杉浦日向子の同名漫画原作らしいが、あいにく原作は読んでいない。 江戸の四季を背景に、怪奇現象に遭遇する北斎とその娘お栄、居候善次郎トリオのエピソードがいくつか繋がれている。 そこに、生まれつき目が見えず病弱な妹お猶が絡み、薄情そうで気が弱い北斎と娘2人との奇妙な親子関係が語られて行く。 怪奇幻想アニメとしても楽しめる一方で、北斎の人間臭い一面、その天才の娘として青春時代を送るはめになっているお栄の複雑な心情などが興味深く描かれている。 全体的には大人向けの淡々とした展開で、子供が期待するような大きな事件や見せ場はないが、幻想や絵に興味がある者にはたまらない魅力がある。 お栄のキャラクターも面白い。 原監督は実写作品「はじまりのみち」(2013)が凡庸な出来だったので、その後が案じられたが、やはりアニメは安定した力を感じられ安心した。 大人向きの佳作だと思う。 |
▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼ |
2015年、「百日紅」製作委員会、杉浦日向子原作 、丸尾みほ脚本、原恵一監督作品。 人で溢れる江戸の町並み 両国橋の上にやって来たお栄(声-杏)は、ヘンチキがおりまして…、12丈敷きの紙に布袋を書いたかと思うと、米粒に雀を描いたり… 鉄蔵、絵師の葛飾北斎という方が通りは良いかも… そのヘンチキが俺の父ですのさ…と考えていた。 その時、橋の中央付近で熱心に風景を描いていた青年絵師が、お栄に気づき、近づこうとした時、奇妙な顔になって立ちすくんだので、お栄は関わりになるのを避けようと、そのまま通り過ぎるが、立ち尽くしていた青年絵師は、犬のクソを踏んだ~…と喚いていた。 文政11年 夏 誰だい?と家の中から声をかけたのは、お栄の母親こと(声-美保純)だった。 オレ…と答えながら家の中に入ると、お栄か…とことは気づく。 弁当買って来たよとお栄は、2人分の弁当を出し、ことと二人で食事をする。 お猶に会いに行ったんだって?姉ちゃんに金魚買ってもらったって行ってたよ、見えないのに、見えるって…とことが言うと、お母っさん、俺こっちに住もうか?とお栄は言い出す。 そうしてもらうと嬉しいけど…、けど、お父っつあんが…とことが案ずるので、鉄蔵なんて半分になっても生きていけるよなどとお栄は父親の悪口を言う。 縁側に座ったお栄は、百日紅が咲いたね…、もりもり咲いたね…、長い祭りが始まるね…と呟く。 タイトル 鉄蔵は掃除、整頓などに無頓着で、部屋が汚れりゃ、引っ越せば良いと言う考えだったから、部屋は散らかり放題 酒も煙草も飲まない鉄蔵だったが、枕絵を描くと言うことは、女は好きなようだ… その日、鉄蔵(声-松重豊)は、依頼品である大きな龍の絵を完成させようとしており、お栄は、その側でキセルを吸っていた。 いよいよ絵が完成し、鉄蔵が、名前を書き入れている最中、お栄は、飛んで来た虫を追い払おうとして、吸っていたキセルのタバコの火を龍の絵のど真ん中に落としてしまう。 それに気づいた鉄蔵は、名前の最後の部分を書きかけていた筆で、絵を自ら汚してしまう。 そこに、差し入れ弁当を持った依頼人の遣いの侍(声-藤原啓治)がやって来て、龍の絵が出来てない事を知り驚愕する。 お栄は、大の月も後1日あるので、明日出来ているかもなどと曖昧に答え、依頼人を追い返す。 鉄蔵は、依頼人が置いて行った差し入れを喰いながら、明日たって…、俺は描かないぜなどとぼやく。 