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花のヒロイン 

 

 

 

幻想館

 

無法松の一生('65)

阪東妻三郎主演版(1943)、三船敏郎主演版(1958)、三國連太郎主演版(1963)に次ぐ勝新主演版の「無法松の一生」であり、大映作品としては阪妻版に次ぐ2回目の映画化。

阪妻版のラスト(松五郎が軍人未亡人に恋心を告白し、自らを恥じて生き絶えるまで)が軍から時勢にふさわしくないとの理由でカットされたことで知られている作品で、戦後の作品は全てそのカットされた部分も再現している。

もともとのストーリー自体がしっかり出来上がっているので、映画化はそれぞれの作品での役者の魅力や演出の違いなどを楽しめば良く、作品の出来自体に特に大きな優劣はないように感じる。

天衣無縫な松五郎を演じている勝新は過去の松五郎役者に比べ一番役柄のイメージにフィットしているようにも感じるし、よし子役としては大映専属ではなかった有馬稲子さんが参加しておられるのも興味深い。

屈折した女性を演じることが多い有馬さんにしては、本作の未亡人役はかなり素直な役柄だと感じる。

さらに、新東宝から移籍した宇津井健さんが夭折する吉岡を演じていたり、その息子役を「大魔神」(1966)や「マグマ大使」のガム役で知られる二宮秀樹さんが演じていたりしている部分も見所になっているが、中でも印象的なのが松五郎の幼年時代の描写である。

薄幸の幼年時代の松五郎を「どですかでん」(1970)で名を知られた頭師佳孝君が演じており、このシーンがなかなか良い。

子供の頃の不遇な描写をきちんと再現してみせたのはこの作品が初めてではないだろうか?

この当時の大映作品群の中でも子供の使った成功例のような気がする。

個人的には「男はつらいよ」シリーズの寅さんは、この松五郎がキャラクターのベースにあるのではないかと考えていたが、本作で松五郎が語る幼年期に母親との折り合いが悪かった話などを聞くと、寅次郎の不遇な幼年時代と重なる部分がある。

土建屋の親分結城重蔵を演じている宮口精二さん、撃剣の師範役を演じている安部徹さんや松五郎の友、熊吉を演じている遠藤辰雄さんなど、普段のイメージとは一味違ったキャラクターを演じておられるベテラン脇役陣も見どころだと思う。

細かいことかもしれないが、熊本の学校へ向かう敏男を見送りに駅に来た松五郎の髪の白髪処理がないように見えるの気にならないでもない。

その前のシーンや敏雄が帰省する夏休みの頃の松五郎は白髪頭になっているので余計に気になる。

クライマックスの祇園太鼓のシーンは、回る人力車の車輪のシルエットと太鼓をオーバーラップさせた阪妻版が有名だと思うが、本作もたくましい勝新の肉体と相まってなかなかのシーンになっている。

話自体は過去作品で知っているのだが、何度見てもこの作品のラストには涙を禁じ得ない。
▼▼▼▼▼ストーリーを途中まで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼
1965年、大映、岩下俊作原作、伊丹万作脚本、 三隅研次監督作品。

石垣と伊福部昭の音楽をバックにタイトル

キャスト、スタッフロール

空を飛び交う蝙蝠(アニメ)を捕ろうと子供達が上を見上げ、布を結んだ棒を振り回したり、履いていた草履を空に投げ上げたりする中、人力車が通り抜けて行く。

そんな子供の1人を赤ん坊を抱いた女房が叱りつけ、言う事を聞かん子はおまわりさんに!と脅していると、制服姿の巡査がちょうどやって来たので、子供達は驚いて一斉に動きを止め、近づいて来た巡査に怖々道を譲る。

高入宿「宇和島屋」の表のランプに小僧のぼんさん(塙呑海)が火を灯す。

そこにやって来た巡査(伊達三郎)は、踏み台から降り敬礼して出迎えた少し頭の足りないぼんさんに、オヤジおっか?と聞く。

家の中に入り込んだ巡査に気づいた主人(柳谷寛)が、これはこれは、旦那じゃありませんか、これはどうも!と慌てて出て来て座り込むと、これぼんさん、ざぶとんばあげんかと命じるので、もう構わんで良かと巡査は言いながら玄関口に腰を下ろす。

時にオヤジ、松五郎が帰っちょるそうじゃの?と巡査は言い出したので、へえ、そうですかのと主人はとぼけると、どうもいつまでもきびしいこって…、毎日の御勤めた異変でっしょ?などと言いながら団扇で巡査を扇ぎ始める。

ちょっと待て!とそれを制した巡査は、オヤジ、松五郎は一体おるのか、おらんのか?と問いかける。

松五郎のことなら旦那も知っとるでしょうが?去年の旧正月、この一件で小倉ば追放になるっち…と主人が博打の壺を振る真似をしながら言うので、そげんことは聞かんでも分かっちょらいと、ちょうどぼんさんが持って来た座布団を尻の下に敷いた巡査は答える。

わしは去年の事は聞いておらんのじゃ、松が3日程前からこの辺に舞い戻って来ちょることは確かな所から聞いてちゃんと知っとるんじゃけんと巡査は言う。

その頃、二階の部屋では富島松五郎(勝新太郎)が二日酔いの頭痛にうなされながら寝込んでいた。 お前が知らんはずがなかろうが、オヤジ!と巡査は詰め寄る。

あいつが黒崎の方で喧嘩して小倉の方へ匿っちょるんは、もうちゃんと足取りば調べちょるんやけんと巡査は真顔で言うので、一瞬真顔に戻ったオヤジだったが、ほお、松が喧嘩をしたとですか?あれは又誰と喧嘩したとじゃろうか?と他人事のように答える。

布団で頭を押さえていた松が、お~い、ぼんさん!と呼びかけたので、玄関口にいた主人は青ざめ、巡査も二階の声に気づく。

おい、ぼんさん、ちょっと来い!と又松五郎が呼ぶので、仕方なくぼんさんは二階へ上って行くが、それを見ていた主人と巡査は思わず一緒に笑い出す。

団扇を扇ぎながらいつまでも笑い続ける主人を、途中で真顔に戻った巡査が馬鹿もん!と一喝する。

さすがにバレたと気づいた主人は、これはもうしくじりじゃ…、旦那に叱られても仕方なか、けど嘘は申しません、あの不死身の松が三日三晩火のような高熱でな、ついさっきまでうわごとばっかり言うとったんじゃから…と照れくさそうに頭を掻きながら打ち明ける。

その時、二階から下りて来たぼんさんがタバコ盆を手に戻ろうとしたので、どこに持って行くんか?と主人が聞くと、二階を指差すので、松っあんのとこか?と主人は聞き返す。

あの大病人が何故タバコ盆がいると?と聞くと、ぼんさんは二階を指差しながら吸う真似をしてみせたので、ええ!松っあんがや!タバコ盆ばや?と主人は驚き、呆れながらも、持ってけと命じる。

階段を登って行くぼんさんを見ながら、さっきまでうわ言を言って、今はタバコ盆か?と巡査が主人に嫌みを言いだしたので、こうなると、ちょっと話がありまっせんな…と主人は横を向いて言葉を濁しだす。 巡査は、オヤジ、状況不利と言うとこばいと主人に皮肉を言う。

すると主人は肝を決めたのか、でも旦那、松が大怪我で大病人と言うことは、これは駆け引きとは違いますばい、これを疑われたんじゃわしは死んだ方がましたいなどと言い返す。

その時、二階からぼんさんが下りて来て外に出ようとするので、ぼんさん、ぼんさん、どこに行くとな?と主人が聞くと、ぼんさんはうどんを啜るような真似をしたので、何や?うどん?松さんがや?と主人は驚く。

するとぼんさんが指で6本差し出したので、え?6?6個もか!と主人は驚く。 それを一緒に見ていた巡査は、オヤジ、いよいよ形勢否なり…ちゅうとこばいな?と言うので、わいはもう言いまっせん、俺には何のことやらさっぱり分からん!と主人は目をそらせて言う。

すると立ち上がった巡査は、ま、おることが分かれば良いわい、どうこうするちゅうんじゃなか、心配せんじょけと言いながら帰ろうとするので、それなら良かけんど、旦那、松は一体誰と喧嘩したとですか?と追いすがりながら主人が聞くと、うん、相手が悪か…と言うと巡査が笑い出したので、釣られて主人も笑い出す。

