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ホドロフスキーのDUNE

70年代、作られなかったSF超大作の思い出を監督や関係者の証言で綴るドキュメンタリー映画

新作「リアリティのダンス」の宣伝映画と言う側面も感じるが、当時の映画状況、SF映画や特撮映画に多少とも関心があるものには堪らなく貴重な内容である。

結論から言えば、この映画は、当時のハリウッドでは実現しなかっただろうと感じる。

監督のホドロフスキーの映画に対する作家的姿勢とハリウッドの商業主義は、どう考えても相容れなかっただろうと思われるからだ。

例え作られたとしても、デビッド・リンチ版「砂の惑星」のような無惨な結果に終わった可能性すらある。

ハリウッドが求めているのは、常に「万人向けの分かり易さ」であると思う。

そこがインディーズ映画とは決定的に違う点だ。

そうした中、「2001年 宇宙の旅」は、ハリウッドの撮影所システムが生み出した最後の「A級予算で作ったA級映画(まじめな文芸作品)」で、分かり易さと言う点では、SFジャンル映画中異色だったような気がするが、当時のヒッピー文化の中で、麻薬でラリった状態で観ると最高にハイな気分になれるドラッグ映画だったとの見方もあるようで、ホドロフスキーの目指したトリップしたような気分にさせる映画に似ている部分もありそうだが、時代背景が微妙にずれている。

ハリウッドで作られるSFジャンル映画と言えば、完全なB級映画か、「猿の惑星」(1968)や「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」など「A級予算で作ったB級映画」が大半で、特に、「スター・ウォーズ」の興行的大成功は、その後この路線を定着させて行ったような気がする。

この「スター・ウォーズ」の成功以前のハリウッドでは、SFはまず興行的に当たり難いジャンルとの認識だったはずで、ホドロフスキーの「DUNE」の企画は最初から壁が厚かったと思う。

それにしても、この映画には、懐かしい顔ぶれが次々と登場して驚かさせる。

酒を飲みながら悠々自適な生活を送っているらしきクリス・フォス。

太って呼吸が苦しそうな晩年のギーガー!

そのギーガーをホドロフスキーに勧めたのが、サルバドール・ダリだったと言う話は衝撃だった。

やはり、ギーガーは、単なるSFアーティストではなく、世界的な芸術家として、シュールリアリズムの巨匠も認めていたと分かったからだ。

メビウス(ジャン・ジロー)の手になる膨大な量の絵コンテも凄いし、その鉛筆画を使ったアニメも味わいがあって良かった。

ダリやその愛人アマンダ・リア、オーソン・ウエルズや、ミック・ジャガー、ピンク・フロイドやマグマが参加予定だったと知ると、実現性はともなく、さすがに興味をそそられることは確かだ。

金儲けの為ではなく、監督自身が求めるまま、イメージ優先のキャスティングだったとは言え、この部分での興行性(見せ物要素)は高かったと思う。

作品中、個人的に一番嬉しかったのは、「スター・ウォーズ」「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」でルーカスと組んでいたプロデューサー、ゲイリー・カーツが登場している部分。

「スター・ウォーズ」シリーズが3作目以降、何となく精彩がなくなったのは、彼が抜けたせいだったようにも思える。

やはり、ルーカスだけで初期「スター・ウォーズ」の面白さが生まれていた訳ではないと言うことなのだろう。

閑話休題

この映画、主にホドロフスキーの語りで進行して行くが、映画を作る為の戦士を集めて行く過程は、まるで「七人の侍」でも聞いているような面白さがある。

ある志しある目的に向かい、世界中から、優れた才能を集めて行く…

それらの才能者たちは全員個性が強く、自らの殻に閉じこもっているような人物ばかりで、一筋縄では行かないようなくせ者ぞろい…

そんな芸術家と言うか、濃いオタク集団みたいなものをまとめあげて行く、あたかもホドロフスキーは、志村喬演じる島田勘兵衛である。

若い才能が彼について来たと言うことは、当時の彼にはそれほどのカリスマ性があったと言うことだ。

当時47才だったと言うことは、ホドロフスキーは正に脂が乗り切った時期。

本人自身が役者もやっていることもあり、外見的な魅力や知性も兼ね備えていたのだろう。

彼が劇中で言っている通り、彼本人のハリウッドデビューは叶わなかったが、彼が世界中から見つけて来た才能は、その後のハリウッド映画を通し、世界中に知られる存在になった。

