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赤穂城断絶

昭和53年芸術祭参加作品

東映と東映太秦が協力し、当時低迷していた時代劇映画を復活させようと意気込んで製作した「柳生一族の陰謀」がそこそこヒットしたので、その勢いに乗り第二弾として作ったものの、思うほど当たらず、時代劇映画復興も果たせず、早くもじり貧状況になってしまった契機となった作品。

公開当時も何度か観た記憶があるが、面白かったと言う記憶がない。

今回久々に見直してみると、思いのほか力が入った大作仕立てであるし、それなりに悪くはないと言うことが分かった。

出演者も当時としては豪華だし、唖然とするほど大勢のエキストラシーンやアクションシーンもそれなりに迫力があり、途中のエピソードにも工夫があり、それなりに見応えはあるのだが、何故か印象に残り難い。

冒頭部分、浅野内匠頭への執拗な吉良の苛めの描写が一切省かれ、上野介の悪役としての説明が全くないこと。

大石内蔵助が終始感情を表に出さず、冷静沈着なだけで人間味に薄い人物であるかのような描き方になっていること。

城明け渡しから討ち入りまでの長い年月の間のエピソードの中心となるのが、途中、焦ったが為に身体が不自由になり、結果、新婚家庭を崩壊させたばかりか、最後の討ち入りにも参加出来ず自滅して行く橋本平左衛門とはつ夫婦の悲劇がメインになっていること。

登場人物が異様に多く、とても一人一人に感情移入出来ないなどの要素が絡まった為か、勧善懲悪の痛快さが失われ、全体的に暗く重い雰囲気に包まれてしまっているように思える。

もちろんこれは、「芸術祭参加作品」と言うことで、最初から意図したことで、単純な大衆娯楽、分かり易い勧善懲悪路線などを狙っていたのではないと言うことだろう。

しかし、結果的に、この作品は感動的な芸術作品になったかといえば疑問が残る。

実際、今この作品が、名作として語り継がれていると言う話もあまり聞かない。

何となく、忘れられている作品の一つのように感じる。

結局、初心者にとっての「忠臣蔵」映画の魅力とは、話の展開にあるのではなく、オールスター映画としての「華やかさ」だけなのではないか?

そう考えると、この作品や、市川崑監督がシリアスタッチで描いた「四十七人の刺客」(1994)などが興行的に不振だったのも頷けなくはない。

「忠臣蔵」をシリアスに描こうとすると、唯一の魅力である華やかさがなくなるのだ。

この作品なども、膨大な出演者が登場しているにしては、華やかさに欠けるように感じる原因は、やはり登場しているキャスト陣が、映画全盛期ほどのスター性を持ってないからのような気もする。

浅野内匠頭を演じている西郷輝彦などを始め、当時の若手たちが大勢登場しているのだが、映画スターとしてのカリスマ性を感じるかと言うと微妙。

正直、三船敏郎なども出ているのだが、影は薄く、俳優個々に問題があると言うよりも、映画自体の影響力が薄れていた時代だったことがあるのかもしれない。

どうもこの作品、当初は、吉良側の視点で描く斬新な「忠臣蔵」を狙っていたらしいが、結局、会社側の興行性の心配する声に押され、従来通りの形に戻したものとか…

その辺の「路線変更」で、本当に監督が描きたいものがぼやけてしまったのではないか?と言う気もしないではない。

結局、職人技としてそつなくまとめただけの印象が強く、力作ではあるものの、娯楽としても芸術としても、どこか中途半端なものになってしまったように感じる。

余談だが、この作品には、時代劇と言うこともあり、今で言う放送禁止用語が随所に出て来る。

TVのそうした自主規制があたかも常識であるかのように日常化した今、すでにこの時代の映画ですら、セリフに違和感を感じてしまうと言うのが寂しい。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

1978年、東映、高田宏治原作+脚本、深作欣二監督作品。

今から270年前 元禄の時代

5代綱吉の独裁色は強まり、大小の藩48家が取り潰しや改易され、大勢の浪人を生んだ。

勅使饗応の儀 元禄14年3月14日

タイトル

江戸城門前に集まった大勢の侍たち

松の廊下で浅野内匠頭(西郷輝彦)は、出会った吉良上野介(金子信雄)に会釈するが、上野介は無視する。

その直後、近づいて来た梶川与惣兵衛(天津敏)が何ごとかを内匠頭に話しかけているのを、ふすまの陰から覗き観ていた上野介は、話し終えた梶川を呼び、今何を話していたのかと問いただす。

饗応の儀の事で、桂昌院様から勅使お目通りの際のことのご相談を…と梶川が打ち明けると、あの御仁は御馳走役とは言え何も知らぬなどと内匠頭に聞こえよがしにバカにしたので、それまで数々の屈辱を耐え忍んで来た内匠頭もさすがに堪忍袋の緒が切れる。