その後、6杯のうどんを平らげ、主人や仲間たちに囲まれ煙草をくゆらせていた松のいる部屋に上がって来たのはオィチニの薬屋(大辻伺郎)だった。

やっとるとぜ?と集まった仲間たちに声をかけた薬屋は、そこに置いてあった6つの丼を数え、君はですね、三日三晩寝込んだあげくですね、急に起きてですね、うどんを16杯食った、近所でももっぱら評判ですと報告したので、その場にいた仲間たちは愉快そうに笑い出す。

オィチニの先生、あのですね、松さんがですね、喧嘩のですね、一部始終をですね…と仲間の1人が言い出したので、物語ると言うんですか?それは楽しみ!と言いながら、薬屋は松の前に座り、それからどうしたのです?と聞くので、ああうるさかとが戻って来たの~と俥夫熊吉(遠藤辰雄)が迷惑気にぼやく。

なあ、松ちゃん、気にせんでやっちくれいと熊吉が頼むと、ああ、荷揚げ札の話だけやっちまうけんどの…と答えた松五郎は、ちょうどその日はの、芦屋を離れてあちこち道草ば食うたけんね…、黒崎に近づいたらもう日暮が近かったたいとタバコを吸いながら話しだす。

(回想)そんな松五郎の前に立ち止まり、おい、車屋!と呼び止めた撃剣の師範(安部徹)は、若松までなんぼで行くか?と値段を聞く。 そうじゃの~、回り道じゃし、5貫はもらわにゃ~と松五郎が答えると、5貫?50銭か…、そら高か、40銭で行けと師範は言う。

ああ、40銭じゃやれんたい…と言いながら松五郎が通り過ぎようとすると、40銭で良か!と師範が再度命じて来たので、旦那、わしは酷う疲れとるんじゃ、他の車に乗ってくれんか?と断ると、他の車ちゅうてもこの辺には車はおりゃせんたいと師範は粘り、ぐずぐず言わんで行け!と持っていた杖で車軸を地面に叩き落としたので、お前、俺の車に手をかけてどげんするとな?と松五郎は師範を睨みつける。

すると師範は、妙なことば言うな?客が乗ってやろうと言うのが貴様には分からんとか!と居丈高になって言う。 松五郎は、分からんたい、俺はお前のようなあんぽんたんは乗せんのじゃ、退け!と松五郎が答え歩き出すと、待てこら!と呼び止めた師範は車を掴んで止めようとする。

邪魔だ、退け、退け!とその師範を振り落とそうとすると、待たんか、貴様(きさん)!と追いすがって来た師範が車を無理矢理止める。 松五郎は冠っていた笠を脱ぎながら、待ったらどないしたとな?と師範を睨み返す。

師範は、なして客ば侮辱した?と聞くので、御主、俺に喧嘩ば売る気か!と松五郎も答える。

俺もここらじゃちょっとうるさい男での…と言いながら笠を車の中に投げ捨てた松五郎は、小倉名物袴に鼻緒、命知らずの松五郎ちゅうのは俺のことばい!と教える。

おもしろそうにそれを聞いていた師範は、それがどげんした?と言うので、ごげんもなか、大手が先たい!と言いながら松五郎は師範の顔を殴りつける。

ふらついた師範に馬乗りになった松五郎は、貴様(きさん)!と罵倒しながら尚も殴りつけるが、それを振り払って起き上がった師範は持っていた杖を構え、松五郎の脳天を一撃する。 松五郎は頭を押さえ、その場に倒れ込む。

(回想明け)俺はそのまんま、わしは歌うてしもうたんじゃ…と松五郎は頭を押さえながら話し終える。

仲間たちと一緒に熱心に聞いていた主人も事情を知り、なるほど!と頷くと、ところで松っあん、その相手は誰だと思うちょるな?と聞くので、それは分からんばいと松五郎が答えると、お前の相手はな、松っあん、若松警察の撃剣の師範たいと主人は教える。

おっ父はどげんしてそげなことばしっちょるとな?と不思議そうに松五郎が聞くと、おまわりさんから聞いたったい、なんぼ松っつあんでも、こりゃ敵わんばい、相手は商売じゃけんなと主人は言う。

それを聞いた松五郎は、道理でしっかり答えると思うたばい点と言いながら頷くと笑い出すが、すぐに頭に響くことに気づき頭を抑える。

「玄武門」と日清戦争の様子を描いた常磐座の看板絵を前に、芝居の呼び込み(星ひかる?)が客達を呼び込んでいた。

そこにふらりとやって来た松五郎が草履を脱いで中に入ろうとすると、何だお前は?と呼び込みが声をかけたので、すまんが、ちょっとだけ覗かせてくれんか?と松五郎が頼むと、ええ?宵の内からただ見するとか?今度の芝居は貴様らが見るような城の回りの小屋掛け芝居とは違うんやけん、見たかったら別の日に来るったい、そしたら一幕くらいなら見せちゃあけんと呼び込みが文句を言って来る。

松五郎は、そうかい、俺たちが見る芝居とは違うんかい?偉いすまんかったと言うと、草履を地面に下ろして帰りかけるが、けんど俺は小倉の松五郎ばいと詰め寄ると、それがどげんしたとな?と客引が言うので、どげんちゅうことはなかが、小倉の車引きが小倉の芝居屋で木戸を突かれたっちゅうのは聞いたことがないけの…と松五郎は言い、その場から去って行く。

その後、熊吉と2人連れでもう一度戻って来た松五郎は木戸銭を払い、驚いた様子の客引に見せつけるように木戸を置く。 客引は、一等桝だよと切符売りから声をかけられ、一等桝ばいと奥に声をかける。

最前列に近い席に座った松五郎と熊吉は、持って来た風呂敷包みを降ろし、早速その場に炭の入った七輪を出すとその上に鍋を置く。

芝居の開幕を松客席の中で、さらに松五郎は鍋と一緒に用意して来たニンニクとにらを取り出すと、熊吉にニラを鍋に入れるように命じると、時分は一升瓶の酒を飲み始める。 臭い匂いが客席に広がりだし、何ばしよっとか!と文句が出るが、鼻に紙を詰めた熊吉がやかましい!と言い返し鍋を持ち上げると、松五郎が直接ニンニクを炭の上にくべ始める。

降りて来い!おかず作るなら家で作って来い!と二階席からも文句が出たので、何な?文句をある奴は降りて来い!無法者の松五郎が相手になってやらい!自分の買うた桝の中で何を焼こうと煮て食おうとこっちの勝手たい!と松五郎は二階席を睨みながら立ち上がって言い返す。

すると、そうだ、そうだ!その通り!と1人の女性客が二階席から応援して来る。

なあ?そうじゃろたい?お前話し分かるとたい!と松五郎はその女客を見て笑顔で応えると、おい!四の五の言う奴はいつでもやって来い!相手になってやるけんと他の客達に挑発をする。

そこに常磐座の呼び込みがやって来て、あんた方何ばしよっとかい?と詰め寄って来たので、酒の肴ばこしらえちょるんじゃいと松五郎は答える。

いい加減客の迷惑になるようなことをすっと出て行ってもらうばい!と呼び込みが注意すると、俺が好いちょるもんば焼いて食おうと文句あるまいと松五郎は屁理屈を言い返す。

だいたい今時枡の中で煮炊きするなんて流行らんばい!あんな、ここは田舎の小屋掛芝居とは違うんじゃけんと呼び込みが文句を言うと、何な!と言いながら松五郎が呼び込みの頭を殴ったので、倒れ込んだ呼び込みは頭を押さえながら、何ばすっか!と言う。

小屋の若い衆たちが松五郎に飛びかかって止めようとしたので、松五郎は大暴れする。

客たちは逃げ出し、熊吉も松五郎を加勢して暴れていた。

そこに勇気組の若い衆とともに仲裁にやって来たのは結城重蔵(宮口精二)だった。

若い衆が声をかけて静まらせようとするが、そんなことは気付かずまだ暴れていた松五郎を、止めとけ!東京の有名な親分たい!どんがらがんの工事のことでこっちに来とんさる!と熊吉が抱きついて止める。

こりゃどうも!と呼び込みが恐縮して頭を下げると、早速手を引いてくれてありがとうと礼を言った結城は、ところで、そちらの松五郎さんとやら…と近ずくと、何だ!と松五郎がいきんだので、いや、事と次第によってはお相手をしないもんでもないが…と苦笑し、こりゃもっと他に話の仕様があると思うと冷静に答える。