そう言う意味では、ホドロフスキーの「DUNE」企画は無駄ではなかったと思う。

「DUNE」は、その後、世界を席巻することになるハリウッドSF映画のまぎれもない種子の一つだったことは確かなのだ。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

世界を照らすものは己の身を焼かねばならぬ…

若い頃の写真などが貼っているホドロフスキーの自宅書斎らしき場所の本棚をバックにキャストロール

人生のゴールとは何なのか?

全てを昇華させること

私にとってそれは芸術であり、それが映画だ。

当時、LSDをやっていた連中が、そうしたドラッグをやらなくても高揚感を味わえる映画を模索していた時、「DUNE」をつくろうと思った…とホドロフスキーが語る。

タイトル

プロデューサー、ミシェル・セドゥーや、事情を知る映画監督、映画評論家たちも当時を振り返る。

始めはメキシコで舞台をやっていたんだ…とホドロフスキー。

1962年…

ある日、映画を作ることを思いついた。

自分の思う通りに…

1967年…

ホドロフスキーは、監督組合を無視して「ファンドとリス」と言う映画を完成させ、当時それなりの興行的成功を得る。

1970年…

「エル・トポ」を完成させ、芸術か悪趣味かとセンセーショナルに世間で騒がれたが、驚くほどヒットした。

1973年…

思い通りにやった彼の作品は、特にヨーロッパで大当たりし、イタリアでは「007」に次ぐヒットだった。

まるで、異次元から現れた作品のようだったと言う証言

1974年…

パリのミシェル・セドゥーから電話があった。

一緒に新作を作ろう!何が作りたい?と聞かれたので、私は「DUNE」と答えた。

原作は読んでなかったが、傑作だと評判だったからだ。

メランジと言う香料が見つかる。時間と空間を越えることが出来る麻薬のようなものだ。

私は、ミシェル・セドゥーに呼ばれ、彼の別荘で脚本を書いた。

脚本は完成した。後は「戦士」を探すんだ。

ジャン・ジローと言うマンガ家は見事な腕前の持ち主だった。

「ブルーベリー」と言うコミックで彼を知ったんだ。

エージェントに会いに行ったら、偶然彼がいたんだ。

SFを描くときはメビウスと言うペンネームだと言う。

絵コンテ用に3000枚の絵が必要だった。

メビウスは天才だった。描くのも早かった。目の前でさっさと描き上げる姿は神業だった。

シーン1 宇宙を渡る

オーソン・ウエルズの「黒い罠」の長回しは凄かったが、私は「DUNE」でもっと凄い壮大な長回しをしようと思っていた。

銀河系全体をず〜っと横切って行くのだ。

メビウスの鉛筆画を使った再現アニメ

特殊効果にはダグラス・トランブルを考えていた。

「2001年 宇宙の旅」などで知られる有名なハリウッドの特撮マンだった。

メビウスと一緒に彼に会いに行った。

しかし、会ってみると、彼は自分のことを大物と思っており、うぬぼれていた。

精神的な深みはなかった。

会話中、何十回と電話に出たりしていた。

キューブリックは彼に自由に作らせていた…とゲイリー・カーツの談話

君とは出来ない…と私は言ったので、同行したメビウスは驚いた…とホドロフスキー

1974年…

ジョン・カーペンター監督「ダーク・スター」と言う映画を見た。

その瞬間、この男だとひらめいた。ダン・オバノンだった。

彼こそ私が求めていた男だった。

オバノンの奥さんが登場、オバノンは、現実に関しては疎く、時代遅れだったが、SFが好きだったと証言。

映画で観たホドロフスキーは学者ぶったいかれた男に思えたが、実際に会ってみるとスマートだった。(と、ダン・オバノンの声)