上野介!覚悟!と刀を抜いて襲いかかる内匠頭。

城内に、刃傷でござる~!との知らせがあっという間に広がる。

土屋相模守(御木本伸介)が、動揺する仲間たちに「鎮まれ!」と制する。

内匠頭は、上野介に二太刀浅い傷を浴びせただけでとどめがさせず、そのまま取り押さえられてしまう。

城門前で待機していた家臣堀部安兵衛(峰岸徹)は、城内にて浅野内匠頭による刃傷沙汰が起きたと触れが門前に立ったので、それを読み驚愕する。

片岡源五右衛門(和崎俊哉)も、一目殿にお目通りを!と願い出るが、許されるはずもなかった。

内匠頭城中で刃傷沙汰の知らせを受けた弟浅野大学(西田健)は、慌てて、内匠頭の内儀阿久里(三田佳子)に知らせに来るが、冷静に聞き終えた阿久里から、それで殿は上野介をお討ちになりましたか?と聞かれても返事が出来いことを嘆かれたので、すぐにことの次第を確かめに戻る。

多門伝八郎(松方弘樹)は、部屋で謹慎していた内匠頭から事情を聞くことになる。

内匠頭は神妙にしており、城中で取り乱したる段、御上に対して真に申し訳なき次第…と詫びながらも、動機に関しては、忍びがたき恥辱を受けたためと言うに留まる。

多門は、その理由をもっと突っ込んで知りたがったが、内匠頭は、切っ先三寸足りず、上野介にとどめがさせなかったことを己の未熟として恥じ入るだけだった。

一方、傷を受けた吉良上野介の方の吟味では、内匠頭から恨みを受けるような覚えはなく、遺恨ありとは迷惑な話。気が触れたものとしか思われると言うだけ。

二太刀も斬られて、脇差しに手もかけられなかったのか?との問いには、殿中で刀を抜くことなど考えもしなかったと上野介は神妙に答える。

そんな上野介に、上様から見舞いの言葉があったとの知らせまで届く。

詮議の結果、浅野内匠頭には即刻切腹、吉良上野介にはお咎めなしと言う裁きが下る。

これを聞いた多門は驚き、5万3千石の城主に対し、これはあまりにもお手軽な裁き!喧嘩両成敗のはず!再吟味願います!と異議を唱える。

しかし、刀に手もかけなかったと言う吉良の言葉を信じれば、今回の騒ぎは喧嘩ではない。御上のご判断に誤りなどあるはずがない!と言うことになり、多門の意見は、土屋相模守や柳沢吉保(丹波哲郎)にあっさり退けられる。

屋敷に謹慎させられていた内匠頭にお目通り願いたいと申し出た片岡源五右衛門は、切腹の場に向かう内匠頭に、渡り廊下の所で会うことができる。

良く来てくれたな…と言葉をかけた内匠頭に、地面に座していた源五右衛門は泣き出す。

もはや御時刻でございますと、従者から促された内匠頭は、不審に存ずるだろうな…とだけ言い残してその場を立ち去って行く。

鐘の音が聞こえる中、仏壇に手を合わせていた阿久里は侍女の戸田局(中原早苗)に自らの髪を斬らせるが、戸田はあまりの不憫さに泣き出す。

江戸から175里もある播州赤穂藩は、まだこの江戸の急変を知らなかった。

早駕篭でも4日はかかる道のりだったからである。

結婚式に向かおうとしていた橋本家に、江戸から早駕篭が来たと言う知らせが届く。

14日に江戸を発ったと聞いた父親は異変を感じ、登城の仕度をさせる。

そんなことは知らない橋本平左衛門(近藤正臣)と花嫁のはつ(原田美枝子)は、すでに式を始めていた。

式に出席していた吉田忠左衛門(遠藤太津朗)や大野九郎兵衛(藤岡琢也)も、上機嫌で父親の来るのを今や遅しと待ち受けていたが、時ならぬ太鼓の音が聞こえて来たことに気づく。

呼集の触れ太鼓と知ると、さすがに全員緊張し、城へ向かう準備をする。

その頃、城には、第二の早駕篭が江戸から到着していた。

城代大石内蔵助(萬屋錦之介)始め、城に集結した重臣、家臣たち一同は、疲労困憊し、息も絶え絶えの早駕篭の使者から、城主浅野内匠頭が江戸城内で刃傷に及び、14日夕刻、お屋敷にて切腹したことを聞き、愕然とする。

