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真田十勇士

「真田十勇士」の話は、元々「立川文庫」などの講談から発生した物らしく、タイトルや登場キャラに聞き覚えはあっても、具体的にどう言う話なのかと言う基礎知識は意外とないような気がする。

「真田十勇士」に関連する映画化も昔からあり、その内何本か見た記憶があるのだが、どれも低予算のためか異色作や簡略版のような物ばかりで決定版のような作品がなく、基本的な話が見えにくかったような気がする。

そうしたわずかばかりの個人的な知識から漠然と想像するに、真田幸村に猿飛佐助や霧隠才蔵のような忍者や豪傑ら10人の家来たちがおり、これが豊臣方について大坂冬の陣などで活躍する…らしいのだが、この話に人気があった理由が良く分からない。

太平洋戦争を描く映画同様、豊臣方が戦に負けると言う歴史上の結果を知っているので、痛快になりようがないような気がするからだ。

滅び行く豊臣方に強い味方があったと言う「架空の援軍」を想像する事で「判官びいき」のような気分が味わえると言う事だろうか?

単純に、猿飛佐助や霧隠才蔵と言った忍術使いや豪傑キャラたちへの憧れなのか? だが、負け戦に参加したのでは彼らの活躍は期待できないのだ。

この映画もその例に漏れず、漫画的な手法を多用し、面白おかしく描こうとはしているのだが、歴史は変えようがなく、基本的には悲劇的な展開になっている。

ただ、さすがにそれだけでは後味が悪いので、奇想天外で意外なラストが用意してあるのだが、苦し紛れ…と言う印象がないでもない。

それは、この脚本に問題があると言うより、「真田十勇士」の話自体に基本的な無理があるからではないかとも感じる。

面白くしようとあれこれ工夫をしているのは分かるのだが、この基本設定では「面白くなりようがない」気がするのだ。

従来の「真田十勇士」関連映画は、予算の関係もあってか戦部分がきちんと描かれていない物が多く、それはそれで物足りないのだが、本作は、従来同様、予算のなさで全編を描くのが無理なため、十勇士が集まってくる前半部分をアニメであっさり省略してしまっている。

そして、見せ場を大阪冬の陣と夏の陣に置き、CGIなども加えて、従来の「真田十勇士」では描いて来なかった戦部分をたっぷり見せているのはそれなりに評価したい。

今まで見た「真田十勇士」関連の映画を思い起こすと、本作はそんなに悪い作品とは言えないような気もする。

ただ、本作もまた、ひねりにひねった「異色作」であって正統派の話には見えないので、この映画に本格的な時代劇を期待した人にとってはおちゃらけ過ぎていると感じるかもしれない。

個人的には本作で使用されたナンセンスと言うかおふざけ演出は嫌いではないので、それなりに楽しめた作品ではある。

キャスティング的には、全員、新解釈で今風のキャラクターになっているため、そう云うものだと割り切って見れるのだが、そんな中、淀君役の大竹しのぶさんだけは最期まで違和感が拭えなかった。

幸村とのロマンチックな関係を描くにしては、あまりにも老けた悪役顔過ぎて、恋する女性としての感情移入がしにくいような気がする。

失礼な言い方だが、演技力だけでは補えないものがある事が分かる。
▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼
2016年、「真田十勇士」製作委員会、マキノノゾミ+鈴木哲也脚本、堤幸彦監督作品。

松竹配給マーク

日活会社クレジット 日テレ会社クレジット

(絵巻を背景に)慶長5年

関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は、天下統一を目指していた。

しかし、大阪城には豊臣秀頼がおり、家康にとっては大きな障害だった。

関ヶ原から14年…、家康は大阪に攻め込もうとしていたのだった。

(アニメ)とある村にやって来た真田幸村は、小屋の中におみつと言う娘を人質に取って立てこもった男がいると聞き、自ら小屋の中に入り込むと、長宗我部のご落胤を騙り、村人から金を取ろうとしたらしいなと話しかける。

さらに、入ってくるんじゃねえ!と人質の娘を前に追いつめられた賊に、その娘を放してやれ、代わってわしが人質になる。

わしは真田左衛門佐幸村じゃ!どうじゃ?わしの方が身代金をたんまり取れるぞと幸村は持ちかけ、証拠として名刀村正を差し出してみせる。

それを聞いた賊は娘を逃がしてやると、さあ、煮るなり焼くなり、炙るなり、好きにしていろ!と開き直るが、身を委ねられた幸村は、ダメだ、どうにも策略が浮かばない、参った…と言うと、実は自分は名将などではないのだと打ち明ける。

それを聞いた賊は、世間ではそう云う噂だぜ…と意外そうにつぶやき、だったら本当の英雄になってみるってのはどうだ?まずこの猿飛佐助を子分にするんだなと幸村に提案する。