そこに酔って帰って来たのが、元侍だったらしいが、何かことを起こして鉄蔵の居候になった善次郎(声-濱田岳)で、版元で会ったと言い、善次郎を兄いと呼ぶ見知れぬ男を引き連れて来る。 見知らぬ男は、歌川国直(高良健吾)と名乗ったので、連れて来た善次郎の方が驚く。 国直と言えば、最近、大した人気の絵描きだったからだ。 しかも、年は19で、善次郎より4つも下だと言うことまで分かる。 国直を妬んだのか、善次郎は国直に無理矢理弁当を食わそうとするが、机に向い絵を描いていたお栄は、そんな騒動をうるさそうに振り返ると、国直を観て、あ!犬のクソ!と驚く。 両国橋の所で会ったあの青年絵描きだったからだ。 国直の方はお栄を鉄蔵の娘と知っていたらしく、両国橋で時々お見かけしてましたと挨拶する。 そして、図々しくも、お栄が描きあぐねていた龍の下絵を覘くと、龍の絵は要領がありやす。降りて来るのを待って、来たと思った時に一気に描くんです。もっともこれは唐の物語でさぁ…などと講釈を垂れたので、先生の前で!と頭に来た善次郎が飛びかかり喧嘩になったので、お栄は、思わず、出てけっ!と鉄蔵、善次郎、国直の男共を家から叩き出す。 追い出された男共は、飲み直そうと言うことになり、狐のような顔をした女がいる飲み屋の二階に上がる。 国直が、自分は信州で龍を観たなどと言い出したので、そりゃ竜巻だろう?と善次郎はバカにする。 するとそれを聞いていた鉄蔵が、俺も見た。雲の中に爪や目もはっきり観たなどと言い出し、善次郎の絵のまずさを説教し出す。 そんな3人の会話に狐顔の女が加わろうとしたので、善次郎は、この爺は北斎先生よと教えるが、狐顔の女は噓ばっかりと信用せず、鉄蔵の頭を叩く始末。 鉄蔵も噓さ!と苦笑する。 そんな飲み屋の外では、子犬が強く吹き付けてきた風に向かって凛々しく立ち、空を仰視していた。 空には雲が重く立ちこめ、その中から龍がゆっくりと降りて来る。 翌日、飲み屋の二階で目覚めた善次郎は、後片付けをしていた女中から、お連れさんは明け方に帰りましたよと教えられ、慌てて家に戻る。 すると、新しい龍の絵が完成しており、お栄と鉄蔵が寝ていたので、お栄の寝顔を覗き込むと、何だい?とお栄は聞いて来る。 入口では、子犬が中を覗き込んでいたので、おめえも物好きだな…、こんな所に…、おいらと一緒って訳か…とぼやきながら、子犬を抱き上げてやる。 ある日、尼寺にやって来たお栄は、庵主の手に引かれて来た妹のお猶(声-清水詩音)に会う。 庵主の許可を得て、久々にお猶を外に連れて行ってやろうと思ったからだった。 庵主は、お栄の頬に墨が付いていると指摘する。 お猶の手を引いて外に出たお栄は、どこに行きたい?と聞くと、お猶は橋!と言うので、両国橋に連れて行ってやる。 橋の上に立ったお猶は、歩く人の足音や物売りの声など、色々聞こえて来る音や匂いを聞いて楽しそうだった。 お栄は、買って来たおこしを渡してやる。 それを食べながら、父さん、ぜんぜん会いに来てくれないね。俺のような身体じゃ親孝行できないから、地獄へ行くのかなてンなどとお猶が寂しそうに言うので、鉄蔵は臆病だからなとお栄は弁解する。 そんなお栄に声をかけて来たのは、前は魚屋だったと言う絵描き仲間のとと屋初五郎(筒井道隆)だった。 初五郎は、最近のお栄さんの描く美人画凄いね、萬字堂も褒めてたよ…と言うと、そっと手ぬぐいを差し出し、美人が台無しだよと言うと去って行く。 