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二十四の瞳('54)

女性の目から観た、戦前~戦後史になっており、単に戦争の悲劇を描いているのではなく、戦前の思想統制、アカ狩り、封建的な風土、女性の身分の低さ、地方で貧困の中で育ち、将来に夢を持てない子供たちなど、当時の日本が抱えていた暗い部分が描かれている。

女性や子供と言った弱い者が虐げられていた現実を描いているので、何度観ても肺腑をえぐられるような衝撃感がある。

男たちも、貧困や戦争で犠牲になっており、多くの日本人が不幸だった様子がうかがえる。

それでも、12人の子供の内訳が男5人に対し女性が7人と女性の方が多くなっているのは、女性である原作者がキャラクターに託して言いたかったことが、女性に関するものの方が多かったと言うことだと思う。

男の子のキャラの方は一様に戦争での犠牲だったのに対し、女の子キャラの方の問題は、長い歴史の中で培われて来たものであり、より根深いものがある。

反戦メッセージよりも、むしろ原作者が言いたかったことは、この女の子たちの当時の悲惨さ、絶望感の方だったのではないかとも思う。

しかし、彼女たちは、子供たちを産むことによって、苦労が多かった自分たちが生きた時代とは違う新しい時代を作る次の世代の子供たち世に送り込んでいた…と言うラストが象徴的。

新しい時代は、女性が生む子供たちが作るんだ!と言う女性ならではのメッセージなのだと思う。

改めて観ると、明石潮さん演じる校長先生や笠智衆さん演じる男先生たちが、総じて、事なかれ主義で器の小さな男として描かれているのが面白い。

これも、女性原作者の目から観た男の本質の一つなのだろう。

清川虹子さんが演じているよろずやの女将とか、浪花千栄子さん演じる飯屋のかみさんの性悪振りの描写も容赦がない。

男も女もなく、大人のダメさが、子供を苦しめる時代を作っていたのだと言うことなのだろう。

しかし、浪花千栄子さんは何をやっても巧いな〜…と改めて感心する。

今回観て始めて気づいたのだが、子供たちは、分教場時代の小学生低学年時代、本校に通うようになる高学年時代、そして青年になった時代と、12人の生徒たちそれぞれに3パターンの子役と役者さんが用意されていたのだと言うことが分かった。

観客が子供たちをすぐに判別できるように、世代ごとにそっくりな人を選んでいるので感心する。

大石先生が最初に子供たちに出会ったときの目の輝き。

自宅でそのキラキラした目を思い出しながら大石先生が思わず呟く、「24の瞳、とっても可愛かった。濁しちゃいけないと思ったわ…」

これが、いつの世にも通じる大人たちへのメッセージだろう。

子供を悲しませてはいけない。

子供が苦労するような世界を作ってはいけない。

それは、大人全体の責務なのだ。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

1954年、松竹、壷井栄原作、木下惠介脚本+監督作品。

昭和29年度芸術祭参加作品のテロップ

仰げば尊しの曲に合わせ、水面のにタイトルとキャストロール

瀬戸内海に浮かぶ淡路島に次ぐ大きさの小豆島

石切り場があったり、お遍路さんたちが歩く姿

10年を一昔と言うならば、これは二昔前のことである…

島の小学校の子供たちは、4年生までは岬の分教場に通い、5年生になると5km離れた本校に通うようになる。

昭和3年4月4日

村の鍛冶屋の歌を歌いながら登校して行く小学生たち

その子供たちが、女子先生だ!と見つけて駆け寄ったのは、分教場から本校に移る小林先生(高橋とよ)だった。

岬ともお別れ、みんなともお別れ、下宿にもさっきお別れして来たわと子供たちに教えた小林先生は、今度赴任して来る先生は偉い先生よと言うが、子供たちは新米じゃろと見抜いている。

最初はみんな新米よ。久子と言うのと小林先生が言うと、久子って大きい先生か?と子供らが聞くので、私は小林だけど大きいでしょう?久子は私の肩くらいよ。今度の先生をからかってはいけんよ。私が久子に良く教えといたわ。子供たちがからかったら、猿だと思いなさい、騒がしかったら、鳥だと思いなさいってねと小林先生は言い、荷車で荷物を引くおじさんと共に去って行く。

その後、子供たちは、自転車に乗って洋服を来た見知らぬ女性からお早う!と声をかけられたのでびっくりして振り返る。

同じように声をかけられた農民たちも、見知らぬ女性に驚く。

よろず屋の女将(清川虹子)も、その女性から声をかけられ、驚いて近所の主婦に知らせに行くと、一緒に遠ざかって行く見慣れぬ女子先生を見送りながら、女子のくせに自転車に乗り、洋服を着るなんて…、新しい女子先生かの?男みたいな女子じゃの~…、あれじゃあ、おてんばって言われるだろうなどと悪口を言い合う。