真田一勇士の文字 その後、佐助は3人の山賊に出会う。 その中の1人が、久しぶりだな、佐助!と声をかけて来る。

佐助と同じ久々津衆からの抜け忍霧隠才蔵だった。 かくして三好清海、三好伊三兄弟と才蔵の3人の山賊も幸村の家来になり「真田四勇士」になる。

やがて、幸村の屋敷に、槍の名手由利鎌之助が、仲間に加えて欲しいと訪ねて来る。

「この作品はアニメではありません、後数分後に実写の本編が始まります」とテロップが出る。

関ヶ原の生き残りと知った佐助は、そう云う人物がいた方が、謎の勇士が集まっていると噂が広がるに違いないと考え、あっさり仲間に入れる。

真田五勇士

酒の味を変えるために持っていたと言うと五十嵐の粉を目つぶしで使う浪人筧十蔵も加わり

真田六勇士

幸村の一子大助と、その剣の指南役だった望月六郎も加わり

真田八勇士

眼鏡をかけた真田家の勘定方海野六郎も佐助が、あれでも良いやと無理矢理仲間に加えると、これで9人! さ~て!世の中ずいぶん面白くしてやろうぜ!と佐助(六代目中村勘九郎)が見栄を切ると、実写キャラが絵の中に合成された画面に変化する。

霧隠才蔵(松坂桃李)三好清海(駿河太郎)三好伊三(荒井敦史)根津甚八(永山絢斗)海野六郎(村井良大)真田大助(望月歩)望月六郎(青木健)由利鎌之助(加藤和樹)らが夫々キャッチフレーズをバックに、絵の中の実写キャラとして登場。

最後に、変幻自在猿飛佐助!家康覚悟!と佐助が再び見栄を切り

「真田九勇士」のタイトル

淀殿(大竹しのぶ)は徳川家康との戦は避けられぬと感じており、我が子秀頼を守るため、名将の誉れ高い真田幸村に密書を送る。

大坂の町では、子供たちまでが真田九勇士ごっこをして遊ぶほど、その噂は轟いていた。

九度山真田家本陣 大坂から出陣を促す密書が届いたと聞いたが、そうじゃないのか?と佐助が幸村に問いただすが、幸村ははっきりした答えを言わないので、まさかこの期に及んで行かねえんじゃねえだろうな?と他の勇士たちは呆れたように聞く。

駿府城 大坂城に武将たちが集まったことを知った徳川家康(松平健)は、ならば天下を取る総仕上げじゃとつぶやき、椿の花を小刀で切断する。

かくして家康は、大坂城に乗り込むことになった。

慶長19年冬

間もなく戦が始まろうとしていた。

真田幸村も大坂城に入城すると、後藤又兵衛(佐藤二朗)や長宗我部盛親が挨拶して来る。

そんな中。又兵衛があまり侍らしいのはおらんのと真田の家来のことを蔑んだので、佐助はさっと又兵衛の頭上を飛び越え、塀の上に昇る。

周囲から頭を指さされた又兵衛が何事かと髪の毛を触ると、いつの間にか黄色い野菊が刺さっていた。

真田陣屋 幸村は、上田の合戦の武勇伝も世間では語り種になっているが、実は命からがら逃げ延びた先がたまたま徳川秀忠の陣地だっただけのこと…と事の真相を佐助に打ち明けていた。

全てはこの顔のせいじゃ、武者ぶりの良さじゃ、何をやっても希代の名将に見えてしまうのじゃ…、顔通いと言うのも辛いものじゃなどと幸村が真顔で言うので、横で聞いていた佐助は、言ってみてえ!とうらやむ。

会議を前に、どうしよう…と悩む幸村に、まあ、任しとけ!と佐助は安請け合いをする。 どんな嘘だって最後までつき通せば本当のことになるんだ。

何百年も嘘を突き通そうぜ!と佐助は幸村に言う。 その夜、真田陣屋から小さな文が外廊下に投げられ、それを拾い上げて素早く塀の上に逃げたのは、久々津衆の仙九郎(石垣佑磨)だった。

その頃、大坂の町では、九勇士を名乗ってちやほやされ、飲み食いさせてもらったり金をもらっている男がいた。

娘たちは、その男根津甚八(永山絢斗)の男振りに惚れたのか、泣いて別れを惜しむほどだった。

豊臣方 軍議の席 篭城すべきと言う意見が主流となっていた。

そんな中、幸村の顔の横に、天井からイヤホンのようなものが降りて来たので、幸村は周囲に気づかれぬようにそれを耳にはめる。

天井には、佐助と才蔵が潜んでおり、イヤホンの元の部分に付いた拡声器に、そろそろ後藤又兵衛が意見を求めるはずですと幸村に伝え、それに対する答えも教える。

その直後、佐助の読み通り、又兵衛が意見を幸村に聞いて来たので、幸村はイヤホンから聞こえてくるまま、そのような弱腰では戦に勝てません!されど、これだけの名城が負けることはないでしょう!などと自信ありげに答える。

その時、拡声器の横にいた才蔵が、一つだけこの城には弱点がある…南側の備えが薄い…とつぶやいた独り言が幸村に聞こえてしまい、そのまま指示の言葉として軍議の席で発表してしまう。