君には特殊効果を頼みたいと言われ、私はOKと言った。

こうして彼は戦士になった。

メビウスとオバノン…

レト侯爵役はデビッド・キャラダインと決めた。

彼は、東洋の武術を身につけた主人公のTVシリーズをやっていた。

彼はすぐ会いに来た。

その頃、私はビタミンEを飲んでいたんだが、ロスアンゼルスのホテルにやって来た彼は、1瓶60ドルもする私のビタミンEをその場で全部飲んでしまいやがった!

音楽は、ピンク・フロイドにしようと思い、彼らと会う為にロンドンに行った。

彼らはよそよそしかった。

ハンバーガーを食べてたんだ。

君たちに任せようと思うのは人類の歴史で最も重要な映画の音楽だ!世界を変える映画だ!それなのにマックなんか喰いやがって!…と。

それから彼らは真面目に聞いてくれた。

シーン10 ポールを妊る。

どうやって子供を作るようにさせようか?

精子的なものはないから、血のしずくを体内に取り入れるイメージを考えた。

血のしずくは子宮に向かい、卵子と接触すると爆発するんだ。

ポールは精神的な愛から生まれたので、ただの人間ではなくミュータントだ。

ポールを誰に演じさそうと考えた。

俺の子にすることにした。

「エル・トポ」にも出ていた彼は、当時12才だった。

その息子に、私は戦士になる準備を始めるように命じた。

空手、曲芸などの体技に加え、精神を鍛えて天才になるように言われたので、私は、創造性を覚醒させる為に鍛えた。(息子ブロンティス・ホドロフスキーの証言)

あの頃の私は、映画を作る為に、右手を切断しろと言われたら切っていただろうね…とホドロフスキーは言う。

宇宙船はすべて生き物だ。

まるで昆虫や美しい鳥のように…、そういう宇宙船が作りたかった。

SF小説の表紙を見てクリス・フォスを知った。

生き物のように魂を持った宇宙船だった。彼しかいないと思った。

ロンドンに住むフォスは、カメラ・ワンから連絡をもらったと話す。

パリでSFの表紙を見たよと言われたので、私はパリに行った。「ホーリー・マウンテン」を観て、仲間になって欲しいと言われた…とフォス。

パリに住み始めたオバノンは、パリが好きだった。1975年の彼からのラブレターンに、2人の画家がいる、ジローとフォスだと書かれていたと妻の証言

当時はみんな若かった。当時46才だったホドロフスキーが最年長だった。

私は「DUNE」は読んだことがなかったが、ホドロフスキーが全部話してくれた。

彼はカリスマ性があり、自分の才能を全部引き出してくれたとフォス。

シーン 砂虫からの脱出

メビウスの鉛筆コンテ画をアニメ化したもの

銀河帝国の皇帝役はダリだと思いつき、ニューヨークに会いに行った。

ホテルに偶然彼がいたので、ちょうどその時読んでいたタロットの本の「吊られた男」の絵が描かれたページを破り、映画を撮っている。お話がしたいと書いて渡すと気に入ってくれたようで、パリで会おうと言ってくれた。

パリで再会した時、ダリは12人の取り巻きと一緒にいた。

そして、若い頃、ピカソと一緒に海に行った時、砂の中で良く時計を見つけたものだが、君は砂の中で時計を見つけたことがあるか?とダリは聞いて来た。

これは試されていると直感した。ないと答えれば退屈な男だと思われるだろうし、見つけたことがあると答えれば軽薄な嘘つきだと思われてしまう。しかも、12人の者たちも聞いている。