さらに、内匠頭の奥方阿久里は髪を斬り、名を瑶泉院と改め里に戻ったこと、吉良上野介は二太刀浴びせられたものの、どちらも浅い傷で、こちらは何のお咎めもなかったことなどを聞いた家臣たちは絶句する。

御遺言は!との声に、すまぬと仰せられたと聞いた内蔵助は表情を引き締める。

その他には?と大石が聞くと、これに御辞世が…と使者が一枚の紙を手渡す。

それを受け取った内蔵助は、居並ぶ家臣たちの前で内容を読み始める。

風誘う 花よりもなお 我はまた 春の名残を 如何にとやせん… 

それを聞いていた橋本平左衛門らは一斉に泣き出す。

そんな中、内蔵助は、百姓町民が騒ぎだす前に藩札の交換をしてくれ。金の不安が一番大事だろうからと指示する。

そんな冷静な内蔵助に、このまま開城なさるおつもりか?御指図下さい!籠城と!と橋本平左衛門は声を挙げる。

しかし内蔵助は、300の家臣、その子郎党を入れれば3000の運命を軽々しく扱うわけにはいかん。今や日本中の目が我が藩に注がれております。取り乱して物笑いの種にならぬよう、蔵之介、くれぐれも頼みいると頭を下げる。

かくして、百姓町民への藩札交換が始まる。

一方、大石以下の家臣たちは籠城するとの噂が広まり、加勢するため、城門に浪人たちが多数集まって来た。

御城代にお取り次ぎを!と門前に自分を売り込む為に押し寄せて来た浪人は、全員追い払われたが、そんな中、浪人不破数右衛門(千葉真一)は、こんな状況では埒があかんと、その場はあっさり引き上げて行く。

そんな中、使者の上田主水(青木義朗)が城にやって来て、神妙に城を明け渡すようにと念を押す。

しかし、それに丁重に応対した内蔵助は、城を明け渡さぬ訳があるのです。お裁きがあまりにも理不尽!と説明する。

それを聞いた主水は、逆恨みはなりませぬぞ!評議次第では、赤穂は家来もキチガイと物笑いの種になりますぞ!と釘を刺す。

それでも内蔵助は、我らの城にございます。我らは城を枕に一戦交えるのも…と冗談めかして答える。

上田主水は怒り、今日より敵味方!と言い捨て、早々に帰ってしまう。

側に従えていた老中岡林杢之助(田島義文)は、籠城決戦となれば、4000の百姓が飢えますると蔵之介に忠告する。

恭順委譲が第一、いざとなればこの老い腹かっ切って…と大野九郎兵衛が勇ましいことを言い出すと、老い腹?殉死?なるほど…、その手もござりまするなと内蔵助が皮肉で応じたので、言い出した大野は慌てる。

その大野、自宅に戻ると、家族のものと一緒に夜逃げの準備を始める。

そこに、逃げるおつもりなのか?御家老?と3人の家臣がやって来る。

大野は、大石は狂うとるぞ!あんなキ○ガイの機嫌を取るつもりなどない!と開き直る。

家臣たちは、300両ほどの御用金がなくなっている!と報告するが、大野は、岡林の仕業に違いないと断定する。

不破数右衛門は城の近くに陣取り、1人鍋で粥を焚き、自炊生活をしながら藩の判断待ちをしていたが、他の浪人たちは、連中は自分たちで腹を斬ると言うとると呆れ果て、今度こそ百姓になる!と言い残して立ち去って行く。

そこにやって来たのが、蔵之介の長男大石主税(島英津夫)で、お噂は父に聞きました。私に切腹の作法を教えて下さいませんか?といきなり言って来る。

驚いて、食べかけていた粥を吹き出した不破が、おいくつになられた?と聞くと、14才です。覚悟は出来ています!と言う。

不破は、私も自分を斬った事がないので、作法などは分かりません。お気になさらないことです。人間、飯を食うことよりも、死ぬる方が容易いと言い聞かす。

絵を描いていた内蔵助に呼ばれ、やって来た妻のりく(岡田茉莉子)は、大野にせがまれて描いたんだが、夜逃げしてしまっては詮無いことだ…と言いながら、完成した絵を披露される。

主税はその後、白の死に装束姿で城にやって来る。

殉死する覚悟で集まった家臣たちに加わる為だった。

その中には、病の父に代わって、やって来た16才の息子矢頭右衛門七(佐藤佑介)の姿もあった。

江戸から舞い戻って来た堀部安兵衛は、どうした有様だ!これは?殉死?そんなバカな!と、藩の対応がこんな状況になっていることが信じられないようだった。

やがて一同うち揃い、その日集まったのは56名であると分かる。

平伏していた家臣たちに向かい、一同、お手をお挙げ下さいと声をかけた大石内蔵助は、300人いた家臣が今日これだけになったとは言え、死を決することを思えば少なくない。檻から殉死の儀でござるが…と話していたその時、しばらく!と声をかけ、きらどのがまだ生きておられるのをどう思いなさる?と問いかけ、我らは殉死など致しませぬ!直ちに江戸へ戻ります!と堀部安兵衛が立ち上がる。