佐助は、予想外の展開に慌てるが、才蔵は慌てず、南の平野口に出城を造り…と拡声器に話しかけ、下にいた幸村は、その言葉を繰り返し、この左衛門佐に任せていただければ敵の進撃を必ずや食い止めてみせますると提案する。

それを聞いていた秀頼は、良く申した!築城のこと差し許すと幸村に言葉をかける。

出城に籠ればごまかせると佐助は才蔵に打ち明けながら、近くの森を散策していたが、その時、突如久々津衆から囲まれ、木の上から逆さまになった仙九郎が紐を伝って降りて来る。

仙九郎か、久しぶりだな…と佐助は挨拶するが、久々津の里を抜け出したものは葬るのが掟…と答えた仙九郎は、やれ!と仲間達に命じる。

そのとき、久々津の忍者たちにどこからか鉄の吹き矢が飛んで来る。

吹き矢を吹いた主は、木の上に潜んでいた久々津衆のくノ一、火垂(大島優子)だった。

何故邪魔する?と仙九郎が驚くと、この2人は私がやると火垂が言うので、みんな幼なじみじゃないか!と佐助は叫び、落ち着け、火垂!俺はお前をやりたくないと才蔵も呼びかける。

そのとき、もう良い!そこまでじゃ!と声がして、姿を現したのは、久々津衆の頭領で火垂の父親久々津壮介(伊武雅刀)だった。

しかし父上!と火垂は不満そうに言い返すが、もう良いと言ったのじゃ、才蔵!山賊に身を落としたと聞いたが、今は幸村の家来になっておのが名を売ろうとしておるのか?仙九郎、放っておけ!引け!と壮介は久々津衆に命じ、もはや再び相見えることもあるまい…、どうせこの戦、豊臣に勝ち目などありゃしめえ…と言い残して去って行く。

最後まで無視された佐助は、俺も元々久々津の抜け忍なんだけどな…とぼやいてみせる。

一ヶ月後 幸村たちは、出城を完成させていた。

砦の名は真田丸にしよう!きっと構成まで語り継がれることになるぜ!と佐助は愉快そうに言っていたが、そこに、御城下で悪さをしてたんだと言われた男が勇士たちに連れて来られる。

根津甚八だった。

しかし甚八は悪びれず、これっぽっちも悪いことなどしてねえから…、九勇士を名乗ればちやほやされただけ。 俺も元々は武士の出だが、その後運悪く百姓になっただけで、お前たちとの違いは運が良かったが悪かったかだけだ!と言い張るので、勇士たちがあざ笑うと、みんなで俺をバカにしやがって!と逆上した甚八は、勇士の腰の剣を素早く抜くとみんなに斬り掛かって行く。

しかし、佐助と才蔵がすぐに押さえつけ、甚八の刀を取り上げてみると刃は錆び付いていた。

才蔵が甚八の首を斬ろうとしたとき、ちょっと待った!と止めた佐助は、いっそのこと、おめえ、十人目の勇士になってみるって言うのはどうだ?素性が知れないのは我らも同じ…、九勇士じゃ語呂も良くないしな…と佐助が言うと、語呂って何だ?と聞くものあり。