顔の墨を拭えと言うことだったと知ったお栄はぽっと赤くなる。 お猶は、今の人優しそうな人だったね。姉ちゃん、いつもと違ってたねと鋭いことを言って来たので、そんな事ねえよ!とムキになったお栄だったが、そうだ!船に乗るか?と話題を変える。 船に乗ったお栄は、どうだ、気持ちよいだろう?橋の下潜るぞ!などとお猶に話しかけ、やがて、お猶の手をとって水の中に入れてやる。 恐いか?と聞くと首を振ったお猶は、このまま行くとどこに行くんだ?と聞くので、海だと教えたお栄は、鉄蔵も絵に描くぞ。大きな波が来たら、こんな船なんか一飲みだ!と脅かす。 2人が乗った船は、鉄蔵が描いた「神奈川沖浪裏」のような波に遭遇する。 その頃、自宅にいた鉄蔵は、善次郎に鼻息で蝋燭の火を吹かせたり、顔の皮膚を両方に引っ張らせたりして、そのひょうきんな表情を写し取っていた。 いい加減にして下さいよと善次郎がモデルを嫌がるので、鉄蔵は描くのを止めるが、その時、善次郎が描いたと思しき枕絵を見つけ、何だ、これ?だからお栄に下手善なんて言われるんだと小言を言う。 そんなお栄も、知りもしねえで描くから…と鉄蔵はお栄の枕絵を馬鹿にするが、そんな娘にこんなものを描かせる先生も酷えな…と善次郎は呆れる。 あいつは描けねえなんて言えねえのさと鉄蔵は、お栄の強気の性格を指摘する。 そこに当のお栄が帰って来たので、思わず善次郎は顔を見つめたので、何だよ、下手善?とお栄は睨みつけ、おめえ、吉原の小夜衣って知ってるか?と聞く。 萬字堂が一度花魁を描いてみねえか?ってんだよとお栄が言うので、善次郎は驚く。 結局、鉄蔵、善次郎と3人で吉原に行く事にしたお栄だったが、その道すがら、小夜衣と言えば、明け方になると、花魁の首がにゅーっと伸びたんだそうですと善次郎が噂を話す。 おめえ観たのか?てめえみてえな奴に、本物の物怪が見えてたまるか!と鉄蔵は善次郎を馬鹿にする。 お栄が小夜衣(麻生久美子)を写生している間、鉄蔵と善次郎は側で待っていた。 小夜衣は、お栄が描いた絵を観て、あちきより艶っぽいよと褒めるが、お栄は、これを下絵に錦絵にするんだと説明する。 モデルの仕事を終えた小夜衣は、頼み事って何かえ?見せ物が観たいのなら、東両国へお行きなんしと鉄蔵たちのもくろみを気づいたように聞く。 すると鉄蔵は、俺は25年も絵を描いて来たが、ある日の夕べ、自分の身体から手が伸びて窓から外に出て行ったんだ…と奇妙な事を話しだす。 その手が風を受けている感じからすると、とてつもない勢いで伸びて行っているのが分かった。 最初は恐かったが、慣れてみると面白い。 薄野をかき分け、五重塔の炊煙を触り、橋桁を潜る。 もし手がちぎれたら… 後に知り合いの坊主に話したら、それは危ないと言うことで、両手に経を描き、数珠を持ったらその後手は伸びなくなった…と鉄蔵は語り終える。 それを聞いた小夜衣は、鈴が聞こえたら隣にお入んなさいよと3人に声をかけ、自分は隣の部屋に向かう。 仕方ないので、お栄、鉄蔵、善次郎の3人はそのまま部屋で夜明かしをすることになる。 何となく、無駄話などして時間が過ぎて行くが、突然隣室から鈴の音が聞こえて来る。 善次郎は、虫だろ?と呟くが、鉄蔵とお栄は真顔で隣のふすまを開け、中を覗き込む。 中には蚊帳が張ってあり、その中に敷いた布団で寝ている小夜衣の髪に鈴が付いていて、それが動いてなっているのだった。 