いきり立つ若者たちに、まずは城代の言葉をお聞きなされい!と吉田忠左衛門が諌める。

内蔵助が、殿、ご無念の御最期を想えば、吉良殿は不倶戴天の仇!…と続けたので、仇討ちでござるか!と堀部たちは顔を輝かせる。

しかし、内蔵助は、吉良殿の背後には、上杉15万石が控えており、片手落ちの御裁きが下されたとは言え、仇討ちすれば御公儀への叛逆となり、一家眷属に至るまで縛り首、一家断絶になり申す…、全てはこの蔵之介に御一任下さらんか?と問いかける。

その場にいた全員が賛同し、その場で血判状を提出する。

元禄15年6月

江戸上屋敷

江戸に来た大石内蔵助は、柳沢吉保に会うことになるが、屋敷内には色部図書(芦田伸介)も控えていた。

内蔵助に対面した吉保は、内匠頭の弟、大学の家名相続を認めると伝える。

しかし、下がって良いぞと言われた内蔵助は動こうとせず、今ひとつ、嘆願の儀がございますと伝える。

吉良様、再吟味を申し出たのであった。

吉保は、吉良は隠居した。隠居したものを処分したことはないとぴしりと言い渡す。

すると内蔵助は、ならば、大学の件、ご辞退するしかありませんと答える。

全てを望むと、無になるぞ!と吉保は叱りつけるが、なにとぞ、ご再考を!平に!と内蔵助は食い下がる。

内蔵助を下がらせた吉保は、庭に出て式部図書と内蔵助のことについて話し合う。

吉保は、内蔵助の再吟味嘆願は一の太刀、返す刀は吉良だろうと読み、吉良を米沢の上杉の上屋敷に預けてはどうだろうか?と提案する。

図書は即座になりません!全てを上杉にかぶせるおつもりですか?そのようなことをすれば、世の批判は上杉がかぶることになりますと答える。

御国元で騒ぎが起これば、500石から大老格になった上杉家が御取り潰しになるやも知れませぬ。相手の赤穂には、もはや老人や未熟者しか残っておらぬとも聞きます。万事は某に御任せ下さいと図書は申し出る。

その頃、江戸に移り住んでいた橋本平左衛門は、いつまで経っても行動の連絡がない内蔵助をあてにせず、江戸の同志だけで吉良を討とうと焦っていた。

そんな橋本の元に、吉良が回向院に参詣すると言う情報がもたらされる。

先に内匠頭の後を追い自害して果てた父を想い、親父殿もあの世で喜んでおられるだろう。俺は生まれて来る子供に何も残せないんだ!と新妻のはつに言い残し、橋本は連絡に来た同志と共に家を飛び出して行く。

橋本が連れて来られた回向院近くの小屋には、1人の老婆がご詠歌のようなものを歌っていたが、既に目も耳も不自由だから心配はいらぬと言うことだった。

橋本は、かねてより準備していた火縄銃を取り出し、小屋の二階の窓から、駕篭から降りた吉良を狙撃しようと待ち構えることにする。

そんな中、長屋にいたはつに釣った魚を持って来てやった間十次郎(森田健作)は、はつに橋本は?と聞く。

すると、はつが、あなた様は回向院へは?と聞いて来たので、間は驚愕し、ことの次第を聞いて、橋本が勝手に動いた事を知ると、ただちに大高源五(寺田農)の家に知らせに向かう。