わしは反対だ!と由利鎌之助は言い、才蔵も、また行き当たりばったりか!と怒って、短剣を地面に突き刺す。

ってことで、おめえが十番目だ!と佐助は根津甚八に声をかける。

そんな一部始終を側で見ていた幸村は、わしの意見はなしか…と寂しそうにつぶやく。

じゃあ、今日から真田十勇士と言うことで!と佐助が言うと、 「真田十勇士」のタイトルが出る。

大坂 慶長19年11月19日 徳川家康は駿府城を出発し、天下取りの総仕上げをするばく、張り切っていた。

かくして、20万の大軍勢が大坂城を取り囲み、冬の陣の火ぶたが切って落とされたのであった。

真田丸で迫り来る敵軍を待ち受けていた幸村は、いよいよじゃ、皆のもの、持ち場に付け!と命じる。

迫り来る白旗の徳川軍は、あれが出城か…とつぶやくと、真田丸を前に鉄砲隊を前面に出し、撃て!と命じる。

しかし、銃弾を浴びた真田丸には何の変化も見えないので、さては臆して逃げおったか…、行き掛けの駄賃にこのまま攻め落としてしまえ!と徳川方は真田丸に迫る。

十分的が近づいたと判断した幸村は、放て!と命じ、それを合図に、真田丸側も銃を撃ち始め、大きな石を転げ落とす。

さらに、油の詰まった樽を転がり落とすと、佐助が煙玉を油目がけて投げつけ爆発させる。

しかし、徳川軍も撃ちかえして来て、真田丸の城門を破られる。

砦の中で応戦した真田大助は肩口を敵に斬られてしまい負傷する。

そんな中、空を滑空して来るムササビのようなものが出現する。

マントを使って風に乗り、空を飛んで来た才蔵だった。 才蔵は飛びながら敵に接近すると、カマイタチのように斬ってゆく。

破られたもんから徳川軍の一部が侵入して来たので、十勇士たちは散り散りになるが、佐助は敵の首を斬って行く。

さらに、砦の斜面をよじ登ってくる瀧は、綱で身体を縛った由利鎌之助が槍で上から突いて行く。

徳川軍は敗退し、大将の首を取れ!と勇士たちの意気は揚がるが、もう良い、深追いするな…と幸村が諌める。

本陣で戦を見守っていた家康は、真田め…、なかなかやりおるわい…、引け!と一旦退却を命じる。

まずは戦に勝利し、その夜の勇士たちは酒や飯を飲み食いし、上機嫌だった。

中には、人を斬るって案外簡単だな…などと言う意見を言うものもあった。

そんな中、肩を負傷した大助に近づいた甚八は、よお、若さま、怖かったんじゃねえのか?これから当分、怪我したおかげで戦わずにすむな…とからかって来る。

それを武士の情けで知らん顔してやってるんだと甚八に言う。 それを聞いた甚八は、みんなでバカにしやがって!と逆上し、その場を逃げ出す。

しかし大助は、あやつの申す通りだ、怪我のおかげでしばらく戦をせずにすむと、正直ほっとしたのは本当だと明かす。

それを聞いた鎌之助は、戦が怖くないものなどおりませんよ…、しかし、それより他の生き方をしらぬ…、二度と戦などしとうないと思うていても、又戦が始まると出かけて行く…と答える。

(回想)9ヶ月前 これで二度目じゃの…、そなたの元へ忍んで参ったのは…と、幸村に会いに来たのは淀君だった。

お方様のなさることには度肝を抜かれます…と幸村は恐縮していた。 あの夜、妾は正直に申したのだ…、一目見たその時から、妾はそなたのことを慕わしゅう想うておった。

凛々しき顔…、たくましきこの胸…と言いながら、幸村に寄り添った淀君は、右手を幸村の襟元から差し込むと、これが天下の名将と呼ぶにふさわしい男じゃと…と言うと、そなたはどうじゃ?妾の事をどう思う?と問いかける。

しかし、身を固くしただけの幸村は、某はお方様のおぼしめすような物ではござりませぬ…と答えるだけだたので、まあ良い、そなたが妾の思うた通りの男である事を、大阪の地で満点かに知らしめよう…、妾はそなたにために二度も恥をかかされた…、女子に二度も恥をかかせる物ではない!と淀君は言い残し、お供の者と帰ってゆく。

幸村は、御意とひれ伏しただけだった。

(回想明け)佐助は才蔵相手に、明日は全力で落としにかかって来る…と家康側の動きを予測していたが、そこに現れたのは火垂だった。

火垂は、あんたたち、何故里を抜けた?と聞いて来たので、忍びの暮らしよりも、もっと面白えことをしたかったのさと佐助は答える。

すると火垂は、何故私を連れて行ってくれなかった?私の気持は変わっちゃいないよ…と才蔵に詰め寄り、恨みがましく聞いて来る。

だから良いの…、私の手であなたを殺す!私が誰かに殺されることになっても、やっぱりあんたに殺して欲しいのさ!と才蔵に告げると、一つだけ教えてあげる。

この戦、大阪川は絶対に勝てない!と言う。 それを聞いた才蔵が、根拠は何だ?と聞くと、私が絶対と言ったら絶対なの!と言うだけなので、俺は誰にも殺されない。

お前にも殺されないと才蔵が言うので、バカ!と捨て台詞を残した火垂は去って行く。

翌日 徳川家康は、あのこしゃくな真田の出城、完膚なきまでに叩き潰すのじゃ!と命じ、家来たちが一斉に鬨の声を上げる。

所詮の出ばなをくじかれた徳川軍は、その日も馬に乗った由利鎌之助らの活躍によって敗退する。

その様子を見ていた大助は、凄い!父上の企んだ通りです!と感激する。

次の言ってはこれだ!とばかりに、煙幕弾を付けた矢を飛ばす。

その時、城壁の一角八丁目口が爆発したのが見えた。 火薬庫が誤って爆発したのだと後藤又兵衛が言う。

崩れた城壁部分から、徳川方が城内に進入して来る。

徳川軍の大砲が放たれ、大坂城の天守閣の一角が破壊されるが、その後は佐助が煙玉で大砲の弾を撃ち落とす。

そうした戦の様子を、金髪の仙九郎が興味深そうに監視していた。

八丁目口周辺には屍の山が出来、家康は全軍撤退の命を出す。 かくして激しい戦闘は終わった。

大阪方の大勝利であった。

その後、軍議に出席した幸村は、皆のもの、このたびの働き、誠にご苦労だったと秀頼からねぎらう。

家康もらちがあかぬので和議を申し込んで来た…と秀頼が言うのを、天井裏から聞いた才蔵は、条件を聞け?とイヤホンを使って幸村に伝え、幸村がそれを秀頼に問うと、大坂城の堀を埋める事じゃ、石垣を少々崩せば良いなどと言うではないか。