申し遅れたが、わしは結城重蔵と言うケチな者だ、一応この場はわしに任せてもらえんだろうか?と結城は下手に出てくる。

松五郎は手のひらに唾を吐き、我慢できないと言うような顔をするが、持っていた材木をその場に捨てる。

後刻、結城の宿に招かれた松五郎、熊吉と常磐座の呼び込みは、ま、理屈から言やあ、顔で入ることはよくないことに違いない、しかし今まで長い間、小倉の俥引きの法被は新聞記者の名刺と同じように扱われて来たと言うじゃないか…、とすればこれは一つのしきたりというもんだ…と話す結城の言葉を神妙に聞く。

今まで人がそれを守って来たからにゃ、そこに何かの因縁があるに違いない、それを木戸番さん一人の考えで急に止めてしまおうとすればどうしたってそこに無理が起こるのは当然だろう…と言い聞かせた結城は、しかし松五郎さん、あんたのやり方も正直なところわしは感心しないよ、そりゃお前さんの腹立ちはよくわかる、しかし事件に何の関わりもない大勢の見物衆に迷惑をかけた罪はどうして償いをする?と松五郎にも問いかける。

ここでしゃんしゃんと手を打てば、お互いの間の話はそれでつく、しかし見物衆にかけた迷惑というのは決して消えない…、松五郎さん、あんたはこれをどう考えるな?と結城は問うので、さしもの松五郎も黙り込んでしまう。

俺ゃ、そこに気づかんじゃったばいと絞り出すように松五郎は言うので、いや、松五郎さん!と結城が言葉を続けようとした時、謝る!俺は謝る!と答えた松五郎は結城に対し頭を下げる。

それを見た結城は、えらい!恐れ入った!と笑顔で感心する。

こんなすっぱりした竹を割ったような男は見たこともない、今のお前さんの言葉で見物衆に対する罪も消えたようなものだ、それじゃあこの場は綺麗にわしに任せてくださるな?と結城は聞く。

いや、もう…、任すも任せんもないたい、俺は…と松五郎は頭を下げたまま悔いたので、いやあ、できたできた!おかげでわしの顔も立ったと言うものだ、じゃあここで締めを!と結城が言い出し、その場に座した4人で三本締めをする。

松五郎はすっかり結城に惚れ込む。 ある日、車を引いて戻って来た松五郎が、井戸水をバケツに汲んで車を洗おうとしていた時、側を通り抜けていった竹馬に乗った子供達の中の一人が足を滑らせ石垣の下に転げ落ちたのに気づく。

急いでその場に走っていった松五郎は、怪我して泣いていた子供を抱き上げてやる。 石垣の上に持ち上げ、立っちみいと言うが、痛いと言うだけで泣き喚くので、どこが痛いんじゃ、ここか?と足を触り、これはどこの坊主か?とその場にいた子供たちに聞くと、館おやしきのボンボンたいと言うので、足に手ぬぐいを縛ってやり、坊主、父ちゃんの名前は何ちゅうか?と聞く。

すると、泣いていた敏雄(二宮秀樹)が吉岡小太郎!と答えたので、抱いて仲間の子供達と一緒に家まで連れてくる。 ごめん!と玄関を開けた松五郎が声をかけると、出て来た母親よし子(有馬稲子)が、敏雄、どうしたの?と聞いてくる。

敏雄がどうかしましたんでしょうか?とよし子が聞くので、大したことはなかと思うけど、とにかく医者に連れて行かにゃと松五郎は抱いてきた敏雄を渡しながら言う。

お願いします、ご面倒ついでに蜂須賀さん、お願いします、私もすぐに伺いますからとよし子は答える。

病院で治療を受けた敏雄を自宅まで連れてきて松五郎に、あの…、これ、ほんの少しですけど…とよし子がおひねりを差し出したので、奥さん、そんなものはいらんたいと松五郎が断ると、どうしてですか?それじゃ私が困りますけんてんとよし子は戸惑い、これ取っといてくださいと差し出す。

いや奥さん、それはいかんって、こりゃ商売じゃないんやけんと松五郎も固辞する。

でも…、それじゃあ私が主人に叱られますと言いながらよし子は無理やり松五郎の手におひねりを乗せて渡す。

松五郎は自分の手を握ってきたよし子の手の感触に驚く。

奥さん、俺たちのようなつまらん人間でもたまには損得を忘れて人のために働くこともあるんじゃい、今日はこのままあっさり帰してくんさいと言うと、松五郎はおひねりを上がり框に置いて帰って行く。

その後、帰宅した吉岡小太郎(宇津井健)は列車のおもちゃで遊んでいた息子の敏雄に、どうだ、痛いか?と聞く。

ううんと敏雄が答えると、痛うない?ずいぶんな痛そうじゃないかと吉岡は案ずる。

しかし敏雄は、僕、泣きやせんよと言うので、泣きや先手?そうかの~、敏雄の泣き声が演習場にまで聞こえてきたぞと吉岡は苦笑しながらからかう。 すると敏雄が、ちょっとくらいは泣いたけど…と白状したので、吉岡は愉快そうに頭を撫でてやる。

その時、よし子が、あなた、お召し替え…と声をかけてきたので、軍服の上着を脱いで座敷にいたよし子に渡す。

お留守の間に怪我をさせてしもうて本当にすみませんとよし子が着物を羽織らせながら詫びると、何、男の子じゃもん、それくらいのことちょいちょいあるよ…と吉岡は着替えながら答える。

しかし、その世話になった車屋と言うのはどこの者かの?と吉岡が聞くと、それが…、いくら聞いても申しませんし…とよし子が答えると、うん、近頃変わった奴じゃが、名前だけでも分かると良いんじゃがな…と吉岡は言う。

荒物屋のおばさんの話で名前だけはわかりました、つい近くの帳場に出とる松五郎とか言う…とよし子が教えると、何?松五郎?じゃあ無法松か?と吉岡は聞き返し急に笑い出したので、ご存知でしたの?とよし子は驚く。

へえ、知っちょる、知っちょると吉岡が愉快そうにこう笑するので、事情をよく知らなよし子は、まあ…、どうでしょうか…、何がおかしいのと呆れる。

いやあ、ありゃ痛快な奴よ、おい、お前も覚えとるじゃろう、去年の春、奥大将が小倉に帰省されたの…と食卓に座りながら吉岡が言うと、はあ、覚えとりますとよし子が答える。

あの時,御閣下を乗せて駅から堺町まで走ったのは余人にあらず松五郎だよと吉岡が教えると、あら、そうでしたの…とよし子も面白がる。

ところが…とタバコに火をつけながら吉岡が話を続けかけたので、ところが何ですの?と敏雄のご飯を装いながらよし子が聞くと、ところがじゃ、歓迎の小学生に対する懇話を終えられていよいよ奥大将が松五郎の車に乗ろうとせられた時にだ…と吉岡は続ける。

(回想)整列して大将に敬礼する吉岡。

人力車に乗った奥大将(北龍二)が、行先は分かっているのか?と車夫の松五郎に聞くと、知っちょる、知っちょると松五郎が軽く答えたので、車屋、わしの行先は分かっているのか?と大将が念を押すと、知っちょるったら知っちょる、何遍言うたら分かるとか?心配せんでも、お前の行き先はちゃんと聞いて知っちょらい!と松五郎は振り向いて言い返す。

それを聞いた将校が近づいてきて、閣下、何か失礼を申しませんでしたか?と聞くと、違う、違う、何でもないよと奥大将は平然と交わし笑い出したので、整列して見送る吉岡はその様子を驚いたように見る。

(回想開け)俺も見とって、何と乱暴な奴があるかと思っての~と吉岡は晩酌を口にしながらその時のことを愉快そうに教える。

いやしくも当時、武勲かくかくたる司令官閣下が、まるで後光の差すような凱旋将軍を連ねて、お前の行くところは分かっちょる、お前呼ばわりされたんで驚いたよと吉岡は笑う。

本当に…とよし子も笑うと、それからその車夫のことが隊でも評判になってな、いろいろ聞いてみると、こいつは無法松といって有名な男だと分かったと吉岡は続ける。

色々面白い逸話があるらしいが、一度御礼型柄一献献じて話でも聞くかな?と吉岡が言い出すと、よし子も、それは良うございましょうと賛同する。

翌日、人力車帳場の前で網の修理をしていた熊吉に、あの~、ちょいと伺いますがと声をかけたよし子は、へえと返事をして起き上がった熊吉に、松五郎さんと言う方はおられませんか?と聞く。