小夜衣の枕元に近づくと、けいれんを起こしていた小夜衣の顔から、突如、白い顔がぬっと伸び出して来る。 その幽体離脱したろくろっ首のようなものは、蚊帳の中を飛び回っていたので、じっと凝視する鉄蔵とお栄。 善次郎は、自分の方に顔が向かって来たので腰を抜かすが、顔は蚊帳蚊帳の外には出られないようだった。 結界になっているのか…と鉄蔵が呟く。 すると、小夜衣が目を覚ましたので、蚊帳があったから良かったが…、首が戻らなかったらどうするつもりだと鉄蔵が聞くと、顔に教を描いて、首から数珠をぶら下げますかい?と小夜衣はいたって平気なようだった。 朝方、お栄、鉄蔵と共に吉原を後にした善次郎は、先生の手の話は初耳だったな…と言うと、俺だって始めて話したんだ。昔、馬琴から聞いた唐の話さと鉄三は言うので、おいらはもっと別のものが観たかったぜ…と善次郎はぼやく。 ある夜、江戸の町に半鐘が鳴り響く中、お栄は走っていた。 半鐘が聞こえると、じっとしていられない性分だったのだ。 火事の現場では、火消し衆が、隣の住宅を引き倒している所だった。 その空いた空間に火が一塊になって舞い上がる様が、お栄にはたまらなく感じた。 その後、家に戻ると、寝ていた善次郎が気づいたのか目を開け、また火事か…、何がそんなに良いんだ…と呟く。 おめえが女好きで、鉄が甘いもん好きなのと同じだと答えるが、鉄蔵も目覚めていたのか、馬鹿野郎が…と寝床の中でぼやく。 そんな男たちは無視し、お栄は、いつの間にか家に居着き成長した犬と一緒に布団の中に入る。 江戸の町が雪に覆われたある冬の日、お栄はお猶を連れて人気のない三囲(みめぐり)神社に写生に来ていた。 左手に大川の堤があり、春になると桜が咲くけど、雪が積もっているのも悪くねえな…などとお栄は情景をお猶に教えながら歩き、階段を降りた所にある三囲(みめぐり)神社に到着する。 お栄は、そこに咲いていた寒椿を一輪摘んで、お猶の手のひらに乗せてやると、色は赤だ。優しくて暖かい色だ。持って帰ると良いと言い、お猶の着物の袂に入れてやる。 絵を描き始めたお栄の側で待っていたお猶は、音がないね…と言うので、雪は音を吸い込むからな…、恐いか?と聞き、寒そうに手をこすっているお猶の様子に気づくと、少し冷えたな…と言い、写生を切り上げ、近くの茶店に寄って甘酒を頼む。 しかし、店の女将は相当な年寄で、耳が遠そうだったので、近くに寄って大きな声で注文し直し、足下もおぼつかなそうだったので、自分が甘酒を乗せた盆を持って、お猶の元へ戻る。 すると、どこかの男の子(声-矢島晶子)が、お猶に雪の玉を見せようと顔に近づいている事に気づく。 しかし、お猶が何も反応しないので、不思議がった男の子は、背後の木に積もった雪に向かって雪玉を投げつける。 すると、枝に積もった雪がばさっと地面に落ちたので、お猶はようやく何か?と顔を前に向ける。 男の子は、お猶が関心を持った事に気づくと、お猶の手を引いて木の下に連れて行き、雪玉を上に向かって思い切り投げてみなと言う。 お猶が言うとおりに雪玉を上に投げると、枝に積もった雪が落下して来る。 2人の子供は愉快そうに笑う。 それから男の子は、手を叩いてお猶を呼び、遊び始める。 そんな子供たちを微笑ましく見守るお栄 お猶が雪の中を転ぶと、男の子が立たせてやる。 そんな2人を観ながら、お栄は、自分が小さかった頃、鉄蔵に連れられて、写生に連れ出されていた日の事を思います。 (回想)鉄蔵は、お栄にも絵筆と紙を渡し、隣に座らせる。 いつしか、お栄も一緒に描くようになっていた。 (回想明け)ふと気づくと、目の前で又お猶が倒れていたが、一向に動かないので男の子も固まったまま見つめている。 慌てて駆け寄ったお栄は、お猶を背負って帰ることにする。 ちょっと無理したな…と話しかけると、俺、面白かったよ。雪って面白いんだな…と背中のお猶は言う。 その時、道の向うから近づいて来たのが鉄蔵だと気づいたお栄は、姉ちゃんちに寄って行くか?お父ちゃんいるかも知れねえよと聞いてみる。 するとお猶は、急に行ったら父さん、困るだろうな…と言うので、止めとくか?とお栄は答え、その会話が聞こえているはずなのに声もかけて来ない鉄蔵とすれ違う。 白木蓮の木に留まり、鳴いているトラツグミ。 屋敷の中で寝ていた奥方が何かにうなされたように呻き出す。 奥方には、百鬼夜行のような物怪の姿が見えていた。 奥方の悲鳴に驚いた女中が、ふすまを開け、奥様!いかがなさいました?と声をかけると、奥座敷のあの絵から亡者の悲鳴が…と奥方は指を指す。 そこにかけてあったのは、家の主人の依頼でお栄が描いた地獄図だった。 萬字堂(立川談春)が後日、お栄を訪ねて来て、その怪異を伝える。 地獄図の出来は見事で、主人も大変気に入ったし、わしも鼻が高かった…と萬字堂は言うが、その後も昼日中から…と話を続ける。 庭を観ようと、障子を開けた奥方は、そこで髑髏がたくさん付いた木を揺すっている鬼の姿を観る。 側では、地面に落ちた髑髏の破片を骸骨が掃き集めていた。 白木蓮ももうお終いの季節ですね…とその骸骨がしゃべったので、良く見ると、それは庭掃除している女中だった。 そりゃ、気の病じゃないのかね?と一緒に話を聞いていた善次郎が口を挟む。 その後も、奥方の具合は悪くなる一方だったが、絵は手放せない。そうするうちに…と萬字堂は続ける。 ある夜更け、行灯をつけたまま床に付いていた奥方は、部屋の中の柱を降りて来たヤモリが蛾を食べる様を目撃する。 次の瞬間、行灯の中から黒い影が部屋の中に乗り出して来たので、驚いた奥方は跳ね起き、廊下へ逃げ出すが、その時、着物の端が行灯に当たって倒してしまう。 部屋の中で火の手が上がった事に気づいた主人が駆けつけ、何とかぼやですんだが、奥方はその後も直らない…と萬字堂は話し終える。 物騒な物描いたな…と善次郎が呟く中、下絵を見せてみろと一緒に話を聞いていた鉄蔵が言い出す。 お栄が差し出した下絵を見た鉄蔵は、描いたら描きっぱなし、始末をしねえから悪い…と言うと、萬字堂…、今度はぼやじゃ済まねえぞ…と物騒な事を言い出す。 その夜、奥方の家の地獄図からは、青い人魂が多数出現していた。 その地獄図の部屋にお栄や善次郎と一緒にやって来た鉄蔵は、地獄図の隅に仏の姿を描き込む。 まだまだおめえは半人前だな…と鉄蔵はお栄に言い聞かせる。 既に朝になっていたので、3人は屋敷を出るが、その時、お栄は、燕の巣がある事に気づき、鉄蔵等を呼び止め、見せる。 それ以来、その家の怪異はなくなり、奥方は悩まされなくなる。 しゃくだけど、鉄蔵は、一枚も二枚も上だよ…とお栄は思うのだった。 ある日、萬字堂がお栄の枕絵のことで注文に来たので、書き直します…とお栄は答える。 善さんの絵は手が細かったり人間の姿は変なんだが、枕絵になると女の目に妙な色気が出て来る。 