その時、驚いた幸村の耳に付けていたイヤホンが外れてしまい、聞いていた他の家臣たちは一同に、それでは和議とは思えぬ!と気色ばむ。

しかし、案じるではない!家康様を信じ、一刻も早く戦を終わらせるのじゃ!と淀君の鶴の一声で、一同は何も言えなくなってしまう。

そうした淀君の話を聞いた才蔵は、堀を埋めたら俺たちに勝ち目はない…と真田丸に戻って来てつぶやく。

先日の八丁目口の爆発も、味方の中に敵に内通しておる者がいるんじゃねえか?と才蔵が疑うので、十勇士は腹ん中はきれいな奴ばかりなんだ!と佐助は反論する。

そこにいた甚八から、何故仲間にした?と聞かれた佐助は、面白えからに決まっているじゃねえかと答えるので、なあ、何が面白いんだ?と才蔵が真顔で聞き返すと、嘘はばれちまうから嘘なんであって、とことんまで突き通せば本当になるんだ!偽もんが本物になるんだ!面白えじゃねえか!どうせつくなら天下相手のでっかいのつこうぜ!そうすりゃ、もっと面白えだろう?と佐助は言う。

そうじゃねえだろ?背格好が秀頼に似ているから、いざとなれば影武者になるだろうって言うだけなんだろ?それが嫌なら、どこへでも行っちまいな!と才蔵が言うので、それを聞いた甚八は黙って立ち去ってゆく。

才蔵は佐助を殴りつけると、何が真田十勇士だ!天下相手に嘘をつくだ!みんなを騙しただけだろう!おめえの行き当たりばったりの嘘に付き合わされるのはまっぴらだ!おぬしとは違う!と吐き捨てる。

しかし佐助は、違うもんか、同じだよ…と才蔵に笑いかける。

12月29日

大坂冬の陣は幕を閉じた。

堀の埋め立てに関しては、20年の正月までに全て完了した。

これで又もし戦になるようなら、もはや勝てぬでしょう…と言う秀頼に、総大将が何を気弱な事を仰せです。ご案じなさいますなと淀君が諌める。

夜 真田丸に又火垂がやって来て、矢文を撃ち込み、それがあんたたちが絶対勝てない証拠さと言う。

その内容を読んだ才蔵は、これは!と驚く。

分かったら、さっさと大坂の地から立ち去りな!二度と近づかぬ事だと火垂は忠告する。

その後、大坂城に忍び込んだ佐助は、天井の梁の上から幸村様の使いの者ですと声をかけ、淀君と対面する。

そして、言いづれえな〜…と前置きした上で、ずっ〜っとお方様の事をお慕い申し上げておりましたとさ、一目見た時からずっと…、正直、どうでも良いけどさ、おいらには…と伝える。

それを聞いた淀君は、そうか…、とうとう申してくれたか…と言うと、感極まって泣き出す。

佐助は、ほら泣いちゃったよと動揺し、幸村様に伝言は?と聞くと、妾の方こそ、もはや左衛門佐に想うてもらうような女ではないと…、今はこれが真実、真の気持…と淀君が答えたので、だとしても、おいらには言えねえな…、あんたが泣いて喜んだとだけ伝えといてやるよと言う。

そうじゃ…、それで良い…と淀君が言うと、佐助は天井裏に消えて行く。

3ヶ月後の慶長20年3月

家康は討伐軍を興した。

大坂城に浪人を集めているのを謀反の証と言う事がその理由だった。 主力の18万人が大坂に向かい、怒濤の進撃を続けていた。

軍議の席で幸村は、これ以上媚びる事はありません…もはや是非は及ばず、太閤様の御心に沿うよう1人の武士となる所存ですと、イヤホンなしで発言していた。

それを聞いた後藤又兵衛も、ならば行くべき道は一つ!と答えていた。

5月6日 夏の陣の始まりである。

馬上で戦っていた後藤又兵衛は落馬し、背後から槍を貫かれた直後、首を切られ絶命する。

茶臼山 本陣 根津甚八は、船上に連なる死体の山を見て怯え切っていた。

夜、真田丸の中にいた才蔵は佐助に、今度ばかりは厳しい戦になるぜ…と話しかけていた。

佐助も、みんな、覚悟してるさ…と答え、他の勇士たちも、明日が最後の戦か…、これが最後の戦と言う事か…、1人であの世でも酒盛りしているさ…とめいめいつぶやく中、由利鎌之助だけは、拙者にとって格別の感慨はござらぬ…、生まれ変われるなら、戦のない世に生きとうござる…と本音を漏らす。