大高源五は、老母が病の床についており、医者の原惣右衛門(安井昌二)が往診に来ていた所だった。

間から話を聞いた源五は、早まったことを!と悔む。

吉良上野介が回向院にやって来た時、怪しい2人組が、橋本が二階の窓から銃を構えていた小屋に侵入して来る。

その時、目も耳も不自由だったはずの老婆が、橋本が持っていた火縄銃の火縄の匂いに気づき、火事だ~!と騒ぎだす。

この声に驚いた橋本が振り返ると、侵入していた吉良側の間者2人が斬り掛かって来る。

そこに、堀部安兵衛らがやって来て、刺客たちを斬り殺す。

しかし、橋本は刺客から左足を斬られていた。

後日、ことの次第を知った堀部弥兵衛(加藤嘉)は、計画に失敗し戻って来た堀部安兵衛に、何と言うバカなことをしたのだ!もし、鉄砲でも撃っていたら…と叱りつける。

橋本の傷を診た原惣右衛門は、もう一生カ○ワだろうと告げる。

しかし、安兵衛は、考えに考えての行動だったのだと父親に言い訳する。

太夫(大石内蔵助)からの便りは一向に届いていないばかりか、柳沢に多量の賄賂を送っており、もはや心変わりしたとか…と安兵衛は悔しさをにじませる。

そこにやって来たのが吉田忠左衛門で、太夫は明後日江戸に立たれると知らせて来たので、一同色めき立つ。

吉田が、内蔵助の言葉として伝えたのは、一旦預かった血判書を一切白紙に戻し、めいめい去るも戻るも一任する。このたびの騒ぎを知り、キ○ガイの手は借りたくない。このような行動は御公儀への叛逆にはならんし、世のひんしゅくを買うだけのことと申されたと言う。

死に狂いはならぬ。無法者は去れ!と吉田が内蔵助の言葉を伝えると、このままでは江戸の者は置き去りだ…と弥兵衛は嘆く。

神妙に聞いていた安兵衛は、吉田に、太夫に一度お目にかかりたいと申し出る。

後日の夜、吉田は安兵衛と弥兵衛親子を、亡き内匠頭が葬られている墓に案内して来る。

その墓前に踞っていたのは大石内蔵助だった。

毎晩、あのように殿の墓に対面しておられるのだと吉田が教えると、安兵衛は何も言い出せず、ただその場に跪き、蔵之介に向かって黙って深々と頭を足れるしかなかった。

色部図書から内蔵助暗殺を密かに命じられていた小林平八郎(渡瀬恒彦)は3人の浪人者に金を渡していた。

洛東山科の内蔵助の住まいでは、まだ幼い下の子2人が無邪気に遊んでいた。

近くの竹林の中を、刺客の3人が近づいていたが、そこで剣の練習をしていた不破数右衛門とばったり出会ったので、刺客たちは気まずそうに立ち去って行く。

内蔵助は、妻のりくが、つわりに苦しんでいると知り、水が変わったせいだと気遣っていた。

りくは、豊岡の父から手紙が来ましたと伝える。

その時、主税が不破用の食事を取りに来る。

りくが用意していた食事を受け取った主税は竹林に向かうが、竹を相手に剣の稽古をしている不破の姿を目の当たりにし、その希薄に立ち尽くす。

その夜、内蔵助はりくに、子供を連れて里に帰れと告げていた。

まさか、離縁すると!とりくは驚くが、例え、連座して打ち首になろうともお側に居とうございますと願い出るが、内蔵助は、このたびのことはわしと殿様の間のこと、子供たちやこれから生まれて来る者には何の関わりもないこと。だが、主税は置いて行ってくれ。主税はまだ元服前だが、大石家の惣領…、分かってくれるなと言い聞かせる。

りくは、仰せの通りに致しますと答えるしかなかった。

翌朝、主税は、弟と妹を連れ里に帰る母親を家の前で見送っていた。

竹林の中にいた不破も、遠ざかって行くりくたちを土下座して見送っていた。

それからの内蔵助は、祇園に繰り出し遊びほうける毎日を送るようになる。

内蔵助の元に集まった若い藩士たちは、太夫殿はどうなされました?連夜の放蕩三昧。赤穂浪士ではなく、巷では阿呆浪士と嘲られております!と主税に詰めよられるようになる。

敵に油断させる為の芝居と読む者もいたが、敵側には色部図書と言う切れ者がいるそうだで、太夫と密約があると言うぞなどと詰めよられ、父の気持ちは変わっておらん!信じて下さい!と主税は訴えるしかなかった。