ああ、今ちょっと出ておりますけんど…と熊吉が答え、何なら…と帳場へ誘おうとしていた時、お~い、帰ってきよりましたばい!あの男がそうで…と道の向こうを見ながら嬉しそうに教える。

近づいてきた松五郎は、奥さん、ボンボンはどげんですっとな?と笠を取りながら聞いてくる。

は、昨日は本当に色々有難うございましたとよし子は礼を言い、おかげさまでだいぶ宜しいのですけど、あの…、お手隙でしたら今日もまたお医者様に連れて行って欲しいんですけど…と頼む。

松五郎は、ええ良かです、ほんならこのまま行きますたいと答え、人力車を引くと、奥さん、家まで乗って行きなっせと勧める。

よし子は笑って、私はよございます、あれだけのところ、乗ったり降りたりしている間に行ってしまいますもん…と遠慮する。

まあそうかの~と松五郎もてれ笑いし、よし子に付いて行くことにする。

その日、松五郎が人力車で敏雄を病院に連れて行くと、それからはよし子が松葉杖をついて歩けるようになった敏雄を病院まで送り迎えするようになる。

やがて敏雄の足は全快し、また友達と一緒に車輪回しをして遊べるまでになる。

そんなある日、吉岡に招かれ酒を振舞われた松五郎は、酔った勢いもあり歌を歌い出す。 そこによし子が新たな酒を運んで来ると、それに気づいた松五郎が急に歌うのをやめてしまったので、どうした?富島、続けんかと吉岡が言うと、旦那、一杯!と言いながら自ら酌をする。 吉岡は、誤魔化したってダメだぞと苦笑しながら盃で受け、貴様、やれっちうたら!と歌の続きを命じる。

すると松五郎は、やるにはやるけんど、奥さんをちょっと…、俺はやりにくっていけんのじゃと照れるので、まあ、酷う嫌われましたした事…とよし子は呆れたように笑い、それじゃあ今すぐ引き下がりますからと松五郎に言う。

敏雄はもう寝たか?と吉岡が聞くと、もうっとっくに…とよし子は答える。

そうか…と答えた吉岡は、おい富島!松っつあん!遠慮するな、もっとやれ!俺はなんだか知らん、貴様がえろう好きになったぞと松五郎に話しかける。

そして吉岡は、少し酔うたかな?よし子、少し寒いな…、縁側を閉めてくれと訴えるので、よし子は閉まっておりますけど?と不思議がる。 そうか…と答えた吉岡だったが、盃をつかもうとして体調の異変に耐えかねたのか、松っつあん、俺は失敬して横になるぞと言いだす。

その場で横になった吉岡に、よし子は、あなた?ご気分が悪いんじゃございませんの?と案じ顔で問いかける。

いやあ、違う、違うと否定した吉岡だったが、おい富島!と呼ぶので、はあ?と言いながら松五郎が近づくと、はあじゃないだろう、貴様が軍人なら間違いなく少将にまでなれる男だ、惜しいな…と寒がりながら言うので、照れ笑いした松五郎は違う!と否定する。

違う?と吉岡が聞くと、俺が軍人なら大将まで行きますけんと松五郎が言うので、吉岡は苦笑し、いやあ、ごめん、ごめんと言う。

そこによし子が枕を持ってくると、寒いよと言いながら吉岡は身を縮めたので、どうしたのかしら?こんな暖かい晩に寒いなんて?とよし子は怪訝そうな顔にな理、吉岡の額を触ると、ひどいお熱なようですけど?と言うので、そんなことがあるもんかと吉岡は寝返りを打ちながら否定するので、今体温計を持ってまいりますと言いながらよし子は部屋を出てゆく。

少し風邪っ気のところ、演習で雨に打たれたのがいけなかったんでしょう、熱は9度9分とおっしゃってください、すぐに来てくださると思いますと医者を呼びに行くことにした松五郎によし子は頼む。

無理にでも来てもらって…と言いながら出かけようとした松五郎に、それから氷を買ってきてください、バケツか何か持って行きますか?と言うので、何、急いで行ってきますばい!と答え松五郎は夜の闇に走りだす。

お願いします、すみません!と送り出したよし子だったが、吉岡はその風邪が元で急逝してしまう。

追悼の軍ラッパが鳴る中、松五郎が付き添い、敏雄を連れたよし子は吉岡の墓参りをする。

どうぞと促された松五郎も墓の前にしゃがみ込み合掌すると、まるで夢のようですたい…と呟く。

旦那のような人が早う死んで、俺のようなクズはいつまでも生きとる…と松五郎が自嘲するので、松五郎さん、もうおっしゃってくださいますな、私ももう亡くなった人のことはもう言わんつもりですから…とよし子は制する。

これから私の命はこれです、これだけです!と言いながら、よし子は敏雄の頭を撫で、抱きしめるので、そげんですな…、そんでなけりゃ…と松五郎も同意する。

ただ、案じられるのはこれが父親ほど強うないことです、心も体も父親ほど強うないことですとよし子は敏雄を見ながら打ち明ける。

それを聞いていた松五郎は、奥さん、ボンボンはまだ小さかけん、これからの育てようでどうにでもならい、案じることはなかですと敏雄をかばうように言葉をかける。

そうでしょうか?女の力でこの子を強うできますかしら?とよし子が案じるので、そりゃできますたい、これで俺が少しでも学問のある人間ならこげん時にお役に立てつんですけんど…、どうも俥引きじゃ…、情けないことですたい…と松五郎は自分の非力さを悔やむ。

するとよし子は、そんなことはありません、私からもお願いします、折があったらどうかこの子を鍛えてやってくださいと頼む。

それを聞いた松五郎は、そりゃあ…、俺でできますことはなんでもやりますけんど、どうもこりゃ大役ですばい…と戸惑う。

その日から、松五郎は車に敏雄を乗せて宇和島屋に来ると、上がり框に腰掛けさせ、寒かったろうと手を握って温めながら、おい銀杏食うか?と聞く。

ザルに入った銀杏を取り出し、ほら、うまかぞ!と言いながら松五郎が火であぶり始めると、銀杏の実を子供が食べると毒になるってお母さんが言ってたよと敏夫は言い出す。

あんまり食うたら悪かけんど、少しなら良かたい、心配せんでも良か、おいさんも食うけんと言いながら、松五郎は急須に鉄瓶から湯を入れてやる。

なあおいさん、さっき言うたこと本当?と敏雄が聞くので、さっき?何ちゅうたかの?と松五郎が聞き返すと、空、おいさん、子供の時、泣いたことない言うたやろ?と敏夫は教える。

ああ、そのことは…、それはなかたい、滅多になか…と答えながら、松五郎は湯呑みに茶を注ぎ、おいさん、ボンボンのように泣き虫じゃなかったけん…と言いながら湯呑みを敏夫に手渡す。

ちょっとくらい怪我して痛うても泣きやせんたい、じゃけんど一度だけ泣いたことがあるんじゃ…、うん、思い切り泣いたことがな…、子供ん頃…と松五郎は自分も湯呑みを手に話す。

それはどうして泣いたと?と敏雄が聞くので、ありゃおいさんが8つくらいのことじゃった…と松五郎は続ける。

おいさんの母は継母言うての、これは酷か人じゃったけん…、ちょっと癪に触ることがあると、き○がいのようになっておいさんを殴ったりつねったりしとったんじゃと松五郎は言うので、ふ~ん、そんなに継母って恐ろしいのかな?と敏雄は驚く。

松五郎は足を組み、ああ、ボンボンみたいにええお母さんを持ったものには分からんばいと言う。

奥さんのようにボンボンを可愛がる綺麗かお母さん、小倉中探してもおりゃあせんわい…、ボンボンは本当に幸せ者じゃ…と松五郎は気恥ずかしそうに敏雄に告げ、囲炉裏にくべた銀杏をかき混ぜる。

そのまま母に叱られて泣いたと?と敏雄が聞くと、おお?違う、違う、ほら焼けた!とギンナンを1つ火箸でつまみ上げた松五郎は、自分の歯で殻を割ってやり、敏夫の手のひらに乗せてやる。