幸村様に最後に一花咲かせてやりたいんだが…と佐助が言っている所に、当の幸村がやって来る。

すると大助が幸村を避けるように去って行ったので、それを見た幸村は、あいつはしばらくそっとしといてやってくれと勇士たちに頼む。

何があったのでございますか?と勇士たちがいぶかって聞くと、全てを打ち明けたのじゃと幸村が言うので、打ち明けたって…まさか!と驚く。

天下の名将などとんでもない、この軍略は全て佐助と才蔵が考えてくれた物じゃ。みなにも黙っていてすまなかった…と幸村は詫びる。

そこにやって来た大助は、父上!私には分かりませぬ。

左様な忌まわしき話をなぜ今生の別れの時になされたのです?私は父の子に生まれた事を端と思いますと幸村に問いつめる。

すると幸村は、聞け大助、皆のものも聞いてくれ、わしはのう…、明日生涯最後の1日だけ、佐助の言う本物と言う物になってみようと思う。

わしは明日、家康と刺し違えてやろうと思う…と言いだす。

毛利殿に側面から攻めてもらい、敵が動揺した隙に、我が真田は敵の本陣へ突っ切る…どうだな?わしの軍略は?と幸村は自分で初めて考えた案を全員に示す。

それを聞いた佐助は、すげえよ幸村様!と感心し、電光石火で突っ走れば勝機はありましょうと才蔵も太鼓判を押す。

大助はわしの後に続け!わしが討ち取り損ねた時は、おぬしが家康の首を取るのじゃと幸村は言い聞かすと、我々の手で家康殿の御璽を頂戴しようぞ!と激を飛ばす。

その言葉を聞いた大助は愕然とし、父上の御心も知らず、ご無礼の数々お許しくださいと詫びる。

もう良い、大助…と答えた幸村は、みんなと共に酒宴に加わるが、何じゃ佐助、何を泣いとる?と気づく。

嬉しくてさ…、何だよ…、やればできるんじゃねえかよ…と佐助は照れたように答えるので、まあな…と笑った幸村は佐助と盃を合わせる。

その後、ある人物が真田丸の外で仙九郎から、真田の様子はどうだ?と聞かれていた。 しかし、その人物は、悪いが拙者は断りに来た。

もちろん金は返すから、あんたとはこれっきりだと答えるが、そう云う訳にはいかないんだと仙九郎は迫って来る。

その時、どこからともなく小柄が飛んで来て、仙九郎!ここは退け!と声をかけて来たのは才蔵や佐助ら勇士たちだった。

首を洗って待ってな…と言い残し仙九郎が去るが、近づいて来た仲間達に、言い訳はせぬと答えたのは筧十蔵だった。

八丁目口の爆破も御主か?と聞くと、そうだ…と十蔵は答え、死を覚悟していたように、遠慮なくやってくれと頼む。 良い覚悟だと言いながら才蔵が小刀を抜いて十蔵に近づくと、突然笑い出したのは佐助だった。 こうなると、何が本当で何が嘘か分かんねえよ。

筧十蔵が敵と通じていたのも嘘ってことにしようぜ。どうよ? おめえは裏切り者じゃねえ、おめえは明日の十勇士さ、そうだろ?と佐助が言うので、十蔵の首に小刀を突きつけていた才蔵は諦め、小刀を地面に投げつけ、確かに九勇士だと語呂が悪いと答える。

だってさ!と佐助がみんなに伝えると、勇士たちは全員愉快そうに笑い出す中、語呂って何や?と又聞くものあり。

明けて7日

16万の軍勢が近づき、いよいよその時が来た。

家康の本陣は我らが正面!目指すは家康の首ただ一つだ!と幸村が檄を飛ばす。

白旗の家康軍は、迫ってくる幸村の軍に対し、十分引きつけておいてから大砲を撃って来る。

幸村の馬に並走していた海野六郎がやられたので、今日までの重任大儀であった、三途の川にて待て!と幸村は馬上から声をかける。

海野は、御意!と答え絶命する。

それを見た佐助は、海野!と絶叫する。

その直後、白と黒との段違いの旗を付けた毛利軍が横から家康軍に攻め込む。

殿様!毛利様が攻め始めたようじゃ、家康の本陣が丸見えです!と佐助が声をかける。

体形が乱れた家康軍の中央を突破しながら、家康の首、貰い受けに参った!と声を上げる幸村、その背後に馬を付けてくるのは大助だったが、この小童!と敵から突かれ落馬する。

そこに駆けつけたの望月六郎で、早く家康を!と呼びかけながら援護しだしたので、急ぎ馬に乗った大助だったが、その間に望月は斬られてしまう。

それに気づいて躊躇する大助に、お行きくだされ!と叫んだ直後、望月六郎は敵の馬にはね飛ばされ絶命する。

由利鎌之助の槍も折れ、もはやこれまで!拙者も楽しゅうござった、おさらばでござる!と絶叫し、幸村と大助親子が家康の本陣目がけ馬を走らせる中、息絶える。

そんな中、敵と斬り合っていた筧十蔵が何者かに刺されたので、家康軍にやられたかと思い振り向くと裏切った仙九郎であった。

筧十蔵も又絶命する。

そこに、マントをムササビのように翻し、風に乗って飛んで来たのが才蔵で、才蔵!今度こそ覚悟せい!と斬り掛かって来た仙九郎を追いつめ、側にあった木の尖った柵に仙九郎の身体を突き刺して殺す。