雷雨の中、料亭を出た主税は、途中、地回り連中とぶつかり喧嘩になる。

主税は酒に酔った勢いで刀を抜くが、助っ人や目明しがやって来たので、今、捕まってはまずいと気づき逃げ出す。

家に戻って来て水を飲んでいると、奥から出て来た大石内蔵助は、どうした?と問いかけて来る。

父上!本当に殿様の御恨み晴らされるおつもりですか!私もダメになります!と訴えるが、風呂が沸いておるぞと内蔵助は答えただけだった。

その時、突如、雨戸を破って刺客が侵入して来る。

内蔵助は、主税!手出しをするな!と止め、刺客3人に奥の間に追いつめられる。

そこへ飛び込んで来たのが、不破数右衛門で、3人の刺客を次々に切って行くと、お怪我は?と内蔵助に尋ね、無事だと分かると、3人の死体を外へ引っ張り出す。

主税は驚いて、父上!と呼びかけるが、内蔵助は黙って頷くだけだった。

主税は、不破様~!と呼びかけながら、雨の外へ飛び出して行く。

元禄15年9月

吉良上野介が身を寄せていた上杉綱憲(田村亮)の屋敷に来た色部図書は、大学のことを大石が断ったそうですと伝える。

吉良は、大石は遊興に耽っているそうだが、早く討て。浪士どもが一斉に動くかもしれぬと図書に命じる。

大高源五の自宅では長患いだった老母が亡くなり、通夜の席で、医者の原惣右衛門が、生前、源五殿の晴れ姿を診たいと口癖のように言っておられた…と無念がる。

通夜に来ていた堀部弥兵衛も、わしも先に逝ってしまうかも知れん…と弱音を吐く。

死ぬ者もいれば、生まれて来る者もいる…と原は、はつが生んだ子供のことを見ながら、焦らず、待つ他はあるまいと呟く。

そんな中、足を引きずるようになっていた橋本平左衛門は、無言で家を出て行くのだった。

祇園で、芸者たちに頼まれるまま絵を描いていた大石内蔵助の元にやって来たのは、赤穂藩から早々に夜逃げをした大野九郎兵衛だった。

お願いの儀がござると話し始めた大野は、藩を出た折、家財道具などを置いて行ったのだが、今それらのものはみんな天川屋に預けられ、差し押さえられており、大石殿のお許しがなければ引き渡せぬと言っておる。先頃、2人目の孫が出来たこともあり、何かと物入りなので、お情けを持って御取りなしして頂けないかと言う。

良いでしょうと内蔵助はあっさり承知し、花魁が大野に酒を勧めて来る。

その時、内蔵助が出来た!と叫んだので、出来上がった絵を覗き込んだ大野は、そこに描かれているのが不気味な生首の絵だったので腰を抜かす。

内蔵助は、面白かろうと笑うが、舞妓たちも、あまりの不気味さに怖がる始末。

大野は、その絵が、吉良への仇討ちの意図ありと気づくと、何たる御変わりよう!仇討ちなど御止めなされ!私も、刀の方はダメですが、算盤に関しては御役に立ちますと説得する。

しかし、内蔵助は、この里暮らしに背を向けるつもりはござらんと答えるだけだった。

そこに吉田忠左衛門が訪ねて来る。

浅野大学は広島の御本家に移されることになったと報告する。

その後、大野は酒に酔いつぶれ、部屋で眠っていた。

深夜、部屋に侵入して来た小林平八郎は、寝ていた大野を大石内蔵助と思い込み、斬り殺す。

そんなある日、橋本の長屋を訪ねて来た間十次郎は、赤ん坊が1人寝かされているのに気づく。

奥を観ると、橋本が酔いつぶれて寝ている。

太夫が今川崎まで来ておられるから、早く仕度して下さい。しっかりして下さい!と間が急かすと、それがどうした?俺は眠いんだ、放っておいてくれなどと橋本はやる気なさそうに答える。

ご内儀は?と聞くと、深川で女郎に出た。溜まりに貯まった借金のためになと言うではないか。

呆れた間は、そんなことをして酒を飲みたいですか!と責めると、俺の女房だ。売ろうと殺そうと文句を言われる筋合いはない!などと言い返して来る。

あなたはどうかしている!と間が言うと、帰れ!と怒鳴った橋本は、刀を振り回して来る。

寝ていた赤ん坊が泣き出したので、抱き起こした橋本は、哀し気な顔で粥を赤ん坊の口に運んでやる。

間が怒って帰った直後、小林平八郎がやって来て、今、赤穂のお仲間が来ていたようだったが、何か異変でも?と聞いて来る。

そして、ここに50両ある。大石の居所などご存知のことがあれば…と言うと、橋本は怒りも露に、早う殺せ!俺は魂まで腐っておらん!同志は売らんぞ!と怒鳴りつける。

しかし、その態度を見た小林は、それだけで十分、大石が江戸に入ったことが分かった…と言い残し、小林は金を置いて帰って行く。

江戸に到着した大石内蔵助の前に、かつての仲間が集まる。

ご一同、お待たせしました。大学様の待遇も決まり、これで思い残すことはない…と内蔵助は語り始める。

その頃、深川の遊郭にやって来た橋本は、はつを外に呼びだすと、江戸を出よう。仇討ちはもうないのだ。金ならある…と言い、50両の金を取り出して見せる。

主に話をつけて来る!と遊郭の店に向かおうとした橋本は、小判をその場に落としてしまう。

このお金は?もしやあなた…とはつは嫌な想像をするが、橋本は吉良の家来からもらった。だが大丈夫だよ、仲間は裏切っておらんと橋本は言い、子供と暮らしとうないのか?と詰めよる。