お栄さんの枕絵は、人間は描けるが、色気がない…、そもそも嫁入り前の娘にこんな絵を描かせる先生も先生だが…と萬字堂は言う。 その後、雨の中、外を歩いていたお栄に、傘をさしかけて来た男がいた。 初五郎だった。 北斎先生と碁を打ちたいんだと言う。 相合い傘で身体を寄せるのを恥ずかしがったお栄はついつい傘の外を歩くので、それじゃ、滝行だと言い、初五郎は側に誘う。 お栄は、初五郎の身体から漂って来る匂いに気づく。 髪油? 初五郎も善次郎の女の絵を褒める。 色気? お栄は、俺はあんな崩れたような絵は大嫌いだよ!と口に出したお栄は、用事を思い出したから…と言うと、傘を飛び出し初五郎と別れる。 お栄がやって来たのは陰間茶屋だった。 入口を入ると、酔客を送り出していた陰間がいた。 やり手ババアが、初回かえ?と聞いて来たので、お栄が戸惑っていると、客を送り出した陰間が、客の悪口を言った後、今日はもう後の客は取らないぜとババアに言い、お栄を連れて二階へ上がる。 一緒に床に入った振り袖姿の陰間は、吉弥(声-入野自由)と名乗ると、さっさ、やろ、やろとお栄に抱きつこうとするが、お栄は、床の間に貼ってあった一枚の仏画に目を留める。 吉弥は、魔除けになるかと思って…とそんな絵を貼っておく理由を話す。 でも、こんな所に来る坊主たちが神仏怖がる訳ないよな…と吉弥は笑う。 前に変な夢を見てよ、山の向うから仏がにょっきり出て来たんで、農民たちは、ありがてえって拝むんだけど、仏は家も人間も踏みつぶして行くんだ、酷えよな。 極楽ってあるのかな〜?地獄は?と呟いた吉弥は、やろやろ!とお栄にキスをして床で覆いかぶさるが、気がつくと、吉弥は動かなくなり、そのまま寝入ってしまったようだった。 重い! 翌朝、何ごともなく茶屋を出たお栄は、巨大な仏がその大きな足の裏で、自分を踏みつぶす幻想を観る。 極楽ってあるのかな?…、地獄は?お栄も心の中でそう呟いていた。 ある日、絵を納めに行った萬字堂が、午後の団十郎を観に行かないか?一枚しかないんだが…と木札を差し出して来る。 観て損はないね。初五郎さんも観に行くって言ってたよ。さっき同じの渡したから…と言うので、お栄はちょっと嬉しくなる。 ところがその帰り、お栄を呼び止めたのは国直だった。 これからどこへ?と聞かれたお栄は、つい家に帰る所…と答えるが、四万六千日のお参りに観音様までどうです?と聞かれたので、そのまま成り行きに任せる事にする。 ほおずき市の所へ来た国直は、おいら、ベタベタした女より、ちょっと目に剣があるようなくらいの意気地がある女の方が良いんだ。お栄さんを観た時、こいつぁただもんじゃねえと思ったんだなどと1人褒めて来たので、お栄は相手をしないで参拝する。 国直は、しゃべっている間に、ほおずきの鉢を1つ買わされるはめになる。 何、お願いしたんです?と国直が聞くので、お栄は、安産祈願と冗談を言うお栄。 浅草観音を出かかっていたお栄に、ところてんでも…と国直は誘うが、胸にしまった木札の事が気がかりなお栄は、すまねえ、先に帰る!と国直に詫びると、急ぎ足で家に戻る。 家では、善次郎と大きく成長した犬が一緒に昼寝をしていた。 お栄は急いで鏡の前で髪を整え、櫛を留めると、すぐに出かけて行く。 寝ぼけ眼の善次郎は、何だ?と呟く。 芝居小屋の前で、人ごみの中、初五郎の姿を探し求めていたお栄だったが、お目当ての初五郎が、知らない娘と談笑しながらやって来たのに気づくと、その場を立ち去る。 