分教場の教員室の窓から、外に停めていた自転車に集まった子供たちに気づいた大石久子(高峰秀子)は、自転車が珍しい?乗せてあげようか?と声をかけるが、子供たちは恥ずかしいのか、さっと蜘蛛の子を散らすように離れて行く。

私の家は、あの煙突の側です。自転車で50分かかりますと久子が男先生(笠智衆)に教えると、今は4月の始めじゃから。困った…とぼやきながら、分教場脇にある自宅に一旦戻って行く。

妻(浦辺粂子)に、今度の先生は女学校から師範学校出で頭が良いらしい。本校の校長もよりによってあんな先生を寄越すなんて…と、久子の優秀さを揶揄した男先生は、始業式が始まる時間になったので、妻に勧められ、靴を履いて校庭へと戻る。

その後、集合を知らせる校長が叩く木を叩く音に気づいた久子は、自分も校庭に出て、集まって来た子供らの中の新一年生12名を一列に並ばせる。

教室に入った久子は、出席簿を付け始める。

岡田磯吉さん!と呼びかけても誰も返事をしない。

そんき!返事をせい!と仁太が声を上げたので、そんきさんって言うのね…と、名前の横にあだ名も書き込んだ久子が、再度、磯吉のそんきさん!を呼ぶと、ようやく岡田磯吉(郷古秀樹)が、はい!と返事をする。

竹下竹一(渡辺五雄)、「きっちん」こと徳田吉次(宮川真)、森岡正(寺下雄朗)、「にくた」こと相沢仁太(佐藤国男)、「まっちゃん」こと川本松江(草野節子)、「みいさん」こと西口ミサ子(小池泰代)、香川マスノ(石井裕子)、山下富士子(神原いく子)、山石早苗(加瀬かを子)、片桐コトエ(上原博子)、加部小ツル(田辺由実子)…、いずれも目のキラキラした愛らしい子供たちだった。

その日、自転車に乗って帰る久子に、子供らは、大石小石!と囃し立てる。

雑貨屋の前では、ラムネを飲みながら、よろず屋の女将が、あの先生、いきなり西口のみーさん、可愛らしい言うたそうじゃなどと、久子が依怙贔屓をしているとでも言いたげに悪口を言い合っていた。

次の授業の時、天皇陛下はどこにおられますか?と久子が聞いた所、押し入れの中におりますと仁太が答えたので、学校の中には置いとく所がないので、陛下のお写真を大事に校長室の押し入れの中に入れているだけで、陛下が押し入れの中におられる訳じゃないのよと、お押しし先生は笑いをこらえながら教える。

桜が咲き乱れる中、久子と子供たちは、しゅしゅしゅ♪と電車ごっこをして遊ぶ。

菜の花畑の横を通りながら、カラス~何故鳴くの~♪と歌ったり、開いた、開いた、レンゲの花が開いた♪などとみんなで歌を歌って過ごす。

自宅に帰った後も、久子は、子供たちの習字の採点などを夜遅くまで続ける。

外は雨模様だった。

遠いから大変よ。男先生が、岬の人たちのことを話してくれるんだけど、私の洋服と自転車がまぶしいですって、往復4里もあるのよ。歩いて帰れる訳ない。コツコツ貯金している男先生からすれば贅沢に見えるんでしょうけど、自転車だって月賦で買ったんだし、洋服もお母さんの着物を潰して作ったのよ…と久子がぼやくと、岬の分教場は、女先生は苦労する所だそうじゃないか。1年もすれば、本校に戻れるんだから…、もう3分の1は過ぎたんだかえあ、最初の頃の元気を思い出して、辛抱、辛抱と母親(夏川静江)は励ます。

久子は、習字にカタカナで書かれていた子供たち一人一人の名前を観ながら、1人1人の児童の顔を思い浮かべて行く。

24の瞳、とっても可愛かった。濁しちゃいけないと思ったわ…、それを思うと、雨くらい平気!と久子は呟く。

母親は、銀行の奥さんから頼まれた着物を縫っていたが、あの娘に着せるんやろか?太っているだけで器量が良い訳でもないのに…などとぼやいていたが、母さん、雨止んだよと久子が語りかける。

9月1日

時化の翌日、まだ名ミが高い浜辺に自転車でやって来た久子は、漁村がかなり被害を被っているのを観て驚く。

そこに集まっていた女の子の中にいたミサ子に、時化の時はいつもこうなるの?と久子が聞くと、仁太は押し入れに入っていたそうですと言うので、天皇陛下じゃなく、自分が押し入れに入ったのねと多い視線は笑い出すが、それを聞いていた雑貨屋の女将が、人の災難を笑うなんて!と文句を言って来る。