しかしはつは、そんな橋本の様変わりように絶望し、その場に泣き崩れる。

その頃、大石内蔵助と仲間たちは、吉良上野介襲撃の計画を練っていた。

今は上杉の上屋敷にいる吉良が、いつ本所の屋敷にいるのか?屋敷内の図面などの確かな情報が欲しかった。

ある夜、本署の吉良邸前に大八車を引いた大工が通り過ぎる。

その大工の内2人の大工が角を曲がった所で塀によじ上り、邸内の庭先に降り立つが、廊下を歩いて来た女中に発見され、くせ者!と騒がれる。

慌てた2人は隣の屋敷に逃げ込むが、その時、その屋敷の主、土屋主税(三船敏郎)が外廊下に姿を現し、灯を持て!と命じる。

騒ぎだした家人たちを制すると、盗人改めであろう。うむと言わさず斬り捨てたと伝えろと土屋は家人に伝えたので、庭先で控えていた2人の大工は平伏して、土屋の配慮に礼をする。

一方、茶人山田彳宗(大滝秀治)の茶会に参加していた大高源五は、吉良様のお茶会が近々あると言い出したので、それは本所のお屋敷であるのですか?いつでございますか?とさりげなく聞く。

山田はその言葉の意図を怪しんだようだったが、自在をこしらえようと思うておりまして…などと大高がごまかすと、14日とうかがっておりますと答える。

雪の中、ちょうど山田の家にやって来た客が、帰りかけた大高源五を見かけ、名前を呼びかけて来るが、大高は無視をして帰る。

それを聞いていた山田がその客に事情を聞くと、赤穂藩の大高源五と言う人物だと思ったので…と言うので、山田は何事かを考えるような顔つきになる。

その後、間十次郎の自宅を訪ね、はつに、明14日夜と決まりましたと討ち入り決行日を伝える。

はつは、橋本は、水茶屋のお仙と言う女と一緒にいると教える。

間は驚きながらも、その水茶屋にお仙(夏樹陽子)と一緒にいた橋本にことの次第を伝えるが、橋本は捨てておけ!と言うだけ。

一緒に付いて来たはつも、あなた、早う帰って御仕度を!と声をかけるが、橋本は、遅い!遅い!俺が待っているのは酒とお前が稼いで来る金だけだ!と自暴自棄になる。

さらに橋本は、はつに気遣う間を見て、女房に気があったのか?良し、腕で取ってみろ、俺を殺せば気兼ねなく抱けるぞなどと言い出し、刀を抜いて来たので、思わず、はつは橋本の身体に懐剣を突き刺す。

あなた、許して!そう叫んだはつを橋本は斬り殺す。

なんてことを!と間は立ち尽くすが、これは俺の女房だ!良く見ておけこの様を!せめて1年!半年早ければ!こうはならなかった!御恨み申すと大石殿に伝えて下され…、そう間に伝えた橋本は、水かの首をかき斬って果てる。