佐助は煙玉を投げながら、殿!早う!と叫ぶが、側で燃えていた盾の火が身体に引火し、下半身炎に包まれながらも敵に突っ込んで行く。

家康!大御所は何処!と叫びながら進んでいた幸村だったが、本陣から無数の矢が飛んで来る。

何本もの矢が突き立った幸村は落馬する。

その時、近くにいた佐助が、馬印だ!近いぞ!と幸村に知らせる。

少し小高い丘の上に座した家康を発見した幸村は、家康、見つけたり!と叫ぶが、本陣の全面は木の柵で覆われていた。

その柵を押し倒しながら、行くぞ、大助!と息子に呼びかけた幸村は、お命頂戴!家康!そこを動くな!と絶叫する。 空はにわかにかき曇り、渦を巻くように怪しげな雲海がうごめき出す。

本陣では鉄砲隊が家康をかばうように前に出て、撃って来たので、思わず大助!と息子をかばおうとした幸村は背中を撃たれる。

二刀流で戦っていた佐助も剣が折れていた。 その時、雨が降って来る。

父上!と倒れた幸村に掛けとった大助だったが、わしに構うな、行け!と幸村は命じる。

その言葉に従い立ち上がって敵に向かおうとした大助だったが、父と同じく銃弾に倒れる。

大助!と背後から支えようとする幸村に、父上、お供が出来て大変嬉しゅうございました…と言い残し、大助も絶命する。 大助〜!と天に向かって絶叫する幸村に、家康軍が攻め懸かろうとするが、その時大爆発が起きる。

佐助が投げた煙玉だった。 幸村様!大助様!と2人に駆け寄る佐助。 本陣内では、こしゃくな!と佐助に向かおうとした配下たちを、待て!と止める家康。

ここまでじゃ…、佐助…、やはり本物にはなれなかったな…と、今際の際の幸村が言うと、なに言ってるんだよ!あんた立派な本物じゃねえか!と佐助が呼びかける。

佐助…、楽しかったぞ…と幸村が言うので、殿!と抱きしめた佐助だったが、最後の力で側に落ちていた刀を握って佐助に示すと、秀頼様とお方様をお守りするのだ…、頼んだぞ…と言い、幸村もまた絶命する。

殿〜!幸村様〜!と絶叫する佐助。 その様子を上から見ていた家康は、真田幸村は真の武士じゃ…とつぶやく。

幸村の元に才蔵たちも駆けつけて来る。 幸村たちが壮絶な最期を遂げたこの日、豊臣軍の敗北が決した。

その後、大坂城に忍び込もうとした佐助は、待ち受けていた火垂に襲撃されかけたので、戦いたくねえな…と言うと、実は才蔵の伝言を預かっているんだ…、俺をやったら聞けねえぜと意味有りげに佐助は火垂にささやきかける。

その後、大阪城の天守閣に入り込んだ敵軍は秀頼の姿を探し求めていた。

その秀頼と淀君を大坂城内の火薬庫で待っていた佐助の元に連れて来たのは才蔵だった。

甚八の奴はどうした?逃げたんじゃねえか?と佐助と才蔵は言葉を交わす中、お二人にはこの中に入ってもらうと、大きなつづらを示した佐助は、そして徳川の兵にまぎれて運び出すと計画を話す。

その前に俺にはこの女に用がある。この女は家康と通じてやがったんだぜ!と才蔵が指差したのは淀君だった。

才蔵から手渡された文を読んだ佐助は、何てこった!と驚くと、家康からあんたの母上に送った密書の写しだよと秀頼に教える。

自分に歯向かおうとする奴を一カ所に集めて、一挙に潰そうと言う計画に手を貸したのがあんたの母親ってことだと言う佐助の言葉を聞いた秀頼は、母上!と驚いて見つめるが、その通りじゃ…、秀頼公だけは、あのタヌキに渡すわけにはいかなかったのじゃ…、そなたの命さえ助かるなら、他の者の命が奪われても構わぬ…、その罪で地獄へ落とされようと…、それが子を持つ母と言うものじゃ…と淀君は答える。

ここで死んでもらおう!でなきゃ、気持が収まらねえ!と才蔵が刀に手をかけようとすると、んなことはさせねえ!この人は幸村様が惚れた女だ!と佐助がかばおうとする。

その時、そこまでじゃ!見書の秘密を知られたからは全員生かして置けぬ…と言って姿を現したのは久々津壮介と徳川軍の武将、そして部屋の物陰に潜んでいた久々津の一党が出て来る。

しかし、その忍者たちに吹き矢が飛んで来る。 何奴!と久々津壮介は探すと、誰にも才蔵の邪魔はさせないよと言いながら、扇形の吹き矢を持った火垂が出て来ると、才蔵、やっちまいな!とけしかける。