久子は恐縮し、小石先生、失敗の巻と子供たちには冗談でごまかし、砂浜の方へ行ってみることにする。

そこには、男の子たちが3人おり、先生!珍しい貝見つけたよ!と声をかけたので、久子がそちらへ向うととする途中、男の子たちが作っていた落とし穴に落ち動けなくなってしまう。

軽い悪戯のつもりだった男の子たちは、久子が動けなくなったので固まってしまい、女の子たちは泣き出してしまう。

久子は、誰か男先生を呼んで来て!女先生、骨が折れて歩けんの!と声をかけたので、男の子が分校へ駈けて行き、久子が大変や!と叫ぶ。

久子は足の筋が切れたらしく、船が全部で払っていたので、荷車に乗せられ、村の男衆たちに運ばれて行く。

その姿を雑貨屋の女将も観ていた。

久子が分教場に来られなくなったので、急遽、男先生が久子のクラスも見なければ行けなくなり、苦手なオルガンの稽古を奥さんが観ている前でやることになる。

久子の母親の方がえらい剣幕やったそうや。性悪の所に娘をやられたって。それにしても、久子は盆踊りのような歌ばかり教えて…、困ったもんだ…などとぼやきながら、稽古を続ける、

男先生が教える歌は、「千引きの岩」というヒヒヒ、フフ、ミミミ…などと言う単調な軍歌や「チンチン千鳥」等と言う歌ばかりだったので、子供たちはなかなか歌おうとしなかった。

桜の木から葉が落ちた頃、子供たちは明らかに元気がなくなっていた。

男先生の唱歌はつまらん…と子供たちは不満だった。

入院していた久子は、もう退院したものの、まだ歩けないと言う噂は子供たちも知っていた。

小石先生の所に行ってみるか?

煙突の煙が見える浜辺に集まった子供たちは思いつく。

醤油屋の煙突の近くだと聞いていたので、行けるのではないかと子供たちは考える。

何kmじゃ?と誰かが聞くと、バスで醤油屋の所を通ったことがあると言う男の子が、饅頭1つ喰い終わらんくらいじゃったと言い出したので、そんなに遠くではないと判断した子供たちは、行こう!走って行って、早く戻ろう!黙って行こうや!と言い出す。

親たちに言えば、止められることが分かっていたからだ。

みんな昼飯の後、集まろうと言うことにするが、コトエは気が進まない様子。

家に帰ったら、おばあちゃんが出してくれんもん…と言うので、じゃあ、薮の所で待っときと女の子たちから勧められる。

昼飯の後、集まったみんなは醤油屋目がけて歩き出すが、小石先生、びっくりするぞ~!とみんな張り切っていた。

途中、高学年の子供たちとすれ違う。

やがて、親たちが徐々に、自分の子供の姿が見えないことに気づき始める。

同じクラスの親たち同士が子供の情報を交換して行くうちに、みんないなくなった事が分かり騒動になる。

その頃子供たちは、いくら歩いても醤油屋にたどり着かないので、草鞋が切れたり、昼ごはんを食べなかったため泣き出すコトエなどが出始め、みんな元気がなくなる。

やがて、子供たち全員が泣きながら歩くようになる。(「七つの子」の曲が重なる)

そんな中、子供たちの列を後から来たバスが追い抜いて行く。

そのバスを見送っていた男の子が、久子だ!と叫ぶ。

先生~!小石先生~!と叫びながらバスを追いかける子供たち。

それに気づきバスが停まると、松葉杖をついた久子が降りて来て、子供たちに囲まれる。

黙って来たん!と子供たちが言うので、事情を知った久子は、全員をバスに乗せ、自宅に連れて来ると、母親が作ったうどんをごちそうする。

良かったわ、病院から遅く帰って来て…と、子供たちと出会えたことを喜ぶ久子。

おなかが膨れた子供たちと、写真屋を呼んで浜辺で記念写真を撮る久子。

その後、久子は、船に子供たちを乗せ帰してやる。

その後、本校の校長(明石潮)が久子の自宅を訪れ、分校の後任の先生が職員会議で決まったことを報告に来る。

しかし、久子は、岬の分校に帰るって子供たちと約束したんですと、分校を辞めることをためらっていた。

母親は、校長先生もお父さんの幼友達だから、ああ言って下さるんじゃないかと久子の頑固さに呆れていた。

そんな中、先日は子供がきつねうどんをご馳走になったそうで…と礼にやって来た父親が、他の親から託された礼の品物を持って来る。

その後、久子は船で久々に分校にやって来る。

それを見つけた男の子たちは、小石先生や!と喜び、すぐに分校に知らせに行く。

それを聞いた子供たちは、全員、わ~!と叫びながら浜辺に駈けて行く。

女の子たちは、先生、足痛い?まだ自転車乗れんの?などと聞いて来る。

久子は、子供たちの家を廻ると、たくさんお礼参りを頂きまして…とお礼を言う。

中には、まだお礼参りをしとらんと憮然として言う雑貨屋の女将もおり、まあ!と久子が恥ずかしがる場面もある、

分校にやって来た久子は、本校に変わることになったの…、今日はお別れに来たの…、さようならを言いに来たの…、先生、岬好きだけど、この足じゃダメでしょう?と子供たちに打ち明けたので、子供たちは一斉に泣き出す。