橋本さん!間は目の前で心中した若夫婦の惨劇を見て泣き崩れる。

12月14日

吉良邸の茶会に来た山田彳宗は、かねてより吉良が欲しがっていた光悦の茶碗を土産に持って来る。

これをわしに?どう言う風の吹き回しだといぶかる吉良に、山田は風流茶人と思うて下され…と答えたので、吉良は山田の酔狂と思ったのか苦笑する。

その頃、大石の元に集まった四十七士は、討ち入りの衣装に着替え準備を整えていた。

不破数右衛門も長らく伸ばしっぱなしだったひげをきれいに当たる。

そこに赤ん坊を抱いて来たのは間十次郎だった。

橋本さんの御子ですと大石に赤ん坊を差し出すと、橋本は脱落したのでは?と聞く浪士があった。

それに対し、間は、違います!この身体では役に立てないと考え、ご内儀と共に御自沈して果てられました!と訴える。

それを聞いていた大高源五は、うちの奴に育てさせようと言い、赤ん坊を受け取る。

十次郎、仕度を急げ!と言われた間は、上着を脱ぎ捨て、出来てます!と答える。

下には、討ち入りの衣装が既に着込まれていた。

雪が降る中、本署の吉良邸に向かう四十七士の面々…

屋敷の前に到着すると、大石内蔵助が采配を振るい、半分の藩士が裏門に向かう。

塀をよじ上った先兵が、内側から門の閂を抜いて門を開く。

裏門班も、大槌で門をたたき壊す。

この騒音を聞きつけた隣人土屋主税は、騒ぐな!赤穂浪士の討ち入りと見る…と家人たちに言い聞かせる。

吉良邸に入り込んだ原惣右衛門は、ご近所の方に申し上げます!と討ち入りで迷惑をかけることを詫びる。

当屋敷に逃げ込んで来た者は片っ端から斬って捨てよ!例え、吉良惣領であろうとも…と土屋は命じる。

雨戸を壊し、屋敷内になだれ込んだ四十七士は、逃げようとしていた中間にも手伝わせ、屋敷内を照らすため、燭台を柱に付けて行く。

寝ていた所を跳ね起きて来た小林平八郎ら吉良の助っ人たちが一斉に襲いかかって来る。

小林の腕には誰も敵わず、池に突き落とされたりしていたが、そこへ、みんな引け!と声をかけてやって来たのは不破数右衛門だった。

腕に覚えがある両者の一騎打ちが始まる。

壮絶な斬り合いの末、小林は後退した時、柱に刺さっていた刀に背中を突き刺し、そこを不破が腹を斬り払う。

小林が刀に串刺し状態で息絶えた所に、仲間たちが駆けつけて来たので、不破は一緒に吉良上野介を探し始める。

やがて、吉良の寝所らしき部屋を見つけ、無人の布団の中に手を入れるとまだ暖かい。

遠くには言ってない証拠だった。

屋敷の中を徹底的に探し廻って行くうちに、押し入れに隠れていた女中たちを発見。

その女中たちと一緒に身を潜めていた侍もいたので、見つけ次第その場で斬り殺して行く。

間もなく夜が明けようとしており、四十七士の中に、焦燥感が出始める。

そんな中、床下を探していた間十次郎は、とある扉の前に来て、中に人の気配がすることに気づく。

そこにやって来た不破数右衛門がどうした?十次郎?と聞く。

突いてみろと言うと、十次郎は持っていた槍で戸を突き刺す。

2人の侍が飛び出して来たので斬り捨て、戸の中を確認すると、老人らしき人物が踞っているではないか。

笛じゃ!と不破が命じ、間十郎太が呼子を吹き鳴らす。

やがて、その音を聞いた仲間たちが一斉に集まって来る。

少将殿か?と大石内蔵助が聞くと、わしを殺したら、その方たちも全員切腹だぞ!と上野介が答える。

それを聞いた内蔵助は、問答無用!と言い、上野介を突き刺す。

吉良の御印を斬り落とした時、エイエイオ~!と四十七士たちは雄叫びを上げる。

その声を、まんじりともせず隣家の塀の前で立っていた土屋主税も聞く。

翌朝、瑶泉院の部屋の前にやって来た戸田局は、午前様御目覚めでございますか?大石内蔵助以下47名が、見事御本懐を遂げられた由ですと報告する。

それを聞いた瑶泉院は仏前に合掌する。

ご心中御察し致します。まことに長い年月にございましたと戸田局が声をかけると、私はお詫びもうしているのです。世情の噂を信じ、恨みがましゅう思っておりました。亡き殿様を思うとまことにあさはか…

47人もの方々が…、殿様お一人の為に…、47人もの方々が…、亡き殿様のお喜び、いかばかりでございましょう…と答える。

討ち入りを知った幕府の幕閣たちは、すぐに集まり、赤穂浪士の働きに助命嘆願が相次いで出ていること、土屋相模守などは、上様は欣快至極であった仰せであったと満足そうに報告する。

そうした会話を黙って聞いていた柳沢吉保は、さてはて、お人の良い方々…と苦笑し、大石が突きつけた血刀に気がつかぬか?御政道相手の暴挙は、上様の御顔に泥を塗り…と悔しがる。

元禄16年4月

お仕置き方として大石内蔵助の前にやって来た荒木十左衛門(若林豪)は、公儀を恐れぬ段、切腹を申しつくる!と申し渡した後、吉良家の方はお家断絶と相成った。本望でござろうと教える。

それを聞いた内蔵助は、ありがたき御沙汰…、これで一同、思い残すことはございませんと頭を下げる。

四十七士たちは、水野家や松平家の中屋敷にその身を預けられていた。

全員、死に装束に着替え、庭先ではうぐいすが鳴く中、御仕度整いましたと声をかけられ、数名ずつ名を呼ばれた者から、庭に出て行く。

堀部安兵衛、不破数右衛門、大高源五…

最後に残った大石内蔵助の名が呼ばれる。

庭に出ると、既に自害した仲間たちの棺が並んでいた。

見守る荒木十左衛門が、一同の者、いずれもあっぱれな最期であった。感服つかまつったと伝える。

切腹の場に座した内蔵助は、あの者たちに支えられ、これまでたどり着けたものでございます。上は78才から下は15才まで16名…、否、道半ばにして倒れたものも…と語る内蔵助の目は潤んでいた。

さて、一同の元に拙者も参りましょう…、いざ!と呟いた内蔵助は、作法通り、腹を斬り、介錯係りに頷いてみせる。

赤穂浪士は今、泉岳寺に眠っている。

今なお、手向ける人が絶えない…。


 

 

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