、我らを軽蔑するものを愛せと言われた…とフェレイラが呟いたのを聞いたロドリゴは、今、主と言われましたね?と驚いて問いかけるが、フェレイラは何事もなかったかのように、聞き違いだと答えるだけだった。

その仕事は、沢野ことフェレイラが死んだ後、もう1人別な司祭が引き継いだ。

この頃までに、ロドリゴは彼なりに平安な日々を見いだしていた。

ある日、筑後守に呼ばれたロドリゴは、江戸で岡田三右衛門と言うものが死んだ。

本日からその名を名乗り、その女房を娶れと命じられる。

キリシタンと言うのはもはや役に立たない。

沼地には何も育たない。お前達が持ち込んだものは姿を変えたんだ…と筑後守は言って聞かす。

岡田三右衛門と名を変え、妻を持つ身になったロドリゴの住まいのも、時折キチジローが訪ねて来て、パードレ!と呼んだりする。

しかしロドリゴは、自分は背徳司祭でしかないと答える。

それでもキチジローは告悔を聞いてくれと迫るので、それは出来ないと断る。

私はあなたを裏切り、家族を裏切り、主をも裏切った…とロドリゴは心の中で考えていた。 私は苦しんで沈黙したのではない…と神の声が聞こえたような気がした。

ロドリゴは、心の中で神と会話していた。

彼ら転びは、定期的に心変わりしていないか取り調べられた。

岡田になったロドリゴもキチジローも、その後も踏み絵を平気で踏み続けた。

1667年

また取り調べを受けていたキチジローのお守り袋の中から聖画が見つかる。

キチジローは、賭けで勝ってもらったとか拾ったんだ!と主張したが、そのまま役人に連れて行かれる。

1682年

岡田になったロドリゴは、死を迎えた時まで、二度と神の名を口にしなかった。

3人の役人が見守る中、棺桶に入れられたロドリゴの死体に妻が守り刀を納める。

棺桶が家から運び出されると、妻は日本の作法通り、ロドリゴの茶碗を割る。

遺体は、日本の慣習通り火葬されたし、戒名も付けられた。

ロドリゴは背教者として焼かれた。 しかし、彼の心については神だけが知っている。

燃える棺桶の中のロドリゴの死体の脇には、誰が入れたのか小さな十字架が置いてあった。

虫の音
 


 

 

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