敏夫がギンナンを口にすると、どうじゃ旨かろう?と聞いた松五郎はさらに銀杏の実を渡してやるが、おいさん、泣いた話はどげんなったと?と敏雄が焦れたように聞く。

う~ん…、そりゃあのう…、やっぱ冬で、寒か日じゃった…と松五郎は昔を思い出すように呟く。

(回想)継母(小柳圭子)から汚い路地に叩き出された少年時代の松五郎(頭師佳孝) いつもの伝で、朝から酷う叱られた…

泣き出しそうになるのを我慢してよう堪えたんじゃが、その時分おいさんの父ちゃん、軍隊に収める買いに広野ちゅう村に行っといたたい、小倉から4里ほど離れた山ん中じゃったが、父ちゃんに会いとうなるとたまらんようになっちな…、ちゅうて裸足の一文無しで飛び出していくわけにもいかんて、そこでの…と松五郎は話す。

家の前を流れるドブを見つめながら物影で身を潜めていた少年松五郎は、継母が家から出かけるのを見つけると、その直後密かに家の中に入り、小銭を取り出してそれを持って父親に単身会いに行く。

長い橋を渡る途中、すれ違った大人に行き先を確認し、酒屋の前に差し掛かると、おばさん、うどんあるの?と松五郎は店のおばさんに聞く。

店のおばさん(小林加奈枝)はいきなり子供が1人で来たので、うん、うどんあるけんど…、ボンボンが食べるんけ?と不審げに聞く。

松五郎が家から持ち出してきた小銭を懐から出してみせると、うん、それは後で良いけん…とおばさんは言いながら小銭を押し戻すと、それよりもボンボン、あんた、どこに行くんけ?と聞く。

広野!と松五郎が答えると、どこからの?とおばさんが聞くので、小倉!と答えると、どうやろか!こんな子供が小倉から広野まで1人で行くちゅうとるもん…、のう、おっさん…とおばさんは囲炉裏端で酒を飲んでいた客(藤川準)に話しかける。

うん、なかなかしゃんとしたもんじゃのう…と客は感心すると、ぼん、こっちおいでと囲炉裏端に手招き、広野には何しに行くんかの?と聞く。

お父ちゃんがいると松五郎が答えると、その…、母ちゃんはどげんしとるか?と客が聞くので、松五郎が返事をしないでうつむいていると、ははあ、ボンボン、母ちゃんに叱られたいばいな?え?そげんじゃろうが?と客は笑顔で気づく。

うちのお母ちゃん、本当じゃなかもん…と松五郎が教えると、ふ~ん、何ぞ事情があると思っちょったが、やっぱしのう…と客は納得し、そこにおばさんが出来上がったうどんを運んで来て、お金などいらんけん、ぎょうさん食べるたいと言いながら丼を渡してやる。

それにしても町内の子の、しっかりしたこと、どうじゃろか!とおばさんが驚くと、うんと客も頷く。

早う食べんしゃい、後でおばんが草履も替えちゃるけん…とおばさんは優しく松五郎に接してくれる。

酒屋のおばさんがくれた新しい草鞋に履き替えた松五郎はまたちちおやをのいる広野へ旅を続ける。

雁が遠くの空に飛んでいく中、いつしか周囲は暗くなってしまう。 闇の中で少年松五郎は怯えだす。

小道の両脇に生えた枯れ木の間に白いおばけのような幻影を見た松五郎は怖くて走り出す。

やがて明かりが見えてきたので、夢中でその明かりのついた家の扉を開けると、中には大勢の男達が集まっていた。

ありゃ?あげんところから子供が覗いちょる!おかしかと、今どき…と1人の男が松五郎に気づく。

こりゃ、おめえ、豆狸じゃなかとか?と別の男が怪しんで聞いてくる。

坊主、こっちへ来てみい、しっぽが生えとりゃせんか?などと他の男がからかって来て、一斉に男たちが笑い出す。

その時、二段になった寝台の上にいた1人の男(玉置一恵)が振り返り、お!松!お前、どうしたんか?と松五郎に気づいて驚いたように降りてくる。

入口の外で立っていた松五郎はやっと父親の顔を見て安堵したように微笑む。

そんな息子を中に入れ戸を締めた父親は、良うここまでやって来たのうと感心する。

さ、こっち来いと部屋の中に連れて行こうとした父親だったが、なぜか松五郎は、嫌だ!嫌だ!と駄々をこねだす。

ここまで来たら泣くことはなか!と父親は言い聞かしながら草鞋を脱がしてやる。

松五郎は今まで耐えてきたものを全部吐き出すかのように号泣する。

(回想明け)囲炉裏の前に座った松五郎はその時のことを思い出したのか押し黙っていた。

泣いて、泣いて…、泣きくたびれて寝てしもうたんじゃが…、ボンボン、おいさんが心から泣いたのはその時より他になかったばいと敏男に話す。

敏男がその時の松五郎の気持ちを理解できたかのように頷いたので、つい目頭を拭った松五郎は、ああ、煙たか…、ボンボン、もう1つ食わんか?と焼けた銀杏を拾い上げてごまかす。

その後、小倉工業尋常高等学校で秋季運動会が行われ、鯉のぼりの中をくぐる障害物競走などを観客が喜んでいた。

松五郎はよし子と敏男を連れて見物に来ていた。 やがて棒倒しが始まると、松五郎が興奮して野次を飛ばし始めたので、敏男は恥ずかしそうに母親の方を見やる。

よし子も苦笑するしかなかった。 あまりに松五郎が怒鳴りまくるので、恥ずかしくなった敏男はそれを止めようとするが、よし子はそんな敏男を制そうとする。

袖を引っ張られた松五郎は振り返り、ボンボン、どげんしたのか?あんまりおいさんがおおきか声出すもんじゃから恥ずかしゅうなったか?と自分の興奮ぶりに気づく。

棒倒しが終わると、号外!と叫びながら三角帽をかぶった学生数人がなにか紙切れを客に配り始める。

敏男、もらってきなさいとよし子がいうが、敏男が恥ずかしがって動こうとはしないので、ボンボン、おいさんがもろうてきてやろうか?と松五郎が聞く。

立ち上がった松五郎が配っていた学生に、兄さん、1枚くんないと声をかけ、もらった紙をよし子のもとに持ってきて、奥さん、何て書いてありますな?と聞く。

次は飛び入り勝手、500m徒歩競争、どなたでも足に覚えのある方は奮ってご参加ください…ですと…とよし子が読んで見せると、我先にと立ち上がってグラウンドに入るものが周囲にいたので、じゃあ、誰が出てもよかとですか?と松五郎は聞く。

誰でも良いんでしょう?こう書いてあるんですから…とよし子が紙を再確認しながら答えると、松五郎は敏男の頭をなでながら、ボンボン、おいさん、飛び入りば一丁やってみようか?と言い出す。

おじさんが飛べると?と敏男が聞くので、他の事はでけんけどの、飛ぶことならそこらの小僧に負けやせんばいと言うと松五郎は立ち上がる。

きっと勝てる?と敏男が聞くと、ボンボンが大きか声で加勢をしてくれりゃ勝てるちゃ!と嬉しそうに言いながら松五郎は法被を脱ぎ出す。

よ〜い!とグラウンド内で声がかかったとき、お〜い、待っちくりい!もう1人飛び入りじゃ!と声をかけながら松五郎もスタート地点に駆けつけ並ぶ。

気負った松五郎は1回フライングしかけるが、再スタートで参加者全員が一斉に走り出す。

コースを回り始めた松五郎は、よし子と敏男の前に来ると笑顔で手を降ってみせたりしていたが、他の参加者たちと混戦状態になったように見えたたため、見守っていたよし子と敏男は気が気ではなくなる。

よし子はいつしか自分の羽織を裾を握りしめ、一心にレースを見守る敏男の様子に気づき驚く。

2周目を回る頃、おじさん、大丈夫じゃろうか?買ったら良いのにな〜と敏男は案じ始める。

応援席の中から、こら、無法松!と野次りながらグラウンド内に入り込む客まで現れ、他の客が取り押さえに行く。

母さん、おじさん、勝てるな?勝てるな?と敏男は必死にレースを見守る。

3週目でもまだ混戦状態だったが、敏男のレースを見る目は必死になっていた。

おじさん、勝って!おじさん勝って!と突然おとなしかった敏男が声援を送り始めたので、横にいたよし子は驚いてしまう。

おじさん!奮え!奮え!おじさん勝って!と叫ぶ敏男の声が聞こえたかのように、松五郎は徐々に順位を上げていく。

そして見事1位でゴールテープを切ったのは松五郎だった。 わ〜い、おじさん、勝った!おじさん勝った!と敏男は大喜びし、そのまま立ち上がってグラウンドの中に走りいると、おじさ〜ん、勝ったね!おじさん強いな、強いな〜!と声をかけ、1等の旗を持って上機嫌で戻ってきた松五郎に抱かれる。