先生、運が悪かったのよ…と久子も悲しみ、側に来ていた男先生は、泣きたいもんはなんぼでも泣きなさい、こりゃ、授業にならんわ。メチャクチャだとお手上げ状態になる。

船で帰る久子を見送りに、子供たちはみんなで浜辺に来る。

足直ったら又来てね!約束したよ~!と呼びかける子供たちに、遠ざかって行く小舟からハンカチを振る久子。

奥さんと共に一緒に見送っていた男先生が、歌って送ってやるんだ!歌は「千引の岩」!と声をかけるが、子供たちが一斉に歌い出したのは「七つの子」だった。

山の姿も海の姿も変わらないのに、時代は移り変わって行く。

満州・上海事変

世の中は苦しんでいた。

しかし、子供たちはまだ、自分たちに迫る運命を知らなかった。

上級生になった子供たちは、船に乗って本校に通うようになっていた。

昔の光今何処~…と、船上で歌う子供たち。

港に着いた子供らは、久子の婿さんを向かいに来ていた本校の校長に挨拶する。

子供らも、久子の結婚相手を観に来たのだった。

松江は、早う帰らんと怒られる…と案じていた。

後5日したら学校が始まる。今度6年やろうが…と校長は子供らに話しかける。

そこへ、遊覧船が到着し、中から羽織を着た背の高い青年(天本英世)が降りて来たので、うん、あれなら良いと男の子は頷く。

そんな中、松江の母親が急なお産で大変やと呼びに来る。

その後、妹が生まれた松江は、ユリの花が付いた弁当箱を買うてよと自宅でねだっていた。

産後の肥立ちが悪くて、まだ寝ていた母親は、誰が銭払うんやと答えると、仕事に出かけようとする夫に、今日1日だけ休めんかの+…、具合悪いんじゃと頼むが、松江がおれば良い。この不景気、休んでられんわと行って夫は行ってしまう。

母親は松江に、これからお父っつぁんの前で弁当箱のことを言うたらいかんぞと注意する。

それでも松江は、ぼろぼろになった竹製の弁当箱を取り出し、うちこんなの恥ずかしい…と言う。

松江は翌日、本校で会った久子に、昨日、お母さん、女の子生んだと報告し、まだ名前は決めてないという。

6年になったらアルマイトの弁当を買うてもらうの、ユリの花の付いとる奴…と嬉しそうに言うので、ユリちゃんと言うのはどう?妹の名前、ユリ子…、ユリエ…、先生、ユリエの方が好きと提案する。

松江は、良い匂い!先生、お嫁さんの匂いがする!と嬉しそうに指摘する。

帰りかけていた松江は、何じゃろ?急病人じゃ!と言う村人たちの声を聞き、胸騒ぎを感じて自宅へ駈けて行く。

松江の母親は急死し、赤ん坊だけが残された。

久子が松江の家に家庭訪問すると、この赤ん坊が死なない限り、松江を学校に行かせられないと父親は言う。

久子は、学校に来れるようになったら使ってねと言いながら、買って来たユリの花の付いたアルマイトの弁当箱を松江に渡す。

月足らずで生まれた赤ん坊も乳がなくては長くないでしょう。こんな貧乏な家に育ったところで何の良いこともないでしょうと父親は泣き出す。

雨の中帰る子供たち。

通り過ぎたバスが停まり、久子が降りて来たので、駆け寄り、松ちゃんの家の赤ちゃん死んじゃったんだってと言うので、赤ちゃん、可哀想…と久子も同情する。

職員室にやって来た久子は、他の先生たちの様子が変だったので、訳を聞くと、片岡先生が警察に引っ張られた、アカだって言うのよと教えられる。

そこへ校長がやって来て、反戦思想を書いた「草の実」と言う文集を作っていたそうだと迷惑そうに言うので、観たことあるわ、どうしてあれがアカの証拠なのかしら?うちの子供たちにも読んで聞かせたわと久子が不思議がると、校長は大いに驚き、危ない、危ない!その文集は教室のどこにあるんです?と久子に聞き、すぐに焼き捨てることにする。