ある日、鉄蔵は茶屋でまんじゅうを食っていたが、隣の席でじゃれあっている母と娘の姿が気になっていた。 娘の姿に同じ年頃のお猶を重ねていたのだった。 家に帰ると、猶がちょっと具合が悪いようだ。一昨日返されたっておっかさんが言ってた。ちょっと顔見せてやってくんなとお栄が話しかけて来る。 しかし、鉄蔵が何も答えなかったので、そんなに病気が恐いのか!とお栄は叱りつける。 夕方、両国橋に行ったお栄は、そっと胸もとから芝居の木札を取り出すと、川に落とすのだった。 「鳥〜、放し鳥〜」と道ばたに座っていた鳥屋(声-藤原啓治)が声をかけていると、そこにはどのくらいいるのかい?と声をかけて来たのは、お猶やお栄の母親ことだった。 30はおりやす…と鳥屋が答えると、これで放しておやり…とことは金を差し出す。 鳥屋は、目の前に置いてあった伏せてあったざるを開けると、その中に入れてあった雀がたくさん飛び立って行く。 そのことに、おめえも信心深くなったな…と声をかけて来たのは夫の鉄蔵だった。 あんなもん、羽が斬ってあるから。またすぐ捕まるだけさ…と哲蔵は嘲るが、珍しい来訪者にことは喜び、寄ってくんだろ?お猶も喜ぶよ。おはぎこしらえたんだよ!などと明るく話しかけて来る。 ことの家に入った鉄蔵は、ことが作ったらしい大量の菓子を観て、菓子だらけだなと呆れると、寝ているのか?と聞く。 さっき寝てたんだけど…とことが言うので、ふすまを開けると、隣の部屋に臥せっていたお猶は、誰?と聞いて来る。 お猶、具合はどうだ?と話しかけながら、顔を覗き込むと、お父さんか!と喜んだお猶は布団の中から手を伸ばし、覗き込んで来た鉄蔵の顔をなで回す。 その後、帰宅した鉄蔵は、立派な鍾馗の絵を完成させる。 これを明日でも、お母さんの所へ持って行ってくれ。魔除けだって言ってな…と鉄蔵はお栄に頼む。 翌日、その絵を持ってお猶に会いに行ったお栄は、タワシのようなヒゲがあり、流し剣を持っている…と絵を説明してやる。 お父さん、病気持ちは嫌いなの?とお猶が聞くので、鉄蔵は、弱虫だから…、でもお猶は違う!だからこうして絵を描いてくれたとお栄は答える。 お栄はお猶を抱くと、もう帰って来たんだから、切り禿(キリカムロ)止めて伸ばせば良いと話しかける。 お猶は、早く伸びると良いな〜と無邪気に言う。 今夜は泊まって行こうかな〜とお栄が言うと、ことも喜び、今夜は3人で寝ようよと嬉しそうだった。 夜、お猶を真ん中に川の字になって蚊帳の中で寝ていると、もう寝た?とお猶が言い出したので、いいやとお栄が答えると、蚊帳の上に何かいるよとお猶が言い出す。 行灯を持って来て、蚊帳の上を覗き込むと、そこにいたのはカマキリだった。 布団に戻ったお栄は、大きな虫だった。外へ出したからもう大丈夫…とお猶に教える。 虫?きれいな虫?とお猶が聞いて来たので、さやいんげんのようにほっそりしているとお栄が教えると、やさしい?とお猶が聞くので、優しいよと答えてやる。 可愛い?とさらにお猶が聞くので、可愛いよと答えると、お猶はお栄の身体に抱きついて来て、ねえ、死んだら地獄へ行くの?地獄でね、お地蔵様のために石を積んでやるのが仕事だって…と言うので、何故?とお栄が聞き返すと、決まっているから仕方がない…とお猶は答える。 翌日、お猶の容態が急変する。 何か欲しいものないかい?