その日はそのまま松五郎の肩車に乗って歌いながら敏男は帰宅する。

あんな大きな声で夢中になったの、私始めて見ました…、この子は今日、生まれて初めて血を沸かせて興奮したんですと一緒に帰ってきたよし子は敏男の様変わりぶりを喜びながら松五郎に言う。

何かこれから新しい素質が伸びて来やせんかと楽しみな気がします、本当にありがとうございましたとよし子は礼を言う。

礼ば言われて良いかどうか、俺には分からんけんど、喜んでもらえればそれで結構ですたい、じゃあ…と松五郎は帰りかけたので、あ、松五郎さん、あんた大事な賞を忘れちゃいかんでしょうがとよし子が呼び止めると、いやあ、これは俺にはいらんもんじゃけん、ボンボンがお急なったらつこうてもらおうと思うちと松五郎は答える。

でもそれじゃあ…とよし子が困惑すると、いやあ構わんですたい、それじゃあ、さよなら!と言って松五郎は帰ってゆく。

おじさん、さよなら!と見送った敏男は、母さん、おじさん偉いな!ずいぶん早いな!おじさん勝ったとき、僕嬉しゅうてたまらなんだ!と玄関を開けていたよし子に言う。

だけんど、おじさんはただ早いから偉いんじゃありませんよ、松五郎さん生まれつき運が悪かったんで車なんか引いておられるけんど、あの人がもし軍人だったら間違いなく少将くらいになれるちゅうてお父さんも言うておられたくらいよとよし子は言い聞かす。

敏男さんも男だからあの人のように思うたことをずんずんやる勇気を持たにゃいかんですよ、分かった?とよし子は言い、敏男は元気にうん!と答える。

ある日、敏男が学校で参観者や先生、級友たちの前で唱歌「青葉の笛」を披露することになる。

松五郎もよし子と一緒に行動に座りそれを聞いていた。

また節分の夜には、松五郎が鬼は外!と掛け声を上げながら吉岡の家で豆をまいてやったりもする。

やがて月日が流れ、敏男は小倉中学に通うようになる。

ある日、よし子が敏男の部屋に茶を持って行くと、吉岡、お前も男じゃろうもん、そんなら同級生に対する義理ちゅうもんがある!と言う旧友の声が外から聞こえてくる。

窓から外を見てみると、やって来た4人の同級生と敏男(大塚和彦)の会話が聞こえてくる。

おい、大きい声ばするなっちゅうたら!俺は行くちゅうちょるじゃないかと玄関前にいた敏男が級友たちに注意する。

俺んところの母親は無茶は心配するほうじゃが、それは別に分かったら…と敏男が言うと、それはお前だけじゃなか!親が興じて現場に立つもんか!と級友が言い返してきたので、聞こえるっちゅうに!ちぇっ、分からん奴ばい…と敏男は再び母親の耳に届くのを気にしながら、とにかくすぐ行くけん、先に行っちょってくれと答える。

そうか、それじゃあ間違いないな!と級友は敏男の肩を叩き、提灯行列が始まる前に芝戸のところに集合じゃけんと告げたので、良っしゃ!と敏男は答え、級友たちは先に向かう。

「青島陥落」と書かれた提灯が下がり、戦勝祝の花火が上がる。

何も知らない松五郎はぼんさん相手に将棋を指していた。 よし子は喧嘩の加勢に向かおうとする敏男の学生帽を掴み、敏男さん、お母さんはね、お父様からあなたをお預かりしとるんですよと言い聞かせていた。

それは分かっちょるけど、何もそんなに面倒くさいことじゃない、すぐに戻ってくるちゅうちょるのに…と敏男は言い返す。

今日だけは止めておくれ、私…とよし子がしつこく止めるので、おかしか〜、今日に限って…と敏男は戸惑う。

今日は何かしら悪いことがありそうな気がするんですと言い、よし子は敏男の学生帽を取り上げる。

そんなよしこの手から防止を取り戻しながら、いやあ、迷信、迷信!と笑い敏男は出かけようとするので、お母さんにはちゃんと分かってるんです!とよし子は言いながら敏男の手を握ったので、分かるもんか、そんなこと!と敏男は言い返してくる。

そんならちょっとだけと言いながら帽子をかぶる敏男の前に、いけません!とにらみながらよし子が立ちふさがる。

しかし敏男は約束を破っちゃ悪いけん!と言い、よし子を押しのけて出かけようとする。 敏男さん!と必死に止めようとしたよし子だったが、ちょっとだけ…と言い残し敏男は出ていってしまう。

人力車帳場前で将棋を続けていた松五郎の元を訪れたよし子だったが、それに気づいた松五郎は立ち上がり、あ、奥さん、何かありましたと?酷う顔色が悪かですよと聞く。

よし子は困りました…と打ち明ける。

敏男は階段の所で紅白の提灯のついた棒を手に集まって歌を歌っていた級友たちと合流する。

よし子から事情を聞いた松五郎は、そりゃあ大事じゃと顔をしかめる。

何とかならんもんでしょうか?とよし子から相談された松五郎は、何とかしまっしょう、ばってん相手は何者でしょうな?と聞く。

私の考えでは、これまでの経緯から考えて師範学校だと思いますけど…とよし子が教えると、はあ、それですばい、それに違いなか!と松五郎も納得し、ボンボンもとうとう喧嘩するような若い衆になりましたたいと笑いだす。

旦那にひと目見せてやりたかったですなと松五郎が言うのをよし子は悲しそうな顔で受け、本当に…、でも元気になったらなったで今度はこんな心配せなならんし…、どっちにしてもね〜と嘆息する。

奥さん、大丈夫、心配いらんち、ボンボンに怪我はさせませんばいと松五郎が励ますと、どうぞお願いいたしますとよし子は頭を下げる。

引き受けましたと答えた松五郎に会釈をしよし子は帰ってゆく。

それを見送った松五郎は、おいぼんさん、もう将棋しておられんち、お預け、お預けと言うと、ぼんさんは急に松五郎の袖を引き、今帰っていったよし子との仲をからかってきたので、松五郎はいきなりビンタをして張り倒す。

暗くなり、戦勝祝の提灯行列が始まった中、松五郎は敏男の居場所を探して歩き回っていた。

夜空には花火が上がる中、提灯行列が続いていたが、その中の一段に敏男は混ざって更新していた。

やがてある場所に来ると、敏男たちのグループが行列から離れ、林の中に入り込んでゆくが、その様子を木の陰から松五郎が監視していた。 吉岡家ではよし子が仏壇を拝んでいた。

暗闇の林の中に潜んでいた松五郎は、師範学校の生徒たちと喧嘩を始めた敏男たちの様子をじっと観察続けていたが、喧嘩の痛みに耐えかね1人逃げ出した敏男の前に立ちふさがって両手を広げる。

松五郎と知った敏男は、おいさん、助けて!と言いながらその両手に飛び込んでいくが、そんな敏男に松五郎は、弱虫!と叱りつける。 ボンボン見ちょれ!喧嘩はこうすっとたい!と言うと、松五郎に気づいて飛びかかってきた中学生たちを1人で相手し始める。

あっけにとられたような表情でその喧嘩を見守る敏男。

その後、学生帽をかぶった松五郎が車を引く姿があった。

後日、学校から帰宅した敏男にどうでした?とよし子が聞くと、何な?と敏男が聞き返すと、何なて、試験のことに決まっとるじゃありませんか…がとよし子は呆れたように答えると、ああ、手続き済ませましたと敏男が言うので、そうかい、良かった、良かった…、熊本なら近くて母さんも心丈夫だし…とよし子は安堵する。

そげんこと言うても、通るかどうか分かりもせんとに…と敏男が言うと、通ります!とよし子が断言したので、そりゃあ、お母さんがなんぼ言うたってできんたいと敏男は言い返す。