そこで私は、海で時計を見つけたことはないが、なくしたことならたくさんあると答えた。ダリは気に入ってくれたようで、バルセロナで会おうと言ってくれた。

ダリは、アマンダ・リアを愛人にしていた頃だった。

ダリは「DUNE」の事を知らなかったわとアマンダの証言。

イルーラン皇女をアマンダにやらせると伝えると、アマンダは親切にしてくれたし、ダリにも取りなしてくれたとホドロフスキー

ダリは奇妙な要求を出して来て困らせた。燃えるキリンを持って来てくれとか…

それでもダリはやると言ってくれたが、その条件として、ハリウッドで最も高額なギャラを出してくれ。1時間で10万ドル欲しいと言いだした。

とてもそんなことは出来なかったので困ったが、私はホドロフスキーに聞いた。ダリの出演シーンはどのくらいの時間かと…とミシェル・セドゥー

すると、ホドロフスキーは、3分…、長くて5分くらいだろうと言うので、1分につき10万ドル出すとダリに伝えたら喜んでくれた。

ダリの全身鋳型を取るつもりだった。

暗殺を恐れている皇帝は、自分そっくりのロボットを代役にしていると言う設定だったからとホドロフスキー

そんな中、ダリがギーガーの作品集を見せてこう言った “彼には才能がある”。

それを見て驚いた!悪役のハルコンネンのイメージ通りだったからだ。

ゴシック風の惑星と人物たち。そして私はギーガーを捜しに行った。

私は言った 。君は魂の奥底に潜む深い闇を探求している。それが君が創る芸術だ。君の作品は邪悪な芸術だ。

ハルコンネン男爵に必要な病んだ芸術だ。

ギーガーはスイスのグリュイエールにいた。

ホドロフスキーとオバノンはパリにいた。

映画を一緒にやらないかとホドロフスキーは言ったとギーガー

フェイド・ラウサ役はミック・ジャガーだ!とホドロフスキー

パリのパーティーで彼と会った時、互いに目が合ったと感じた。

ミックが私の方に歩いて来た。

映画の話をすると出ると言ってくれた。

レトの拷問シーン(絵コンテ)

ピーターはどこだ!

皆殺しにしろ!(ハルコンネン男爵)

ハルコンネン男爵は重過ぎる自らの体重を支えるため、反重力インプラントを埋め込んでおり、宙に浮くことができた。

このハルコンネン男爵役は、オーソン・ウェルズだと決めた。

彼はその頃、美食に耽っており、映画も食べてしまっていた。

探したら、彼はとあるレストランでワインを6本も飲んでいた。

私はシェフに、彼が一番好きなワインは何だと聞き、そのワインを持って行った。

そして、もし自分の映画に出てくれたら、ギャラとは別に、ここのシェフを雇う。撮影中、ずっと彼の料理が楽しめるぞと言うと、彼はやると言った。

メビウスから絵コンテをもらった…とギーガーの証言

ハルコンネンの城の上には、男爵の大きな顔が象られており、その口から下が出て来ると、そこに宇宙船が飛んで来て着陸する…と構想を語るホドロフスキー

私は、5枚のデザイン画を描いた…とギーガー

長い回廊には両側にたくさんの槍が並んでおり、そこを歩く者を刺して来るとホドロフスキー

その要塞は原作には出て来ないとギーガー

シーン90 ラストシーン ポールの死

ポールは殺されても生き残る。

手遅れだ。僕を殺すことは出来ない。(絵コンテの絵)