それを聞いた才蔵は、ありがてえ!と答え、抜け!佐助!と呼びかける。

どうしてもやるのか…と佐助は気が乗らないようだったが、その時、待ってくれ!私が死んでみんなに幾重にも詫びよう!だから母上は助けてくれ!と秀頼が懇願して来る。

しかし才蔵は、んな事はどうでも良いんだよ!と言うなり、側にいた淀君の首を斬り、さらには秀頼も斬り捨てる。

それを見た佐助は逆上したように刀を抜き才蔵に向かう。 才蔵は、生き残っていた仲間達も斬ると、佐助と組み合い、互いの首を同士討ちの形で斬り合う。

才蔵!と倒れた2人を見た火垂は叫ぶが、徳川の武将は笑い出し、これは手間は省けたと言うものだと嘲る。

久々津壮介は手下たちに部屋に火を放たせる。

そんな中、火垂はここで才蔵とともに逝きまする…と言い、才蔵から離れぬ娘の姿を見た久々津壮介は、それほどまでに才蔵の事を…と哀れむ。

しかし武将が、何を甘い事を…と言うので、恥ずかしながら不肖の我が子が生涯にただ一つ、命を捨てると申しております…、哀れとおぼしめしてこの場は…と久々津壮介は詫びる。

どうせ間もなく木っ端みじんじゃと武将が嘲るので、退け!と手下たちに命じた久々津壮介は、父上!と呼びかけた娘に、火垂!愚かな奴め…と火垂に言葉をかけ、立ち去ってゆく。

火薬庫に火が回る中、才蔵〜!と叫びながら才蔵の身体を抱きしめる火垂。

そして才蔵にキスをした時、死んでいたはずの佐助がむっくり起き上がり、巧くいったな!甚八、名演技だったぞと言うと、秀頼の格好をしていた甚八も何事もなかったかのように起き上がり、秀頼様は?と聞く。

薬で眠っている…と丹下才蔵も起き上がり、火垂、助かったぜと礼を言う。

幼なじみのよしみさ…、あんたの伝言も聞いたからさ…と火垂が嬉しそうに言うので才蔵は面食らうが、それに気づいた佐助は、急がねえと木っ端みじんだぜ!と呼びかける。 秀頼様、おさらばでございます。

いつまでもお健やかに…と、大きなつづらの中で寝ていた本物の秀頼に騙りかけたのは、これも生きていた淀君だった。

倉庫内の堀に繋いであった船につづらを乗せた佐助は、一緒に行かないつもりなのかよ?と声を掛けると、死んで行ったものに一死を持って詫びねばならぬと淀君は言い、その場に正座すると合掌する。

淀君の覚悟を知った佐助は、良し急ぐぜ!とみんなに呼びかけ、小舟を漕いで外へ抜け出す。 一人火薬庫に残った淀君の目には、幸村の姿が見えていた。

火に包まれた大坂城を家康は見守っていた。 同じく、燃え上がった大坂城に動揺しながら注視する大阪の町民たちの目をくぐり、変装した佐助たちの船は川を下って海に出て行く。

この日を持って、千石と呼ばれた時代は、そのページを閉じたのだった。

その後、西に向かう帆船の甲板に乗っていたのは秀頼と佐助だった。 明日には高松、そして備前小倉に向かい、陸路で四日かけて薩摩に向かう。

又、母上の事を考えておるのか?ご立派な最期だったぜ…と佐助から聞かれた秀頼は、佐助とやら、例を申すぞと答えたので、良いって事よと佐助も鷹揚に返す。

しかし秀頼は、ただ、母上の事を考えてなどはおらん、芋の事だ。薩摩と言えば芋だからな…、早く食ってみてえよ…などと言い出したので、佐助は目の前にいるのが、秀頼の影武者姿のままの甚八である事に気づき、担がれたと怒る。

その時、船倉から出て来た才蔵が、佐助!お前、火垂に何を吹き込んだ!と詰め寄って来る。

あいつ、いっその事俺の女房になる気は…ねえな?それならいつでも命賭けられるからな…などと佐助がごまかしていると、あれは嘘だったの!と火垂が怖い顔をして、船首部分から才蔵に吹き矢を向けたので、全部言った、確かに言ったと才蔵は苦し紛れの嘘を言い、本当にもう、何が本当で何が嘘なのか!と嘆く。

佐助はそんな2人の喧嘩を見ながら笑い出す。

エンドロール

その画面左側に、佐助たちのその後が、マンガ形式で描かれる。

彼ら一行は、薩摩桜島で芝居を始めると、これが大評判になるが、それも長くは続かず、そこに現れたのが久々津衆、佐助たちは琉球に渡り、そこで琉球空手の達人と合流、するとまたもや久々津衆の追っ手が現れたので、逃げた先はルソン。

そして、上海では海賊相手に青龍刀の豪傑と合流。

やがて彼らは日本の天草に再上陸 秀頼は天草四郎と名乗り、幕府群に囲まれる。

すると佐助は…
 


 

 

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