寿命が縮まった…と校長は胸を撫で下ろす。

久子は、松江さん、赤ん坊のユリエちゃん可哀想でしたね。学校へはいつから来ますか?と手紙を書く。

授業で久子は、家で新聞取っている人!と聞き、さらに、読んでいる人!と聞くと、3人が手を上がる。

アカって、何のことか知ってる?と聞くが、誰も答えられない。

じゃあ、資本家は?と聞くと、金持ちのことという答えがあったので、じゃあ、労働者は?と聞いてみる。

その後、校長に呼ばれた久子は、亡くなったお父さんと友達だったから言うけど、「草の実」のことも、片岡先生』のことも知っていて、どうして、プロレタリアなど資本家などと言うのか?と注意する。

久子は、釈然としないながら、気をつけますと謝罪するが、正直にやるとバカを見ると言うことですと校長は諭す。

その後、久子は、女の子から、松江が知らないおばさんと一緒に夕べ、大阪に行った。松江は行かんと抵抗したが、お父さんがげんこつで叩いたりどついて、みんなで見送ったのだと言う。

哀れな松江のことを想い、久子は泣き出す。

秋の10月になり、久子たちは、金刀比羅参りに修学旅行に出かけることになる。

山下富士子と山石早苗は参加できなかったので、久子は残念がる。

相沢仁太は、無理して新調の学生服を着て来ていたが、まだ足のサイズが5文なのに11文のぶかぶかの靴を履いていた。

富士子さんの家は、借金のカタに取られたのだと聞いた久子の表情は曇る。

そんな中、歌の上手な香川マスノ(石井シサ子) にみんなは歌って!と頼み、マスノはデッキの上で、明日浜辺に〜♪と歌い始める。

久子は、遊覧船が接近して来たのでちょっと嬉しくなるが、恥ずかしいので座ったままだった。

しかし、子供たちの方が、遊覧船だ!と気づいたので、仕方なく立上がって、手すりから身を乗り出す。

観光船のバンドが「羽生の宿」を演奏し出す中、子供たちは遊覧船に向かって手を振り出し、先生も手を振らにゃ悪いやと言うので、久子も手を振り出し、すれ違う遊覧船に乗っていた久子の夫も手を振って来る。

屋島にやって来た子供たちは、ガイドの説明を聞く。

やがて、橋の上から魚に餌をやったりしていたが、そんな中、久子は疲れた様子を見せる。

一緒に同行していた田村先生が、具合悪いの?と声をかけて来るが、その後、長い石段を上る途中でさすがに青い顔をしている久子に休むよう促す。

熱いうどんでも食べたら直るかも…と言うことで、階段の途中にあった食堂に入ることにする。

そこで久子は、大阪に行ったはずの松江に出会う。

店の手伝いをさせられていたのだった。

店の外に連れ出し話を聞こうとしていると、飯屋のかみさん(浪花千栄子)が出て来て、勝手に連れ出されては困りますなと嫌味を言って来る。

久子は、この子は自分の教え子でと説明し、一旦店の中に入ってうどんがあるか尋ねるが、かみさんは、家は麺類はやってません。親子丼ならと素っ気ない返事。

空気が良くないことを感じた久子はすぐに店を出ようとするので、あのこと何かお話があるんじゃない?と田村先生は聞くが、かみさんの方は、松江!ご挨拶なさい!先生、お帰りやで!とけんもほろろに言う。

松ちゃん元気でね。お手紙頂戴ね。先生も書くから…と言いながら久子は泣き出し、さようなら!と別れる。

松江も耐えきれず、店の奥から路地に出るが、そこに、かつての級友たちが近づいて来た声がしたので、慌てて身を隠す。

その後、港へやって来た松江は、遠ざかって行く先生や級友を乗せた船を見ながら泣くのだった。(「七つの子」がかぶさる)

ある日の授業は、「将来への希望」と言うタイトルで作文を書いていた。

教壇に座っていた久子は、子供たちが作文を書いている間、ユリの絵を落書きしていた。

松江のことを思い出していたのだった。

私、1人娘なので、お母さんは県立高女に入れたいと言っていますが、数字観たら頭痛くなるので、無試験の裁縫学校行きたいです。これからは女も職業を持たないといけないと思うんです。姉さんも、赤十字の看護婦をしています…と1人の女の子が書いていた。

西口ミサ子(小池章子)は、私も姉さんに、師範学校に行かせてもらって先生に…と書きかけて、教師と訂正していた。

そんな中、山下富士子(尾津豊子)だけは、何も書いていなかったので、富士ちゃん、どうしたん?と聞くと、急に泣き出したので、それに気づいた久子は、教室の外に連れ出し話を聞いてやる。

将来の希望なんて何も書けないんですと富士子は言う。

私、修学旅行だって行きたかったんです!と訴えて来たので、もう何も言わなくて良いの!あなたが苦しんでいるのはあなたのせいじゃない。お父さんやお母さんのせいでもない。自分だけはしっかりしなくちゃ…、先生、他に言いようはないのよと慰める。