それを聞いたよし子は、敏男さん、自信を持っておくれ、あんたにはいつもお父様が付いておられるんですよと励ます。

うんと頷いた敏男は、ねえ豆なかと?と聞くので、何にもありませんよとよし子が答えると、ちゃぶ台に置いてあったおかずをつまみ食いするので、又!子供みたい…とよし子は呆れる。

すると敏男はしゃがみ込み、僕なあ、困るんじゃと言い出す。

何がですか?と繕い物をしながらよし子が聞くと、松っつぁんよと敏男は言う。 松五郎さんがどうかしたんですか?と聞くと、何でもないことなんだけんどな…と敏男は言って口ごもったので、何事かとよし子は顔を上げる。

(回想)人力車帳場前を通りかかった敏男に気づいた松五郎が、ボンボン!吉岡のボンボン!と声をかけてきたので、一緒に帰宅途中だった級友たちまでもが、ボンボン、吉岡のボンボン!親父が呼んじょろうが!なんで返事せんとか、こら!と敏男をからかうので、敏男は恥ずかしくなり、お主ら!と怒鳴りながら級友を追って行き松五郎を無視して通り過ぎる。

(回想明け)それじゃあ、ボンボンって言われるの、あなたそんなに恥ずかしいの?と話を聞いたよし子が聞くと、そうじゃけんど、僕、もう子供じゃなかもん…と敏男は困惑したような顔で答える。

1人ならまだ良いけんど、友達が冷やかすけんな〜…と敏男が言うので、そうねえ~、良い折を見てお母さんから松五郎さんに言うてみますけど…、まあそんなこと笑って済ますくらいの度量がないと男はいかんですよ、それにあなたはもうすぐ小倉を離れる人じゃありませんか…とよし子は言い聞かす。

そしてその言葉通り、敏男は入学した熊本の学校へ向かうため、松五郎とよし子に見送られて小倉駅から列車に乗って出発する。

よし子と一緒にホームから帰る途中、可愛い子には旅をさせい言うて、昔者はうまい事言うちょりますばい…と松五郎は言葉をかける。

いよいよ1人ぼっち…とつぶやくよし子に、奥さん、これから夏休みが待ち遠しいことですばいと松五郎は励ます。

夏休み…、夏休み…とつぶやいたよし子は、行きましょうと松五郎に寂しげに答える。 その夏のある日、松五郎は飲み屋で1人寂しげに飲んでいた。

そんな店にふらり入ってきたのは結城組の名の入った法被を着た熊吉で、居眠り仕掛けていた松五郎に気づくと、お〜い!松っつぁん!と声をかけて近づく。 おお、熊公か…と松五郎は顔を上げて答える。

久しぶりじゃったな、松っつぁん!達者やったか?と熊吉は久々の再会を喜ぶ。 近頃はどうししょるんかい?と熊吉が近況を聞くと、俺は相変わらずばい…と松五郎は答え、おい!熊さんにも1つやっちくりいと店主(寺島雄作)に声を掛ける。

しかし松吉は、いや…、俺はやっぱり徳利がよいかと注文を替える。 お前、酷う工面が良かちゅうこと聞いての…、何よりじゃと松五郎が世辞を言うと、何、それほどのことはなかと謙遜した熊吉は、けどま、近頃ではようよう若い者の2〜3人も使うようになったじゃなか…、してもろうたんじゃ、結城の親分に…と熊吉は明かす。

これもまあ…、元はと言えば、松っつぁん、お前のお陰たい…と熊吉が礼を言うと、ふん!人の顔をねぶるようなおべんちゃらをこくな!と又ウトウトしかけた松五郎は言い返す。

誰のおべんちゃらを言う?俺は本当に腹の底からそう思っちょるんじゃけんと熊吉は言う。 良かよいか、今度はずっと久留米の方か?と松五郎が聞くと、ああそうじゃ、またいっぺん遊びに来ちくれんかね?と熊吉は上機嫌で誘う。

ああ…と松五郎が生返事をすると、お前の噂も時々聞いちょるが、なんでも近頃は手慰みはせんは喧嘩はやらんわ、酒も飲まんわで無法松は人が変わった、あの調子じゃ貯まる一方じゃという評判ばいと熊吉は愉快そうにキセルのタバコを吸い始める。

店主が熊吉の徳利を運んでくると、何が…、酒だって飲まんことはなか…、この通りやっちょるわ!と松五郎が言うので、熊さん、松っつぁんが飲みだしたんはほんの近ごろのことですたいと店主が教える。

この何年ちゅうもの、天道に賭けてな、家の前を顔そむけて通りなはったくらいやけんと店主は言う。

それはの、俺の親父は酒で命取られとるんじゃいと松五郎は教えると、ああ、そげんやったんか…と熊吉も納得する。

それで俺は酒が怖かったんじゃい、いずれは俺も遅かれ早かれ、その心臓麻痺ちゅう病気で頓死じゃろうと思うちょるがの…などと松五郎はヤケ気味に言いながらコップ酒を飲む。

縁起の悪い言葉言うな!とそれを聞いた熊吉が注意し、それより松っつぁん…、俺はな、今日は真剣で言うが、お前はもうええかげんに嫁ばもらわんといけんぞと松五郎の側に寄って言い聞かす。

すると松五郎は、この歳で人が笑うたい!自嘲したので、笑うやつは笑わしとけ!何もお前はそげん年じゃなかと熊吉は叱り、お前さえその気なら俺は明日でも上玉引っ張ってくると言ながら、自分の酒を松五郎のコップに注いでやろうとするが、松五郎はコップの上に手を置いてそれを止める。

なあ松っつぁん…、悪いことは言わんが…と熊吉はなおも語りかけようとするが、いらんちゃ!と松五郎が拒否するので、そう言わんと!ちいと人の言うことも考えてみるもんじゃ…と熊吉はすり寄って言う。 しかし松五郎はあらぬ方を見ながら、うるさか、いらん世話を焼かんと黙っち酒飲め…とだけ言う。

松五郎が見ていた先の壁には美人画を使った「国之寿」と言う酒の広告が貼ってあった。

酔った松五郎の目には、その美人画の顔がよし子の顔にダブって見えた。 その様子を見た熊吉は、松っつぁん、なんばそげん睨みつけっか?と聞く。 それには答えず壁の方を見ながら席を立った松五郎は、おっとん、この酒の広告ばもろうちても良かな?と聞くので、店主は笑いながら、他ならぬ松っつぁんのことやけん、これ上げても良いが、そげんなもん、どげんすっとな?と呆れたように答える。

ああ、こいつが最前から嫁取れ、嫁取れち煩うちいかんけ、わしゃこの別嬪ば貰おうと思うちょるんじゃいと広告の前に立った松五郎は答える。

ああ…、この別嬪なら飯を食わせんでもよかろうもん…と言いながら松五郎は笑いながら広告を剥がし始めたので、それを見ていた熊吉は不審げな眼差しで店主の方を見る。

人力車帳場の壁にその美人画の広告を貼っていた松五郎の住まいにある日よし子が訪ねてくる。 よし子は遠くから聞こえてくる祭りの太鼓に気づきながらも、部屋の壁に貼られていた美人画に目を留める。

奥から出てきた松五郎は、壁に貼った美人画を物珍しそうに見ていたよし子に気づくと、昨夜遅かったものやからついごろ寝してしもうて…と恥じらいながら言い訳し、何ぞ御用ですの?と聞く。

よし子は嬉しそうに、あの…、敏雄が帰るんですと言うので、ほお、便があったとですか!と松吾郎も驚く。 明日の昼過ぎです、それにお客様を連れてくる様子です…とよし子が言うので、大方ボンボンの友達じゃろう…と松五郎は喜ぶ。

するとよし子は、いいえ、先生ですと…、それで、庭まわりなど少し手入れしたいんですけど…などと言うので、ええ、じゃったら後でおっつけ伺いますけん松五郎は答えながら、そっと壁の美人画を取り外す。

お願いします…と頭を下げたよし子は、その先生ね、明日の祇園太鼓お聞きになるためわざわざお寄りになるんですと…と付け加えるので、祇園太鼓?今どき、本当の祇園太鼓打てる者はこの小倉には1人もおりゃしませんばいと答える。