私は他者であり、他者は私である。

私を殺せ!私はポールだ!肉体は滅びるが、精神は全ての人類になる。

惑星上に青いリング上の光が現れる。

植物や動物が育ち、天国のようになる。

目覚めたデューンは救世主になる。

そして、デューンは銀河を去って行く。

私は惑星を救世主にした。原作とは違うラストだ。

花嫁は白いウェデングドレスを着ているが、そのままでは子供は生まれない。

はぎ取って、犯さなければならない。

私は、(原作者の)ハーバートを犯したと愉快そうに語るホドロフスキー

私は、それまでに完成していた絵コンテなどを使い本を作った。

それをセドゥーが、ハリウッドの大手に送った。

今、大手の映画会社には全部この本があるはずだ。

しかし、映画の話は実現しなかった。フランス人とアメリカ人の感覚の差だったとセドゥー。

私は絶望したと話すホドロフスキー

製作費は1500万ドルの予定だった。

ハリウッドの製作者はこう言った。これはまるでコンコルドだ。傑作だが、ここでは作れない…と。

ハリウッドは宗教的な映画には慎重になるとリチャード・スタンリー

予算は妥当だったが、この監督ではダメだと言われた。

上映時間は1時間半にしろと言われたが、私は12時間にも20時間にもしたかったとホドロフスキー

ハリウッドは、それまでの彼の作品を観て、彼に任せられないと思ったんだろうとゲイリー・カーツ

私は自分が夢に見た通りに撮りたかったとホドロフスキー

ハリウッドは彼を恐れたとニコラス・W・フレン

恐れだ!作れなかった理由は、ポケットに入っている金…(と、自分のポケットから札束を取り出し)こんなもののためだったと嘆くホドロフスキー

映画には心がある。精神もだ!無限の力がある!そう言う映画を作りたかったとホドロフスキー

オバノンはロケ先のセットを作っている中でこの知らせを受けた。

彼は相当参っていたわ…とオバノンの妻

あれは間違いだったと言うフォス

あの作品で、私の人生は変わるはずだったと息子のブロンティス・ホドロフスキーも言う。

ホドロフスキーは苦しんだ。拒絶されたからだ。一生、癒されることはない。

その後、ディノ・デ・ラウレンティスの娘がやって来たとホドロフスキーは言う。

映画の権利をディビッド・リンチに渡したとギーガー

ショックだった。彼なら作れるからね、私より巧く…とホドロフスキー

リンチの映画が完成しても観る気はなかったんだけど、息子が、戦士だったら観るべきだと言ったんだ。

それで仕方なく観る事にしたんだが、観ているうちにあまりの酷さに嬉しくなった。

大失敗だ!大人げないかもしれないが、それが本心だった。

あんなに才能があるリンチがこんな駄作を作るはずがない。

製作者が悪い!

私の「DUNE」は一見失敗だが、色々打ちひしがれたが、受け入れることにした。

「DUNE」を止めることにもイエスだ。

「DUNE」はこの世界では夢だ。

「スター・ウォーズ」(1977)の剣の戦いは、「DUNE」の絵コンテにあるシーンの影響が見られる。

「DUNE」で描かれたロボットの視点は「ターミネーター」(1984)などで登場した。

「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(1981)のラストシーン、聖櫃の蓋を開けると、光が天に昇り、舞い降りて来るイメージも「DUNE」にあった。

「プロメテウス」(2012)に登場した謎の遺跡は、ギーガーのハルコンネンの城のイメージに重なる。

メビウスもギーガーもオバノンも「エイリアン」(1979)に参加した。

ハリウッドは仲間たちを認め始めた。

「DUNE」は地球に接近し、種子を蒔いたのだ。

「DUNE」がなければ「マトリックス」も生まれなかったかもしれない。

多くの人が「DUNE」のアイデアを観た。

メビウスは私に、君は死ぬ気か?と聞いた。

私は別の道を行く。

私はメビウスと組んで「アンカル」と言うコミックを作った。

私が死んでも映画は残る。

84歳になった今でも気持ちは変わらない。今後も一生創造を続ける。

大きな志を持った作品だ。

出来るだけ大きな志を持つ。

最高に芸術的な映画を作りたいなら挑戦するんだ!

「DUNE」の本が閉じられ、表紙が写る…

ホドロフスキーとミシェル・セドゥーは、35年後にまた再会し、「リアリティのダンス」を作った。

主演は息子のブロンティス・ホドロフスキー


 

 

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