その後、片桐コトエ(上原雅子)が、私、6年で辞めるの。もう約束したの、お母さんと久子に打ち明ける。

6年で辞めるから修学旅行行かしてって言ったの。私が高等学校行ったら飯炊きがおらんの…と富士子は言う。

母さん、男に生まなくてすまないと思うって…と言うので、女に生まれたからって、あなたが悪いんじゃないわと久子は慰めるが、再来年、妹が6年になったら、私15になるから、大阪に奉公行って着物買うの。そしてお嫁さんに行くの…と言うので、コトちゃんのお母さんもそうだったのね…と言いながら、どうしようもない気持ちのまま、久子は外で降っている雨に目をやるのだった。

ある日、海岸の岩場で森岡正(寺下隆章)や竹下竹一(渡辺四郎)ら男の子たちの話を聞いていた久子は、兵隊になりたいとばかり言っているので、漁師より軍人の方が良いの?と聞いてみると、先生、軍人好かんの?と逆に聞かれる。

先生は、漁師や米屋の方が好きと答えると、先生、弱虫!とバカにされてしまう。

その後、「白水楼」に呼ばれて行った久子は、マスノの母親から、ちょっと歌が上手だからと言って、東京の音楽学校へ行きたいので女学校に行きたいなんて言ってるんですよ。音楽学校なんかに行っても家の手伝いになりませんものね…と相談を受ける。

答えが見つからない久子は、マスノさん…、私は死なせたくないのに、男の生徒は軍人や兵隊になりたいと言うし、今日は何にも言えないの…、本当に、私、何も言えないの…と伝えるしかなかった。

後日、職員室で校長から呼ばれた久子は、あんた廻りからアカじゃと判断されとりますぞ。生徒にも言って良いことと悪いことがありますと言うので、私、間違ったことは言ってませんと久子は反論するが、あんた、若いから思っていることをずけずけ言ってしまうけど、軍備、軍備というこの時代、兵隊になちゃつまらんと言ったそうじゃないか!何も言わん国民に育て上げるのが教師の義務ですと校長は言い聞かす。

やがて、卒業式の季節を迎える。(「仰げば尊し」の唄が流れる)

珍しく、夫が家にいたので、お母さんは?と久子が聞くと、買い物に行ったという。

修学旅行から帰ってから元気がないな。早く子供を産んじゃえよ、可愛いだろうな~と夫は言う。

しかし久子は、私、つくづく先生嫌になった。明後日から先生辞めようと思う。1円菓子屋でもやって方がましよ。国定教科書では、毎日忠君愛国…とぼやく。

船乗りのお嫁になるんじゃなかった。輸送船にでも乗ったら、嵐でもないのにドカン!赤ん坊生まれたばかりなのよ…、もう本当に嫌!と久子は訴える。

そこに帰って来た母親が、生徒さんが来たわよと言うので外に出てみると、竹下竹一(渡辺四郎) と鳥打ち帽をかぶって、すっかり丁稚姿になった岡田磯吉(郷古仁史)がいたので驚く。

2人はゆっくりしておられず、次のバスで帰るというので、庭先での立ち話になるが、聞けば、磯吉は高等学校に行くのを辞めて、明日の晩、大阪に行くのだと言う。

何になるのかと聞くと、質屋の番頭だと言う。

良い番頭さんになりそうねと久子は励ます。

竹一の方は中学に進学するのだった。

庭先で話していた久子に、学校辞めるんだって?と夫から聞いたらしい母親が声をかけてきたので、それを聞いた磯吉と竹一も驚く。

先生、辞めるの?と聞かれた久子は、あんたたちがいなくちゃつまらないわ。薮入りになったら帰って来なさいね。あなたたちは、私の教え始めで教えじまいなんだから…と久子はバスの停留所まで2人を送りながら言う。

富士子、昨日、兵庫へ親子5人で行ったそうです。今にコ○キにでもならねば良いがとみんな言っとりましたと竹一が思い出したように話したので、それを聞いた久子は、富士子さん、可哀想に…と同情する。

久子に見送られ、竹一と磯吉は、バスに乗って帰って行く。

いよいよ戦争の影は島にまで及び、出征兵を見送る列が島でも見かけられるようになる。

この島の住民たちも、大きな歴史の流れの中に押し流されて行った。

8年後

始めて大石先生の家に行った時、浜辺でみんなで撮った記念写真を布団の中から眺めて、泣いていた少女がいた。

片桐コトエだった。

そこに訪ねて来たのが久子だった。

もっと早く来たかったんだけど、子供の手がかかって…、家の人誰もいないの?と久子が聞くと、あの写真ばかり見るんです…とコトエは、幸せだった時代を思い出すかのように言う。