ああ、そうですか…、それならせっかく何しても…とよし子は少し落胆し、あ、それから、ねえ松五郎さん、今度からもう敏雄のボンボンを止めにしてくださいね、いつの間にかあれも大分大きゅうなりましたから…と済まなそうに頼む。

それを聞いた松五郎は、ぼんぼんかか…、昔の癖でうっかり出てしまうんじゃが、そうたい、もうボンボンでもなかろうち…と苦笑したので、よし子はすみません…と恐縮する。

そんな良しこの顔を見た松五郎は、けんど困ったのう…、なんと呼んだら良かかな?奥さん、若大将じゃどげんでっしょう?と聞く。

まあ、若大将なんて言ったらなお恥ずかしがりますよ、そうね〜、何と呼べば良かでしょう?まあ、敏雄さんとでも呼んでくださいとよし子が言うので、敏雄さん?呼びにくか…と松五郎は笑いながらも困惑するが、でもやってみまっしょうと承知する。

じゃあお願いしますと会釈をしよし子が帰りかけたので、奥さん、今夜眠れんばいと松五郎は声を掛けたので、もちろんですよとよし子は敏雄との久々の再会を待ち焦がれていたように笑顔で答える。

よし子が笑いながら帰って行くと、松五郎は今丸めて隠したばかりの美人画の広告を又広げて貼り直し、その印刷された美人の顔をじっと見つめる。 翌日、小倉祇園祭が盛大に始まる。

巡査が路上を埋め尽くした見物客を整理している中、松五郎は敏雄が連れてきた先生(五味龍太郎)を案内して近づいてきた祇園太鼓の山車を待ち受ける。

じゃあ、これらの打ち方は本当の打ち方ではないのですね?と通り過ぎた太鼓山車の下で手帖に書き込んでいた先生が聞くと、ええ、あいつは楓打ちというやつで、本当の祇園太鼓はなかなか…、あげなものじゃなかです…と松五郎は教える。

すると、本当の打ち方はもう見られないわけですね?残念だな〜と先生が漏らすと、私がちょっと真似事ばやっちみよう…と松五郎が言い出す。 ええ?おじさん、本当に打てるのか?と敏雄が聞く中、山車を追っていった松五郎は、その山車の横のはしごを登り、兄さん、すまんが、ちょっと打たせてくれんか?と太鼓の打ち手に頼む。

疲れていた打ち手は、おお、代わっちくれるか?そりゃ助かったばい!と喜び、持っていたバチを松五郎にあっさり手渡す。

俺はもう豆が痛うて敵わんのじゃ!と打ちての青年は両手を広げて見せる中、松五郎はニコニコしながら手ぬぐい絞りを頭に巻く。

松五郎を乗せ進んでゆく山車を、信じられないといった表情の先生と敏雄が付いていく。 すると松五郎が大太鼓を打ち始める。

これが祇園太鼓の流れ打ちですたい!と松五郎は下についてきた先生に声を掛ける。

太鼓の反対側で打っていた打ち手も、松五郎の打ち方の調子が変わってきたので打つのを止め、山車はストップする。

片肌を脱いだ松五郎は、今度は勇み駒ですたい!と下で見上げていた敏雄と先生に声を掛ける。

その太鼓の音に気づいた老人(荒木忍)が、あれは勇み駒たい、あれば打ちよるとは誰か?と興奮したように立ち上がって聞く。

誰かしらんばってん、飛び入りの人ということばいと側にいた男が教えると、う〜ん、この太鼓ば打つものは小倉中に1人もおらんと思うちょったが…と老人が言うので、それを聞いていた若い衆が、爺さん、あんたが話しよった勇み駒たぁこのことか?と老人に聞くと、そうたい、これが本当の祇園太鼓たい!良う、聞いとけと老人は嬉しそうに答える。

見物客の中にも、あれが本当の祇園太鼓じゃ!と気づくものが出てくる。

本当の祇園太鼓じゃ!と興奮した完成が広がってゆく中、もろ肌を脱いだ松五郎は一心に大太鼓を打ち続ける。

暴れ牛じゃ!と叫んだ松五郎は、さらに激しい打ち方に変わる。

打ち手の若集が口に酒を含み、松五郎の熱した身体にその酒を吹き付ける。

秋風が吹く季節になり、気の抜けた様な松五郎が車を引いてとぼとぼと帰ってくる。

夜はいつもの飲み屋で酒に溺れる毎日が続くようになる。

松五郎は壁に持たれて座り、何か歌のようなものをモゴモゴ口ずさみながら目には涙を浮かべていた。

ある日、古船場町の人力車帳場に座っていた松五郎の前に貼ってあった美人画も、今では破れてみすぼらしくなっていた。 仏壇の前の座卓で書物をしていたよし子のいる吉岡家の玄関口から無言で松五郎が入ってくる。

気配に気づいたよし子が立ち上がり、襖を開けて玄関の内側で立っていた松五郎を発見する。

まあ松五郎さん!お珍しいこと!とよし子は喜び、さ、こちらにお上がりなさいと声を掛ける。

さ、どうぞ、そこは冷えますから…、こちらの否の側においでなさい…とよし子は呼びかけながら近づくと、松五郎は無言で軽く会釈をして上がり込んでくる。

部屋の中に座ると、さ、もっと火の側にお寄りなさいとよし子が勧めるが、ふと押し黙ったままの松五郎の顔を見ると、松五郎が涙を流しているのに気づく。

松五郎さん!あなたどうかされたんですか?何かあったんですか?とよし子が驚いて聞くが松五郎は何も言わないので、松五郎さん、どうかおっしゃってくださいませんか?とよし子は悲しげに頼む。

私達にできることですたら…とよし子は訳を聞こうとするが、奥さん…、俺もう帰りますばい、2度とお目にかかることはなかですたい…と松五郎はうつむいたまま答える。

よし子は驚き、どうしてですか?言うてください、どうしてそんなことを?とにじり寄ると、奥さん!と言いながら突然松五郎はよし子の手を握りしめる。

よし子の目を見つめ、すぐに手と身を離した松五郎は、奥さん!俺の心は汚か!奥さん、すまん!と言うと、頭を畳に擦り付けて詫びる。

そしてそのまま立ち上がり、履物も履かずに玄関から外に飛び出していってしまう。

部屋に残ったよし子は、今握られた自分の手を見ながら、長年1人で苦しんでいた松五郎の気持ちを察するが、どうしてやることもできないことに気づくと静かに泣き出す。

雪が降り出した中、誰もいない酒場で1人ふさぎ込んでいた松五郎は一升瓶を片手に握ると外へ出てゆく。

酔っているのか歳のせいか、よろめきながら松五郎は雪の中を歩き出す。 途中、道に落ちていた枯れ木に足を取られた松五郎は地面に倒れ込む。

雪が舞う中、松五郎は薄目を開けて空を見上げるが、その目から涙が流れていた。

倒れた松五郎の身体を雪が少しずつ覆ってゆく。

やがて雪は止むが、積もった雪の中に埋もれた松五郎の身体は動かなくなっていた。

宇和島屋に安置された松五郎の遺体をよし子は見ていた。

側では、宇和島屋の主人とぼんさん、熊吉、そして結城重蔵がわずかばかりの松五郎の行李の中の遺品を整理していた。

束になって出てきたのは、よし子が松五郎に毎年渡したお年玉やご祝儀の封だった。

その束をよし子に見せた結城は、お宅で頂いたものは手もつけずに大事にしまいこんでいます、行李の奥へ、まるで宝物のように…と言葉をかける。

それを見たよし子はたまらず泣き出す。

結城は更に行李の下にあった二通の郵便貯金通帳を見つける。

それはよし子と敏雄の名義になっていた。

密かに松五郎が2人のために貯金をしていたのだった。

それを見た結城は、まあ見てやってくださいと涙ながらに通帳をよし子に手渡す。

あの暮らしの中で、ま、なんて奴でしょう、松は!あなたとご子息の名前で500円余も預けていますと結城は教え、泣き出す。

よし子が泣く中、あやつはこういう奴ですたい、欲目ちゅうとが微塵もなかとです…と熊吉が教え、主人ともども泣き出す。

遺体の横に座り込んだよし子は、松五郎さん…と呼びかけると、耐えきれなくなったように遺体にすがり泣き崩れる。

人力車帳場の壁に貼られた美人画はもうぼろぼろになって風にはためいていた。

帳場の前のくぼみには雪解けの水が溜まっていた。


 


 

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