と答えぬお猶に聞くことは、ここん所、顔色も良かったんだよと言うので、そうだな…と、お栄も寝込んでいるお猶の顔を観ながら答え、大丈夫だよ、大したことないよ、すぐ直るよと母親を励ます。 だから、お父さんを連れて来てくれるね?と帰るお栄に外まで付いて来たことが言うので、鉄蔵は泣き虫だから…とお栄が渋ると、バカだね、私だって泣き虫だよ…と言うと泣き出す。 医者の薬が効いて良くなったらしいから、今日辺り行ってみないか?と、帰宅したお栄は鉄蔵に話すが、おめえは噓が下手だな…、だから男一匹も捕まえられねえんだと鉄蔵は答える。 その時帰って来た善次郎が、変な小娘が付いて来た気がするが…と後ろを振り返りながら言うので、はっと気づいたお栄が、その小娘の様子を聞くと、今頃古風な切り禿(キリカムロ)だったと善次郎は言うではないか。 その瞬間、入口の戸がガタガタ鳴り出したかと思うと、強風が部屋の中に吹き込んで来て、座っていた鉄三の身体をすり抜けるように裏へ通り過ぎて行く。 すげえ風!と善次郎は驚くが、お栄は家を飛び出し、走り出していた。 その間、座ったままだった鉄三は、畳の上に赤い椿の花が落ちていたので、1人でちゃんと来れたじゃねえか…と、花に向かって話しかける。 お栄が母親の家に飛び込むと、ことが呆然と立ち尽くしており、逝っちゃったよ…と呟く。 鉄蔵と大きく成長した犬は、そろって裏の雨戸が外れた後の裏庭の上に広がる青空をぼーっと眺めていた。 あいつの目も命も…、俺が取っちまったのかも知れねえな…、鉄造はそう呟くのだった。 夕方、又出かけていた善次郎が帰って来て、変だな?誰かが後を付けて来たような…と後を気にするので、お栄は驚いて善次郎の背後に目をやると、そこにいたのは国直だった。 国直は、先生、深川にちょっと面白え話があるんだと鉄蔵に言うと、めっぽう酒の強え芸者がいて、そいつと飲み比べをして勝ったら、とてつもねえ背中の刺青を見せてくれるらしいですよと説明する。 ふん、下らねえ…とバカにした鉄蔵だったが、しっかり立上がりながら半纏をはおっていた。 買いに行くか?と言うと、善次郎、国直と共に出かけようとするので、萬字堂が催促に来るぜと呆れながらお栄が声をかけると、又、おめえが描いてくれ。萬字堂が言ってたぜ。おめえもそろそろ自分の絵を描いたらどうかってな…と鉄蔵は言い残し、そのまま深川へ出かけて行く。 1人残ったお栄は、紙に女を描いてみる。 夜、まだ絵を描いていたお栄だったが、描き終わると、犬と一緒に外へ出て、夜空を見上げる。 お猶!そっちの暮らしはどうだ?地獄じゃなかっただろう?こっちは結構楽しくやっている…、な?と犬に話しかけると、犬もワン!と答える。 その夜、お栄が完成した絵は、お猶らしき少女が、たらいの中で泳ぐ金魚を眺めている姿だった。 その後も、両国橋にやって来たお栄は、真ん中辺りで川を眺める。 鉄蔵は90歳まで生きた。 善次郎は渓斎英泉と名乗るようになり、鉄蔵が死ぬ前の年に死んだ。 俺は一度嫁いだが、すぐに戻って来て鉄蔵が死ぬまで暮らした。 鉄造は、本気で100まで生きるつもりだったようで、後5年後10年生きたら、本物の絵描きになれたのに…と死に際に言っていた。 とんでもねえ爺さ…(…とお栄のナレーションが重なる) お栄は、鉄蔵の死の8年後の安政4年…1857年に姿を消す。 どこで死んだのか良く分からない… 明治になり、江戸は東京と改められた。 旅客船「ホタルナ」が走る現代の隅田川の様子 |