みんな小さかったわね〜…と、久子も懐かしそうに写真を見る。

私、ごはん食べてなかったので、途中で泣き出して…、先生の家でご馳走になったうどんの味、忘れません…と、コトエは、久子の家に皆で行った日のことを打ち明けると、ミサ子さん、この間、お婿さんもらったって…、ミサ子さん、1人娘で本当に幸せ…と言うので、早苗さんは、本校の先生になったんですって、そして小ツルさんは大阪でこの前会ったら、産婆学校を出たんですって…と久子が教える。

それを聞いていたコトエは、私が一番ダメ…、先生、私、もう長くないんです…と身体の具合が悪いことを打ち明け、先生…、私、苦労しました…と言うので、苦労したでしょうね…、先生も、6年の教室で話していたの覚えてるわ。

私、大きくなったらお母さんに親孝行したかったので、大阪に女中奉公行きたかったんです…とコトエが言うので、苦労しているのはあなただけじゃないわ、松江さんも富士子さんも神戸で苦労していると思うわ。松江さんも何度も家出したんですって。幸せになれる人なんて少ないわ。自分ばかりが不幸なんて思わないでちょうだい…と言いながら、久子は泣きながら、棚の上に置いてあった昔の記念写真を見るのだった。

竹下竹一 、岡田磯吉、徳田吉次(戸井田康国)、相沢仁太(清水龍雄)、森岡正(大槻義一)ら男性5人は全員兵隊として、港から船に乗って出て行く。

それを赤ん坊を背負って見送る久子。

島から遠ざかって行く船上の5人も、みんな手を振って泣いていた。

自宅では、久子の長男大吉(八代敏之)と次男の八津(木下尚寅)が、兵隊さんごっこをしていたので、少し静かにしなさい!お父さん、これから戦争に行くのよと、3人目の赤ん坊の女の子を抱いた久子は叱りつけるが、夫は、まあ良いじゃないかと言うと、自分も子供たちと一緒に軍歌を歌い出す。

4年の歳月が過ぎ、兵隊として島から出て行く男たちは大半が戦死し、白木の箱を増やすばかりだった。

その日も、大吉が日の丸の小旗を振って、港で出兵して行く男たちを見送っていた。

すっかり軍国少年になっていた大吉は、早く中学卒業して士官学校へ行きたいなどと言うようになっていた。

久子が呆れると、靖国の母になれんじゃないの等と言うので、母さんは大吉に、ただの人間になって欲しい。生きて欲しいんじゃと言うと、学校の先生もそんなこと言うとらん、意気地なし!などと、大吉は食って掛かって来る始末。

そんな中、寝込んでいた久子の母親の容態が急変したことに気づいた久子は、大吉に医者を呼んでくるように命じる。

しかし、その母親も他界し、久子は野辺の送りをする。

後日、雨の港に戻って来た船からは、遺骨を抱いた何人もの夫人が降りて来た。

それを港で観ていた大吉の元に、傘をさしてやって来た久子は、大吉、お父さん死んだよ。通知が来たんじゃ、しっかりしてよ、大吉!…と知らせる。

そして、8月15日を迎える。

学校に急遽召集させられた子供たちを前に、天皇陛下がご自身のお言葉で日本のみんなにお話しになると先生が説明をする。

その日の夜、弟の八津と妹が夕食を持ってお膳にやって来るが、大吉は元気がなかった。

久子が、しょげてもしようがない。戦争は終わったんやで。ラジオで聞いたん、戦争終わって良かったと言うと、一億玉砕じゃなかった!と大吉は悔しがる。

家はお父さんが死んでしもうた。死んだ人可哀想…と久子は呟く。

その後、妹のおのえが木から落ちて意識がなくなるという事件が起きる。

動揺した久子がおのえを抱いて病院へ来る。

知らせを聞いた大吉と八津も、学校を早退けして病院へやって来るが、大吉…と呟いた久子はその場に気絶する。

おのえは助からなかったのだ。

その後、男の子2人を連れおのえの墓参りをした久子は、食べるものがなくておなかを空かせ、柿の木に上るのは当たり前じゃ。おのえはまだ青い柿を握っとったと言いながら泣き出す。

戦争が終わった翌年4月4日

久子は、再び、岬の分教場で臨時の先生をやることになる。

大吉が漕ぐ小舟に乗って岬に向かう久子は、分教場に行っとった頃からもう18年…、もう二昔になるよ…と思い出していたが、風の強い日は困るなと大吉が言うので、お母さん、まだまだ大丈夫!お前や八津のことを考えると、自転車なんてとっても買えん。

大吉、漕ぐの巧くなったな、やっぱり海の子じゃったな…、竹一という子は、お母さんを船で送ると言っていたが、もう戦死したよ…と寂しそうに久子は言う。

分教場の教室で教壇に立った久子は、昔のように、先生が名前を呼んだら、返事をするのよ!と生徒たちに言うと、名簿を呼び始める。

片桐真琴さん!コトエさんの妹さん?コトエさん、死んだんじゃったね…と久子は思い出す。

川本ちさえさん!松江の子供だった。

お母さん、大阪から送って来たのと言う。

西口かつ子さん!西口ミサ子の子供だった。

お母さんとそっくり!と久子は目を細める。

放課後、久子は、森岡正の墓に花を添えていた。

そこに、大石先生!と声をかけ駆け寄って来たのは西口ミサ子だった。

先生にお会いしたくて…、岬に又お出になったと聞いて…と、久々の再会を喜んでいるので、早苗さんがちょっと本校にお勤めされていたのと久子は教える。

今度、マスノの家で先生の歓迎会をするんです。謝恩会!来て下さいね!と言う。

久子は森岡正の墓を観ながら、下士官になるんやと言うったから、これでも満足でしょうねと言う。

さらに、先生、こっちです!とミサ子が招いたのは、竹下竹一の墓だった。

米屋より軍人の方が良いと言うとったけど、とうとうこんな姿になってしもうて…と久子は嘆く。

さらに、相沢仁太の墓も近くにあった。

大きな声出して、大きな身体して、罪のない子じゃた…、修学旅行の時、大きな運動靴履いて…と思い出し、思わず涙ぐんだ久子だったが、その姿を帰り道に見かけた子供たちが、泣きミソ先生!とからかって通り過ぎて行く。

昔は小石先生で、今度は泣きミソ先生だわ…と久子は苦笑する。

後日、大吉と八津を連れ、歩いて岬にやって来た久子たちをバスが追い越して行く。

バスに乗ればすぐやのに…と八津が文句を言うと、バスなんてお金取られるだけじゃと大吉が言い聞かす。

久子が歓迎会に出ている間、子供たちは近くの八幡様で遊んで待っている。持って来た弁当を食べ終わっても、まだ母さんが帰って来なかったら浜で遊んでいると言うので、歓迎会の場所から浜が見えるんじゃと久子が教えると、時々見といてねと八津が甘えて来る。

お弁当食べたら、弁当箱忘れたらいかんよと言いつけ、久子が「白水楼」の方へ向かうと、先生!と呼びかけながら近づいて来たミサ子が、珍しい人が来てるのよ!誰だと思います?とからかうように言うので、珍しいと言えば…松江さん?と久子が答えると、当たった!とミサ子は喜ぶ。

大阪から来たんですと言うので、修学旅行で会ったきり!と久子は感激する。

近づいて来て、松江です!と挨拶した川本松江(井川邦子)は、ミサ子さんから手紙をもらって、この機会を逃したら一生仲間はずれになると思って…と泣き出す。

「白水楼」に来ると、庭先で香川マスノ(月丘夢路)たちが待ち構えていた。

私たちの贈り物ですと言いながら、マスノが座敷の中を指差すと、中を覗いてみた久子は思わず泣き出す。

床の間に飾ってあったのは、新品の自転車だった。

久子は深くお辞儀をする。

その日来る予定のソンキこと岡田磯吉が、戦争で目を負傷し、盲目となったと聞いた久子が、メ○ラになって不自由でしょう?と同情すると、生きていてもしようがないので、一時期は死にたい、死にたいと言っていたとミサ子らが言うので、死にたいってことは、生きる望みがないってことね…と哀れむ。

そんな座敷にマスノが手を引いて連れて磯吉を連れて来る。

5年振りよと久子が声をかけると、こんな様になりまして…と眼が見えない磯吉は会釈して来る。

磯吉は、久子の横に座らせてもらう。

後はキッチンを待つばかりだった。

女性陣と磯吉は、先に始めることにする。

上座に座った久子は、自転車まで送って頂きまして…と礼を言っていると、大きな鯛を持ったキッチンこと徳田吉次がやって来る。

鯛を吊っていたので遅れたのだと言う。

みんなにこんなにしてもろうて…、ありがとうと、改めて久子は礼を言う。

その子、みんなで「七つの子」を合唱するが、久子は横に座った磯吉の目を観て、思わず涙するのだった。

マスノが、礼の記念写真を持って来ると、それを手にした磯吉は、この写真は見えるんじゃと言い、わしと竹一と仁太が並んどるなどと言い当ててみせる。

マスノが、明日、浜辺を〜と歌い出す中、磯吉は嬉しそうに記念写真を触っていたが、その姿を観ていた久子は又、運命の残酷さを見るようで泣き出してしまう。

松江たちももらい泣きし始める。

浜辺では、大吉と八津が遊んでいた。

その後、久子は、雨の中、合羽を着込んで自転車に乗り、岬の分教場へ向かっていた。(「仰げば尊し」の曲が重なる)

その横を、ボンネットバスが追い越して行く。

さすがに疲れた久子は、自転車を押して歩き出す。

そして、再び自転車に乗った久子は、浜辺を進んで行く。

いざ〜さらば〜♪


 

 

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